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◎百足の草鞋/大決闘!京阪銃撃真贋殺戮編

  今週月曜日にみなみ会館再開。とはいえ、越境してお伺いすると、あとでどうなるかわからないので、まだまだ様子見、来てほしい。でも遠慮して、という痛し痒しな状態がまだまだどこの映画館でも続くんでしょうかね。そんな中見た『音楽』は、緩い絵の緩いアニメかと思いきや、音の暴力で攻めまくる、爆発量のある映画でした。

 さて今年に入ってからのことを振り返っているのですが、まるで去年のことかと思うぐらい時間が経ったような気がします。GMKイベントが終わり、2月。気になる映画があるので車で京都へ。

世間ではコロナウィルスの影響で京都の観光地に客が来ない、とか言ってたけどみなみ会館のある九条、十条近辺はいつも通りのように見えた。まあ、観光地らしいものが少ないからね。(ブログより)

 これが書かれたのは2月7日。この頃からコロナの脅威が騒がれていたのか、とすっかりそんなことも忘れていました。

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 まず1本目は『野獣処刑人ザ・ブロンソン』である。昨年和製ブロンソンこと佐藤允特集を上映したみなみ会館に今度はジェネリックブロンソンが来る! ポスタービジュアルとタイトルからお察しの通り、主役はチャールズ・ブロンソン……のそっくりさん、ロバート・ブロンジー。だけどタイトルに『ブロンソン』と出る、強気な姿勢。だって、どう見てもブロンソンだから仕方ない。ブロンソンオマージュをブロンソンのそっくりさんで作り上げた奇跡の映画である。この世のすべてが面倒くさそうな、バカボンのパパに似た顔だけではなく、動きも声もそっくりだ。特にあのしわがれた声は脳内で大塚周夫ボイスで変換されるほどにそっくり。物語は町をさすらうブロンジーが、ヤクの売人や売春組織の人間を問答無用で射殺し、郊外に住む母子家庭にせっせと送金するといういたってシンプルな構成。なぜ送金するのか、なぜ彼らを目の敵にするのか? とはいえ物語は二の次で、観客は90分弱の間、ブロンジーのそっくり度を確認する作業をするようなものである。ジムのプログラムではなく肉体労働で鍛え上げたようなボディ、ポケットに片手突っ込むしぐさ、ブロンソンだ、ブロンソンが生き返った。そして時折挿入されるおっぱいと大量の血糊。本当にこれ、21世紀の、令和時代の映画かよと思えるほどの80年代テイスト。このままノーカット吹き替えで木曜洋画劇場で流してもいいぐらいの出来栄えである。ブロンソン、それも80年代ブロンソンの佇まいと作風を見事に復活させた快作、といってもいいかもしれない。

ザ・ブロンソンで体が温まり、冷え冷えする京都の町をポケット片手に突っ込みながらさまよう。悪党がいれば一撃必殺……いや寒いので誰も外には出ない。ブロンソンはバカボンのパパに似ている、ということでバカボンパパの好物であるニラレバ炒めを食べる。餃子も食べた。二品以上注文するということはこの上ない贅沢なのだ。、それでいいのだ。(ブログより)

 この頃ちょいちょい食べ物のことを書くようになったのは団地暮らしが落ち着いていろいろと余裕ができてきたからかもしれません。その日、夕食を終えてから再びみなみ会館へ。

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 『ザ・ブロンソン』と同じく上映終了で、見ようかどうか迷っていた映画『ヘヴィ・トリップ俺たち崖っぷち北欧メタル!』である。そもそも北欧にメタルがあるのか? フィンランドにはレニングラードカウボーイズしかいないのでは? フィンランドの田舎町、幼馴染で編成されたメタルバンドが隣国ノルウェーのフェスに出場するまでを描く。よくある話である、昨日までちっぽけだった存在が努力と励ましで大舞台に挑むお話、音楽物もそうだけどスポーツものでもよく見られる展開である。『ロッキー』も『カリフォルニア・ドールズ』もそうだ。あと、日本の町おこし映画にもありそうだ。この手の映画は、いかにクライマックスで観客に拳を握らせるかがキモになっている、と思う。最後まで乗れるかどうか、歓喜の声を上げ、涙することができるか。北欧にメタルという未知の領域で、このベタともいえる題材にいかに取り組むのか?
 もう、冒頭から心掴まれました。メタラーと思しき長髪革ジャンの青年が、フィンランドの田舎町を自転車立ち漕ぎで走る! 立ち漕ぎですよ。そして街の若者にバカにされても言い返せない小心者。メタラーってアナーキーでバイオレントなのでは? それは舞台上のお話、普段の彼らはちゃんと手に職を持っているまじめな青年たちだったのです。中でも主人公が介護施設で働いてるのがポイント高い。老人介護施設なのか、障害者施設なのか判別しかねるけど、人のために働き、趣味の世界では紙に唾するこの切り替えが大事ですね。しかもこの介護施設での利用者とのやり取りや出会いが伏線にもなってくる。
 北欧の田舎でメタルというギャップの面白さ、よくある『弱小チームが大舞台に挑む』展開のツボを押さえつつもそこはメタラーのアナーキズムで、うまく外してくれる。その外しっぷりが痛快。ここ一番でゲロを吐いてしまう主人公、はぐれ者たちが村の脚光を浴びるも一転、挫折も味わいという展開に、思いがけない出会いと別れ。そして根性決めた珍道中。迎え撃つノルウェーの国境警備デルタフォースは名ばかりで寄せ集めの独立愚連隊、『コマンドー』への愛があふれた場面もあり。タイトル通り、警察に追われて崖っぷち、オタクはオタクが知る、の言葉通り彼らを助けるバイキングごっこの一団。
 映画の中で棺桶が重要な小道具として登場するのだが、これは翌日より上映の『続荒野の用心棒』への重要なブリッジだ、と勝手に解釈した。(ブログより)

