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「止める・蹴る」に思う南米での経験から、ギャップ

最近、日本のサッカーでは「止める・蹴る」というのが話題となっていますよね。

「止める・蹴る」の基本的な練習に、2人1組で行う「対面パス」があります。

これはあくまでもボールを受けて、最速で蹴るための動作習得の練習です。

その段階だけでは、試合で活きる技術にはなっていません。

しっかりと自分の思ったところにボールを止める事ができることで、次のプレーに移行しやすくなるというのが大切なところであり、

止める事が目的ではなく、次のプレーに移行する事が目的です。

相手のプレッシャーがある中で、実際の試合でできる技術へと進化させるためにはそういう意識付けが必要だと思っています。


今回、僕が書きたいと思ったのは僕が南米・アルゼンチンで衝撃を受けた事です。

それは、日本的に言えば「パスの質の悪さ」です。

ボールが膝の高さだったり、空中を飛び交っていたり、日本では考えられないような質のパスが当たり前のように行われていました。

当然、日本で「正確な、ボールが弾まないで地面を這うような」パスが正しいと教えられてきた僕には衝撃というか、それよりも

「そんなパス出すなよ!」

というのが正直な感想でした。そうやって教えられてきた僕には止められるわけがなかった。

僕にとってのパスは、ボールが地面を丁寧に転がってくるものだったからだ。

地面を丁寧に転がっていくボールを蹴るのは僕がずば抜けて上手だったと記憶している。

しかし、ボールを止める技術に関しては自分が圧倒的に下手くそだった。

皆さんは膝の高さ、頭上に飛んでくるボールをパスと言えますか?

そして、パスのスピードもシュートじゃないかと思うくらい速いです。

でも彼らは、そんなボールを止める事ができるんです。時には脛(すね)を使ったり、お腹でボールの勢いを吸収したりもしていました。

あらゆる球種があるというのを想像できるのとできないのとでは大きな差がありました。

そうしたパスでさえ、自分が活躍をするためには止めて自分のプレーへと移行しなければ生き残っていく事ができない世界でした。

だから彼らはそのパスを止める技術を習得していた。

日本人の僕は、そういう荒れたパスを相手のミスと捉えて止める努力すらできなかった。


丁寧なパスというのはとても大切だと思う。

実際そうした南米の選手たちも活躍するプロの世界となれば速いスピードでかつ地面を這うような綺麗なボールを蹴る。

だけど、ボールを選ぶことはできないからこそ、蹴られたボールを止めるという意識は必要なのではないかと思いました。

相手のパスが荒れていたとしても、それが仮にミスだとしても自分がそれを止める努力をしないのは自分のミスではないだろうか?


そうした意識になると、とても成長する幅が増えるのではないかと思いました。

そして、ネイマール選手などの南米の選手達のアイデアはそういうある程度自由な発想、相手の元にボールが届くことが目的であってそのためにどの方法を選ぶのかという習慣があったからこそ、

「発想力がすごい!」

となっているのであって、彼らからしたらただの方法の一つでしかないのかもしれないと思います。

事実、僕が南米にいたときはボールを浮かせて頭上を超えてくるループパスとかは普通でした。

インサイドパスと同じ程度でしかなかったと思います。

すごい!とかそう言うんじゃなくて、相手にボールを届けるための方法であり、ゴールを奪うために相手を攻略するための方法でした。

ボールは地面をきれいに転がってくるものだとして、それを止めて蹴ることを練習することでもしかしたら対応力は限定的になるかもしれない。

ボールを止める側としては、どんなボールにも対応できるようにしたいですね。

その上で相手のことを考えて相手がプレーしやすいボールを届けると言うのが大切ではないでしょうか。

目の前に敵がいて、転がしてボールを届けることができないなら頭上を越えればいいと言うのが南米的な考えだと思います。

それも学ぶべきことだよね。


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