【音楽雑記#20】kannivalism
近江商人の「三方良し」の経営哲学を知ったのは、転職も決まり、関西を離れることが決まったのでプラプラと街巡りを楽しんでいる時だった。ちょうど、近江八幡にマンションを作るということで現地視察と適当な理由を作り街歩きを楽しんだが、近江商人の生活をよく垣間見ることが出来、勉強になった。良い街だったな・・・。
一方で「平成は遠くになりにけり」ということで、今の世の中は変化も急速に進んでいる。何を大切に残していき、何を変化させていけば良いのか。一人ひとり、考えを求められているように感じる。
▼好きになったキッカケ
kannivalismを知ったのはLUNA SEAのコンピレーション・アルバムだった。MERRYやMUCCなどお馴染みのメンバーの中にkannivalismの名があった。初めて聞く怜の声は、最初は妙にネチっこく、受け入れられなかった。ただ、何度か聞いていくうちに、聞き手に寄り添ってくれているような歌い方、感情の起伏に引き込まれ、楽曲に手を出していた。
ただ、kannivalismにハマったときは活動休止していた。どうやら適応障害を発症しているらしい。大学に入り1番最初に学んだのが「電通の過労死事件」だったこともあり、鬱や休職に関しても関心が強かったこともあり、適応障害直前のライブDVDに手を出した。
そこには限界ギリギリで歌い上げる怜と、それを支えるバンドメンバー、そしてファンの姿があった。これだけたくさんライブに足を運んでいても、未だにそのライブDVDを超えるライブに出会っていないし、それくらい最高のパフォーマンスをしていたように当時は感じた。
▼思い出
適応障害から復帰が決まり、彼らはシーンに帰ってきた。絶対に生で見たいと意を決して申し込みした復帰後初ライブの整理番号は7番。ボーカルの目の前に陣取り、当日を迎えたが、自分も感極まって、終始泣いていて、あまりステージが見えなかった。好きで音楽を初めて、鬱になりながらも、またステージに立って、この人はそこまでして、ファンに何を伝えたいんだろう?そこまで、誰かに何かを伝えたい!と強く思ったことがなかった自分はその想いに憧れのようなものも抱いていたように思う。自分も、そんな新年のようなものをもって生きていきたい、そんなことを思った。
▼今、1番スキな曲
結局、それから10年以上の時が経ち、いろいろなことがバンドにも怜にもあり、再びシーンから去ってしまった。でも、前回のような去り方ではなかったし、またシーンに、いつか自分のペースで戻ってきてくれることを信じている。
伝説的な活動休止直前のライブの最初の曲は「白い朝」だった。ちょうど今朝は、雨が上がり、水たまりが良い感じで、いつものランニングコースもまた表情が異なり、楽しくランニングできた。
また会えるいつかの日を夢見ながら、今日もkannivalismしようと思います。