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写真と付き合い続けてるからと言っておごるなよ

写真集を作る時も、展示をする時も、インスタのフィードをつくる時もだけど、写真の難しく面白いところは、編み方によって意味が違ってくること。

映像は編集で見せて意味を作っていくので"小説的"であり、写真は詩的なのかな?と頭によぎってたことがあります。

以前仕事をしたことがある詩人の文月悠光さんが、ブルータスのインタビューで「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた(安西冬樹)という詩を取り上げていらっしゃって、蝶という小さなモチーフに焦点が合った後、海峡の壮大な景色が広がる。まるでカメラがズームアウトしていくように。豊かなイメージの広がりに注目してください

と書いていらして、僕なんかのしょうもなくくだらない知識で何を写真が詩的などと一瞬でも考えておるのだと恥ずかしくなりました。罪ですよ。

写真に言葉に当てはめる必要はやはりないな。写真は写真である。そして映像とは似ているようで当然のことながら、マテリアルが違うものであるなと、ビジュアル研究家、探究家として背筋が伸びました。

僕なんかが写真の下にこうしてテキストを書くなんて100年ぐらいはやいと思いますが、そんなこと言ってると死ぬので、自分なりに頑張って書いてます。はい。

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