見出し画像

ニュースでは報じられない怖い話(患者なのかバイオテロなのか・・・)

昔は不治の病と言われた結核は、現代では治る病気です。
ですがコロナと違って、数か月間も隔離して治療します。
多くの場合は治療完遂まで隔離に耐えてもらえますが、ごく稀に病院から抜け出してしまう方もいました。
そうするとどうなるのか・・・

自分が結核病院に勤務してた20年前のこと。
そんな事を繰り返し、バイオテロのようになった方のことを書いてゆきます。

1.最初は救急要請から

看護師「先生結核患者の救急要請です!」
自分「!?」
基本的に結核患者は、他の病院で診断されて、紹介されてくるものなんです。まず救急車からの救急要請はありません。
看護師「○○駅で苦しくなって自分で救急要請されたみたいです。なんでも1週間前に、広島の結核病院を脱院したみたいです。」
自分「分かりました~、収容OKです。」
滅多にないことなんですが、結核の診断がついていたので、救急車からダイレクトに受け入れ要請が来たわけです。

程なくして救急車が到着。
救急隊員からでは聞けない情報を集めるために、広島の病院に連絡をしました。

2.前医への連絡

「もしもし?一週間前まで先生の病院に入院していた○○さんが、先ほど救急車で来られました。情報がありましたら教えて貰えませんか?」
「次はおたくの病院に行かれたのですね。彼は脱院の常習犯で、うちの病院が42件目なんです。うちでは1週間ほど入院して脱院してしまいました。前々医から得た情報では、イソニアジドとリファンピシンは耐性化しているそうです。」
「・・・分かりました」

1週間ほど中途半端に抗結核薬で治療して中断、それを42回も繰り返すなかで、薬に効きにくい結核菌に進化してしまうのです。

彼は空腹で動けなくなっていたようで、食事を食べると元気になりました。が、とりあえず検査も行います。

3.検査結果

胸のレントゲン写真では両方の肺全体が炎症を起こしていました。
さらに痰を抗酸菌染色をすると、一面結核菌だらけのガフキー9号という結果でした。
前医で1週間ほどの治療をしても全然勢いが衰えていない結核菌、まさに薬が全然効いていない印象です。

とりあえず入院後は、イソニアジド+リファンピシン+エタンブトール+リファンピシンという4剤併用で治療を開始しました。

4.その菌の恐ろしさ

抗結核薬は何種類もありますが、イソニアジドとリファンピシンが効かなければ、非常に難治となります。
そんな多剤耐性結核菌はアメリカ疾病管理予防センター(CDC)では、早期の致死性はないものの発病すると有効な治療が期待できないことから、ニパウイルス、ハンタウイルス、黄熱ウイルスと並んでバイオテロのカテゴリーCに分類されています。

彼は今まで、脱院してはバイオテロにも相当する菌をまき散らす、そんなことを繰り返して生きてきたわけです。
接してみると、普段はいたって普通で悪い人ではありません。悪気なくバイオテロに相当する行いを繰り返してきたわけです。

5.その患者は・・・

自分の病院は、結核病院の中では居心地がよいとされている病院でした。
レクリエーション施設もあるし、広大な敷地内での運動も可能でした。彼も今回は真面目に治療しますと言っていたのですが、入院10日目に忽然と姿を消しました。
そしてその7日後、隣県の結核病院から連絡が入りました。次は隣県に行かれたようですね。

その後はどうなったかは分かりません。でも多分病気からして生きていないでしょう。

彼のことはニュースでは報じられることはありませんでした。
報じられていなくても、怖い事ってあるものだなぁと感じた出来事でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?