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武士道はつらいよ・雷蔵剣難旅

 今日も今日とて、シネ・ヌーヴォ大映4K映画祭へ。今回は『剣鬼』『斬る』の雷蔵二本立て。これに『剣』を合わせて、市川雷蔵+三隈研次監督の『剣三部作』と呼ぶそうだが、『剣』は現代劇ということでどうにも二の足を踏みがち。今回のこの組み合わせは実に見やすく、共通項が多いので見やすい、そしてどれがどっちだったっけ? と混乱しがちになる。

 『剣鬼』

 その謎めいた生まれから『犬っ児』と呼ばれ、蔑まれてきた下級武士の子、雷蔵。しかし彼には花を育てる才能と馬をも追い越す健脚があった。
そしてそんなとき、とある武芸者の居合を目にし、その卓越した技をも習得するに至った。そこに目を付けた上司、佐藤慶の命じるまま、班内に潜んだ公儀隠密や現体制に異を唱える者たちを斬っていく雷蔵。稲妻の如き居合の犠牲者には、隣人や仲間、自分に剣を教えてくれた師の姿もあった。それでも雷蔵は走る、走って斬る。たとえ殿様が乱心者でも、彼を守るために忠義を尽くすのだ。

 下級武士が特技を身につけるものの、その身分ゆえに汚い仕事を次々と背負わされる悲しいさだめ。とにかく走っては斬る、雷蔵の居合は流れるように、なでるように鮮やかに相手を切って捨てていく。たとえ仇として取り囲まれても、彼は邪剣を振るう。花を愛で、育てる一方でその手で人間を殺めるという矛盾した生活の中で、彼は一度は捨てた剣を手に取り、剣に生きる覚悟を決めるのだ。そして、乱心者の殿様が死んだとき、雷蔵は一人取り残されてしまう。それでも彼は剣を信じ、多勢に立ち向かう。皮肉にも彼が密かに育てていた花畑の中で、血の華を咲かせ、散っていく。

 いくら上役が乱心者でも忠義を尽くすしかない、その身分が低いからこそ、上意には逆らえず屍の山を築いていく姿がやるせない。

 『斬る』は三年前にもヌーヴォの市川雷蔵映画祭で見た作品。些細なことから父と妹を殺された青年武士がただひたすら流離う。『大菩薩峠』の机龍之介の虚無感とはまた違う、死地を求めるような漂泊の旅である。関わった人間は死んでいき、ただ虚しさが募るのみ。最後に身を寄せた大名に父の面影を見て、その邪剣を振るうのだったが。ボタンの掛け違いで命のやり取りをしないといけない武家社会の滑稽さ、無情さを淡々と描いている。

 極端なクローズアップにコントラストのきつい画面構成という三隅演出は健在。部屋の多い武家屋敷をさまよう雷蔵を真俯瞰でとらえるショットはまるで迷路のようである。一枚絵の中にドドン、と情報を入れ込むガチガチの様式美が見ていて心地よい。そして奇妙な構えから繰り出す雷蔵の殺陣も流れるような鮮やかさである。

 どちらも柴田錬三郎の原作だから似通ってくるのは当然かもしれないが、出生の秘密、邪剣、虚無的な主人公という共通項に武士道のストイシズムを外してニヒリズムを足すと『眠狂四郎』になるのでは? と思った。

 先週の『大菩薩峠』に今回の2本、毎週大阪九条で市川雷蔵がひどい目に遭ってる映画を見ているなぁ、と思いつつ、劇場を後にした。今度はどんなひどい目に遭うのだろうか、そんな映画がまだあるのだろうか。 

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