KEYTALK/KANA-BOON
この2バンドの並びを見て、参加せざるを得なかった対バンライブ。
2013-2014・大阪の思い出の全てが詰まっている2バンド。
この2バンドの当時の勢いは本当に凄かった。
リアルタイムでその勢いを味わえて、本当に嬉しかった。
2014年、明るい未来も知らないし、知らない未来だったけど、なぜか
全てを信じることが出来て、自分の人生に疑う余地などなかったのだ。
営業車のあの空間だけが、仕事の逃げ場所だった。
そこに、買ったばかりのCDを載せて、仕事という名のドライブをしていた。
一度、その営業車に好きだった人を乗せたことがあった。
コースターが流れて「いや、好きな気持ちぐらい言えよwww」とか言いながら、助手席で大笑いしていた。この人とは、きっと長くは一緒にいられないけど、仲良くなれるかもなと思ったんだ。
明るい未来はないかもしれないけど、刹那的な、
そんな光景が思い浮かんだのだった。
そんな、セツナの面白さと深さと寂しさと、
多分、人生のエンドロールに一瞬流れそうな、
たくさんの楽しい光景をプレゼントしてもらった。
そして、きっとこれからも色々もらえるんだろうな、と期待している。
君とサマーは、本当に、ここ数年の走馬灯で、久しぶりにやっぱり、KEYTALKって好きだなって思わせてくれた。
夏になると聞きたくなるのは、TUBEでもサザンでもなく、KEYTALKなのだ。
そんなKEYTALKとの素敵な再会の場所を作ってくれたのは
やっぱりKANA-BOONだった。
やっぱり、今も眩しくて、でも等身大でかっこつけてなくて
すごくちょうど良い場所にいてくれるバンド。
いつ見ても楽しくて、いつ聞いても懐かしくて、大阪の思い出と言えば
全てにカナブンがくっついてくるのだ。
当時の等身大の自分がこの曲に詰まっていて、初心を思い出させてくれる。
体育会系でもなかったし、ちょっと斜に構えてた自分に喝を入れてくれる、そんな楽曲だった。ないものねだりでもいいし、なんでもほしがればいいけど、それを得るために何かをしているか?何もしてなかったんだろう。
多分、当時、何も考えずに働いていて、見たくないものに蓋をして、それでもそんな自分に向き合ってくれる周りの大人がいて、生かされていたのだなって思う。それは、学生時代も、サラリーマンの今も、変わらないのだ。そんなことを、思い出させてくれる。
久しぶりに東京に行って、高校の友達に会った。
大学の友達にもあった。
地元の友達にも、会ってみたい。
変わってしまったのは、周りとの関係かもしれないし
自分自身かもしれないし、相手かもしれないけど
音楽には、変わる前の何かが詰まっている。
もう、6畳の部屋に住むことはないかもしれないし
それでも、あの頃の北向きワンルーム6畳には
自分の人生の全てがあって、未来の全てが詰まっていたのだ。
だから、不動産ビジネスは今でも大好きだ。
邪魔なものは多かったし、世界中に二人だけ、なんて
ロマンチックなことは残念ながら思えるような人生ではなかったけど
それでも、音楽に乗せれば、そんなことも言えてしまうのだ。
これからも目まぐるしく自分の環境は変わるし
周りの環境も変わる。変化は絶えず、それでも大事なものは変えずに
うまく生き残っていくしかないのだ。
なんばHatchのラストは、シルエット。
両隣は外国人だった。10年前、こんな光景が広がるとは本人たちも思っていなかっただろうし、思っていたとしても10年後にそんな光景が実現していて、感慨深かったことだろう。そんな光景に出くわすことができて、なんだか自分も感慨深かった。新しい世界を作り出すのは、やっぱり一人一人の心がけて、大事なものを忘れないようにこの2バンドとの関係性も深めていきたい。
そんなことを思った夏の夜だった。
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