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◎百足の草鞋/電撃!劇場激情編



 そもそも、ここに毎日連載を行おう! と思ったのはとあるミニシアターの館長さんが休館中に『忘れないでね』とばかりに回顧録を始めたことに触発された、というとてもどうでもいい理由からなのです。いつもお世話になってるあの人が頑張ってる、自分も何とかせねば、という思いが歪んでこんな過去の恥部をさらすような文章になってしまったんですな。触発されやすく、冷めやすい男なのです。

 それと、この『百足の草鞋』は元々第一回目に書いたような、人生の大打撃をいつか書き留めて吐き出したい、という思いがあり、半分だけ書きかけていたのです。終の棲家と思い定めた場所を両親とともに出ないといけないという、下腹部がぎゅーと締め付けられるような思いの毎日。どこかに大金転がってないかな、朝目が覚めたら全部夢だったってことはないかな、と愚かな思いに駆られていた日々。そんな中でもどこか客観的に『曲がりなりにもモノカキの端くれなんだからこの出来事は書き残しておかないといけない』とぼんやりと考えていました。もう恥もなにかも晒したれ! と途中まで書いて三日坊主的に放置していたところにこの、世界的に外出を自粛しないといけない状況。自分の仕事は『介護深淵編』にも書いた通り介護職でもあるので、利用者さんがいる限り、感染者が出ない限りはシフト通りに出勤しないといけない。ところが今週、偶然にもシフトの都合でまとまった休みができてしまった。夏季、冬季休暇よりも長いのでは? と思えるぐらいに長い休暇。とはいえ家にこもるしかなく、暇つぶしに買ってきたソフビキットのゲッターロボを作りつつ、自室にこもっては昔集めた映画のチラシを眺めておりました。そこに某館長の回顧録。よし、自分も書いてみよう! という次第です。ここで引っ越しの経緯を吐き出してやろう、おりしもSNS上では休館中のミニシアターを回顧する方も多数おられたので、昔のチラシ見ながらよみがえった過去の映画遍歴をさらしてそれにも便乗してみよう、もうやけだから自分の生い立ちを振り返ってみよう、だれがおもろいねん、それ! そんなことがきっかけでした。だから、ネタが切れたらこれは終わるかもしれません。

 今回はそんな90年代、自分が一番よく映画を見ていた時の話を映画館ごとに。と思ったけど、上六のACTシネマテークはじめミニシアターのことは『関西銀幕編』でほとんど書いてしまったので、あまり細かく書いてなかった、ACT以上に足を運んだのは新世界のことでも。

 今でこそ観光地として海外からのお客様でにぎわい、串カツ屋とお土産物屋さんが軒を連ねる新世界ですが、20数年前はよほどの事情がない限り、大阪府民も足を運ばないと言われていた治安の悪い町でした。個人的には『じゃりン子チエ』の町(ちょっと位置が違うけど)だったり、幼いころ叔父に寄席(新世界花月。笑いすぎて漫才師に怒られた)に連れて行ってもらい串カツを食べさせてもらった町、という印象でした。よほどの事情でもない限りいかない町、そのよほどの事情が高校時代の夏休みに起こったのです。

 当時鳴り物入りで公開された日本製ハリウッドSF映画『クライシス2050』の同時上映が、新世界では『空の大怪獣ラドン』と二本立てだったのです。なぜその組み合わせ? そりゃ『クライシス』は興行自体がクライシスだったらしいので何を組み合わせても自由だけど、よりによってラドン? これは行くしかない! と当時和歌山に住んでいた自分は南海電車に乗って新今宮へ。小学生以来の新世界、確かに怪しげなおっちゃんおばちゃんがうろうろする、酒と尿の匂いのする町でした。とにかく腹ごしらえ、と食堂に入ってざるそばを頼んだら、店員のおばちゃんがものすごい勢いで持ってきたので、ざるそばの上のきざみのりが全部飛んで行ってしまいました。久しぶりに劇場で見るラドン、それに電車に乗って新世界に来たということも含めての映画館体験でした。

