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ツいてない日とツいてない人

 春休みを利用して子供らが遊びに来て、奈良に送っていったその日。高架下の、まるで廃線みたいな踏切を超えた辺りで、後ろにパトカーがついてきているのが見えた。なんか言ってるし、パッシングをしている、何か悪いことしたか、と車を止めると、どうも踏切で一時停止を怠ったらしい。確かに、あの踏切は小さいし、もう使われていないかと思うほどである。でもやったことは仕方ないので、おとなしくおまわりさんの指示に従い、10分ほどで解放される。ツいてない、3月はウンコ二度洗い事件から奥歯が腫れたり、コロナ化だったり、コロナ陽性だったりとついていないことだらけだった。新年度ぐらいはすべてが好転するようなハッピーな毎日でありたい……と思っていたらこれである。いや、これで最後にしましょう。気を付けても、来るときは来るのです。新しい週の始まりから、いいことが続くと信じたい、いやいいことなんか怒らなくてもいいから、このままそっと静かに過ごしたいものです。

 反則金は痛い。公共料金でもローンの支払いでもなく、突発的にお金をとられてしまうのは、本当に理不尽でつらい。でもこれを教訓にしてこれからはいいこと尽くしの毎日でありたい、と思います。ということでそんな日に『モービウス』を観ました。

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 病を治すため、吸血蝙蝠に自ら襲われた天才科学者。しかし、その結果コウモリの能力も得ることになってしまう。もともとはコミックの『スパイダーマン』の悪役だったキャラを一本立ちさせた作品で、『ヴェノム』に続く、マーベル悪役シリーズの一本。血を求めもがきつつも治療法を見つけるモービウスに、同じ能力を手に入れ欲望のままに暴れまわる親友マルコの対決がメイン。ヴェノムほどあか抜けておらず、善でも悪でもないモービウスは微妙な存在。蝙蝠の力を身に着けた恐るべき超能力の数々は見ていて楽しいが、この先どうするの? という不安もある。そこは物語の終了後のサプライズで、なんとなく明らかにされるのですが、君らの世界にはスパイダーマンがいないのでは? いないほうが都合がいいのか。

 蝙蝠の本性をむき出しにし、全力でぶつかるモービウスとマルコ、ものすごいビジュアルだけど、豚鼻VS豚鼻なんですな。吸血鬼のマーベル映画といえば、『ブレイド』が先に遭ったけど、これまたそこまで突き抜けた爽快さでもない。あくまでもヴィランなので、暗く、重く己の能力を恨みつつ運命と戦っていく。

 主人公の過去から始まりその誕生を描くというアメコミ映画文法にのっとった見やすさでした。でも彼もスパイダーマンと同じく巨大建造物のない田舎では暮らしにくいだろうな、いつものこの手の映画には天才肌の人間か、そこそこお金持ってる人、あるいはそこそこお金持ってる天才が超人化して、自分で何とか解決しようとするけど、何の特技も能力もない一般人がそうなったしまったら、いったいどうなるのだろうか? とか余計なことを考えたりしました。スパイダーマンを抱えるソニーのマーベル映画はディズニーの息のかかったマーベル映画(MCU)とはまた違った方向へ進んでいきそうです。


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