ハッピーヒマラヤみたいなバンドを聴く
社会人になって初めて、一時的に実家に暮らしていた2020年の夏、リビングでこの曲が流れた。
全くコロナを感じさせない夏の曲。みんな、そんな夏の思い出に浸りながら2020年は過ごしていたはず。いや、翌年も、その翌年も。そう簡単に、これまでの夏は戻らなかった。特に音楽シーンは。
2023年、ライブハウスにはコロナ前の活気が戻ってきた。もう、マスクもつけないし、大声で歓声も上がる。でも、この3年で諦めてしまった人も多いのだろう。今、歌い続けているバンドマンに感謝しかない。
この3年の空白、急激な変化ってなんだったんだろう。この3年に渡る変化に対応しながら、なんとか京都で生活できていることを考えると、急に今の生活自体が貴重なものに思えてくる。
人生って、そうやってうまいこと変化しながら進んでいくのだろうか。
ジャコメッティ展が大阪であったので足を運んだ。美術館に足を運んで、一度は目にしたことがある、そして、目にすると忘れらない、この細長いやつだ。なんか、今この時代にわざわざ大阪に来ているあたり、見ておけというメッセージと捉え、55分もあったドキュメンタリー映像も含めてたっぷり堪能してきた。
面白かったのは、作品から感じるなんとなくの暗さ、孤独感、みたいなところから勝手に暗い人物像をイメージしていたのが、全く違った人柄だったことだ。友人とよく珈琲を嗜み、晩年は郊外とパリで二拠点生活。母親との関係性もよく、追悼式には全世界からスイスの片田舎に長蛇の列が。創作スタート当時は、積極的にNYなどへ自分の作品を売り込み、抽象的な作風があまりしっくりこず「人間」をそのまま描き出すことにはまりだし、徐々に写真のような作風を見出す。(ちなみに、全ては「デッサン」であり、ジャコメッティ曰く、彫刻もデッサンらしい。まじでわからん。)どんどん細くなっていったが、途中、案の定(笑)細すぎて長期保存に失敗。それを茶目っ気たっぷりに「細すぎて壊れた」と語るポップな人柄。失敗をもろともせず、名声を手にした後もアトリエの環境には投資せず、晩年まで同じ場所で創作を完遂。
なんとなく、最近、アメリカのテック株バブルをもろともせず、日本の商社へ投資を行い、果実を得ているバフェット氏を思い出したが、世の中の変化に合わせるのではなく、自分の信念を貫き、世の中がついてくる、コロナに翻弄され変わり続ける人種と、変わらずに表現を続けて、結果的に「当たる」のと、何が違うのが、本当にわからない。
おそらく、世界の見え方や捉え方が違うはずで、まだ自分はそこに到達できていないが、どこかのタイミングで、違った形で世界を捉え直すことが出来たら、またうまく変われるのだろうか。
色々小難しいことを考えてしまったが、とにかくハッピーヒマラヤみたいなバンドはとても良い。この夏のパートナーにして、2023年の夏もよいものにしたい。