 そして大学生になり、映画を見る本数が徐々に増えだしました。岡本喜八、石井輝男に昔の時代劇を主に追っかけていた自分にとっては古い日本映画の娯楽作品を三本立てで上映してくれる新世界の映画館はとてもありがたい存在で、毎週のように通っていました。当時新世界には東宝、東映、松竹の作品を三館に分けて上映する日劇会館と邦画各社ごちゃまぜで上映する新世界公楽劇場、それと洋画がメインの新世界国際がありました(ポルノは除く)。そのうち、日劇と国際はいまだ健在というのも驚きです。

 日劇会館は東映、松竹の二番館的な役割もあったので、新作をお安く、時には『クライシス2050』と『ラドン』のように旧作との二本立てで見れたので、難波、梅田のロードショー館以上に通っていました。三本立て800円というのも学生にはとても魅力的な価格設定でした。ソフトがリリースされていようがフィルムがボロボロだろうが構わない、とにかくお目当ての映画を劇場で見れればそれで満足でした。日劇会館はよく休憩時間を飛ばして連続して映画を上映することが多かったので、事前に上映時間を聞いて、その5~10分前に映画館に入っていないと冒頭数分を見逃すこともよくありました。

 前にも書きましたが盆暮れには『仁義なき戦い大会』、夏には東宝の怪獣特撮物をよく上映してくれたので、そこで見た怪獣映画も少なくありません。後で聞いた話によると、かつて新世界には『新世界敷島』という劇場があって、そこが兵庫県の伊丹グリーン劇場と並んで80年代怪獣映画ファンのメッカだったそうです。
 
 ある日『宇宙大戦争』を見ようと劇場に時間を尋ねたら、今日からプログラムが、数日前に亡くなった若山富三郎追悼上映に切り替えたとのこと。宇宙大戦争を見れないのは残念でしたが、そのおかげで『子連れ狼』シリーズを見ることもできました。追悼上映は三か月ほど続いたと記憶してます。

 日劇に並んでよく通った公楽劇場は、一か月のスケジュールを書いたチラシの裏に半券を張り付け、10枚たまると一回鑑賞がタダになるというポイント制を取り入れていました。タイトルだけがずらりと並ぶチラシの中には見たことも聞いたこともない作品もありました。忘れもしない、そこで『必殺仕掛人梅安蟻地獄』を見た時のこと、隣の席のおっさんが『近所で宿をとっている。明日は早いので一緒に行って朝起こしてくれないか?』と声をかけてきました。朝起きるのにわざわざ見ず知らずの人間を誘う? ああこれはゲイのナンパなのだな、と思って断りました。すると今度は『1万やるからパンツ見せてくれ』と。学生に1万は大金、思わずチャックに手が伸びましたが、この暗闇でパンツなんか見えるわけがない。と、これも断るとしばらくしておっさんは劇場を出ていきました。軽めに書いてますが、実際はもっとしつこく何度も言ってきました。でもこっちは映画を見たいねん! の思いでした。

 映画が終わって劇場を出るとそのおっさんが外で待っていたので、ダッシュで逃げました。治安の悪い町、とはいえ被害に遭ったのはこの時だけ。後は映画見て、お金に余裕があればホルモンうどん食べて、800円の散髪屋で『慎太郎刈り』にしてもらい、日本最大のエロの殿堂ではないか? と思うほどにエロ本が充実しているM書店で時間をつぶしていました。あと、店主のこだわりなのか年中プロレスのビデオを流している中華料理屋もありました。

 公楽劇場はすでになく、今は日劇と国際を残し、先にも書いたようにクリーンな街になってしまった新世界。いまでも通天閣の下をくぐると当時のことを、そしてパンツ見せろおじさんのことを思い出し……ません。

 以上、新世界の思い出でした。日劇会館は現在、ポルノ、ゲイ映画と東映の上映館になっており、今でも東映の珍しい映画がかかると足を運んでいます。新世界国際は見逃した洋画をかけてくれるのでありがたいです。学生時代は行ったことがなかった、と思っていましたが、唯一、正統マカロニウエスタンの新作『ジャンゴ・灼熱の戦場』を見ていました。また、あのガチャガチャした町で映画が見たいと思っています。そして『京阪怪獣哀歌編』はいつになるやら。

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