 そう、前年の『ウエスタン』に続き『続荒野の用心棒』がまさかのデジタルリマスター化されたのです。もう映画館で見ることのないと思われた作品が復活するという21世紀の奇跡。しかもマカロニウェスタン、当時は本格派から忌み嫌われていたマカロニも時間が経てば名作の仲間入りなんですよ。みなみ会館では『続荒野…』の援護射撃のように『ジャンゴ・繋がれざるもの』も上映。もう見るしかないですよ、これは。ついでに怖い映画も見ておきましょう、と数日後、再び越境。

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 その日のメインは『ジャンゴ繋がれざる者』『続荒野の用心棒』の新旧ジャンゴ二段撃ち大会だ。その前に『見たら死ぬ』といわれる『アントラム』を見たりしたら、ジャンゴ見てる間に死んでしまうのではないか? でも映画館でぽっくり逝くのもいいかもしれない。とにかく気になるものはチャンスある限り見ておくのだ。
 『アントラム』はドキュメンタリータッチで物語が始まる。曰く70年代につくられたとあるホラー映画が、上映するたびに映画館が燃えたり、映画祭の関係者が変死するというのだ。今回、奇跡的にオークションに出品されていた『アントラム』を落札したとのこと。どうやらこの映画、完成してから何者かが手を加えた跡があるらしい。それは何か?
 と、ドキュメンタリーパートが終わり、『この先何があっても責任を負いかねます』といった注意書きが出た後、『アントラム』本編上映。これはちょっと驚いた。予告から察するに全編ドキュメンタリータッチで通すのかと思いきや、まさかの本編上映。本当に死んでしまう。
 お話はとある姉弟が、亡くした愛犬を復活させるためにとある山に入り、地獄に通じる穴を掘るというもの。本当に地獄とつながるのか、全編を貫く不安を誘う曲に、荒れた70年代っぽいフィルム。ええっと、これはどこからどこまでフィクションだったっけ? と見ていて少し混乱してしまう。地獄の門が徐々に開き、姉弟の周りに異変が起こる。山に入って割腹自殺を試みる日本人、そして山中に住む、悪魔を崇拝する怪しげな二人組。怖いのはいったいどっちだ、何なんだ? そして二人組に捕らえられた姉弟の脱出劇、そして明かされる真実。全編書くのは野暮、いやここまで書くのもどうかと思うが。
 全体的に不安げな雰囲気が漂う作品。作為的に手が入ったシーンもなんとなくわかる。どこかもやもやした気分になる、じわじわ怖いタイプの映画。 (ブログより)

『見たら死ぬ』というハッタリのきいた宣伝に散々驚かされつつもびくびくしながら見てしまう。しかし、この頃は70~80年代テイストの映画やリバイバルが増え、それをまたにやにやしながら見に行ってました。そしてメインのジャンゴ連続上映へ。

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  黒人奴隷ジャンゴとドイツ人賞金稼ぎがコンビを組んで、ジャンゴの妻を奪還するまでを大量の火薬と血糊でつづる西部劇巨編。クライマックスより中盤の、長い長いディカプリオトークの後堰を切ったように行われるドンパチがかなり派手、今見ると西部劇というより香港ノワールの影響が大きいのがわかる。マカロニ成分はそこそこに、好きなもの、やりたいテーマをぶちまけるタランティーノ流。ちゃんと落ちを付けてブツン、と終わるのもいつものことだし、選曲も毎度のことながら映像にぴったり。まるでMVを見ているようだ。
 そして、そして待ちに待っていた『続荒野の用心棒』! ガトリング銃搭載の棺桶を引きずる無口なガンマン、というキャラ設定だけで満点の映画である。勧善懲悪ならぬ勧悪懲悪の物語。まず、日本ではアメリカ西部劇と比較され、見下されがちだったマカロニウェスタンが、現在のポジションを得るまでにはかなりの時間がかかったし、さらにその中でも変化球ばかり投げるセルジオ・コルブッチの代表作がまさか4Kの美麗画像で甦るとは夢にも思ってなかったよ! 美しく汚い画像が見れる、泥でぬかるんだ街も、ペンキみたいな血糊も、ぎらついた男も、汗ばむ女のケバイ化粧もはっきりくっきりと見える。

