◎百足の草鞋/風雲!京阪怪獣予告編
いよいよ書くことがなくなってきた。なら書くな、書かなくてもええよと言われるかもしれない。この状況が終息するまで、ここで思い出多めの何かを書いていこうと誓ったけど、もしこのまま二ヵ月、三ヵ月と状況が続けばフェードアウトする予定。
さて。モノカキ業も介護業も講師業のことも書いてきた。ええ年してふらふらと、兼業に兼業でやってきた。二足の草鞋どころではない、だから『百足の草鞋』というタイトルにした。
いろいろ仕事をやってきて、そろそろ落ち着く年ごろかな、と思ったときにそれはやってきた。縁というものを強く感じた。ネットが発達したおかげかもしれないけど、これまでの蓄積が少しは報われたような気がした。そんなお話をこれから書くと、あとが続かなくなるのでゆっくりとじわじわ、うろ覚えで書いていこうと思います。
就職して忙しくなると、学生時代に通っていた映画館にも通わなくなり、いつしか閉館していた、ということがよくある。前にも書いたけど数多のミニシアター、名画座、昔住んでいた繁華街の映画館が、いつの間にかすっかり消えていた。
それでも映画には不自由しなかった。社会人になってしばらくして、岸和田に複合型映画館、いわゆるシネコンができたからだ。やがてシネコンが映画館の主流となり、昔ながらの映画館はさらに隅に追いやられる形となっていった。それでも生き残っている映画館もあった。休日、京都に遊びに行く際、東寺の前を車で通ることがよくあった。パチンコ屋が見える、その二階に……まだ映画館がある。今はポルノ専門かな? とか思いながら通り過ぎる。あそこで何度か映画を見たことがあった。そう言えば書店員時代、同僚がその映画館に『刑事まつり』を見にいったら、ゲストの寺島進が酔っ払いながら観客にカップうどんをふるまったとか。じゃあ、ポルノ映画館ではないのか、まだ現役バリバリなのか、と思った。さらに数年後、ミニシアターに行くこともなくなり、シネコンで映画を見ることが普通になっていた頃。2014年、あのゴジラが再び海外で復活する年のこと。
また、あの映画館に行くことになるとは思ってなかった。そしてそれがいまだに続くことになるとは。京都みなみ会館、大怪獣大特撮大全集が始まった。
続く。
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