 雨の降るぬかるんだ道、ハリウッド西部劇ではまずみられないどんよりとした空のもと、ジャンゴと政府軍、メキシコ軍の血なまぐさいやり取りが行われるのだ。最初に見たとき『なんじゃこれは?』と思った。少しも痛快ではないし、ジャンゴもヒーローらしくない。かなりの異色作だなと思った。レオーネ的なものを期待していたのだ。今回見直してみると、やはりジャンゴがよくわからない。メキシコのウーゴ将軍と旧知の間柄であるために、アメリカのジャクソン一味を叩きのめすのはわかる。でもジャンゴの目的は金だ。金のためにウーゴを欺き、逃走する。『荒野の用心棒』やその元ネタ『用心棒』のように敵対する両者をいがみ合わせて共倒れを図るというヒロイズムはない。だが、それがまたジャンゴの魅力でもあるかもしれない。ジャンゴは中盤の機関銃大乱射以降、これといって活躍しない。ただウーゴをうまく乗せて金をせしめるか、それだけに徹している。だから、終盤でようやく愛に目覚め、ジャクソンと対決するのは唐突な印象もあるけど、それもまたジャンゴのええ加減さであり、魅力の一つでもあるといえる。しかし、金をぶんどった罰を受けウーゴたちに両手をつぶされる。そのウーゴたちもまた、ジャクソン一派に返り討ちに遭う。悪が悪を食らう、それこそ舞台となった町のようにどろどろとした展開。だからこそ卑怯なジャンゴが映える。パンフレットによればジャンゴの妻を殺したのはジャクソンということで、これでラストの対決にも納得がついた。本来ならジャンゴは両手を潰したウーゴと戦わないといけない、と思っていたからだ。そんな型通りの展開にならないのがコルブッチのウェスタンである。鞭打ち、覆面集団、それにバイオリンとタランティーノの『ジャンゴ』が引き継いだポイントも多い。オマージュを見て原点を知る、今回の京都みなみ会館の組み合わせは最高にして最強である。ともあれ、昨年の『ウエスタン』に続いての快挙である。怪獣映画は定期的に見れてもマカロニはほぼ壊滅的だと思っていたところにこの嬉しい復活。これからも二人のセルジオの作品がスクリーンで見られることを遅れてきたマカロニ野郎は切に願うのである。(ブログより)

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当日は帽子にコート、ジャンゴっぽい、マカロニないでたちで。スタッフさんがぷっと笑っていましたが、他にもポンチョの青年もいたから、マカロニ者はみんなやりたくなるんですな。

 そしてタイミングよく『ウエスタン』が新世界国際で上映、このマカロニの波に乗らない手はありません。

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荒野に自分の理想郷を作ろうとした男と、その遺志を受け継いだ妻、そしてその気骨に惚れた流れ者に、利権を奪わんとする悪漢。それぞれの思惑が重なり合う、決闘オペラ。長いのに説明不足だぞ、とも思うけどそこは行間を読んで察しろ、ということか。先週『野獣処刑人ザ・ブロンソン』で生き写しのようなそっくりさんを見たけど、今回は本物。4k画質で見ると、ブロンソンの肌の艶と張りがすごい。しかもレオーネ作品なのでクローズアップが多く、余計に目立つ。善玉も悪玉も顔で物言う、4k顔芸大会でもある。『続荒野の用心棒』のどろどろの町も『ワンス~ウエスト』のカラカラで砂ぼこり立つの町も、どれもマカロニ。地元で変化球を投げるコルブッチに直球どころか本場に近づこうとしたレオーネ、数日の間に二人のセルジオの作風を見比べることができ、そしてまさかのマカロニウェスタンを劇場で続けてみることができて、遅れてきたマカロニ者は幸せだったのです。(ブログより)

 これ一本で帰ろうかと思ったけど、同時上映の『ゾンビランド・ダブルタップ』も。正月からゾンビづいています。

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先月近代ゾンビのオリジナル『ゾンビ』を見たところ、今回は最新のゾンビ、ゾンビ事情を見ようと思った。ゾンビ災害で荒廃した世界。ゾンビたちも知恵を付けたり俊敏になったり多種多様に進化していた。そんな中、主人公たちはホワイトハウスをねぐらにし、悠々自適に暮らしては時折ゾンビを狩っていた。コメディタッチのゾンビもので、前回は未見。前回見たら面白さ倍増したのかな、いやでも難しいな、という印象。時代のせいか、コメディだからか、ゾンビに対する危機感が薄い。人類の脅威だったゾンビもここではすっかりやられ役であり、対象年齢に配慮したせいか血糊も少なめ。ヒャッハーとゾンビを狩る、これが今のスタイルなのか、納得しながらもどこかもやもやさせながら劇場を出た。(ブログより)

 なんだか満足していなかった様子でした。そして2月の超大怪獣、それに戦車と、戦いはまだ終わっていない! マカロニドバドバ大作戦、アートシアターに吹き荒れる銃弾と咆哮の嵐! は次回。

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