#226 日本語は日本だけ
おはようございます!
今日のお話は異文化、異なる思考の中で生活することによる影響についてです。
日本は島国であり、日本語という日本人しか話さない言語を用いています。
これは世界中で見ても極めて少ない条件だと言えます。
英語は言わずと知れた世界共通言語ですよね。
スペイン語なんかも訛りはあるといっても多くの国で通じます。
そして、日本は島国であってどこの国とも接していないことによって「一つの考え方」が正しいとされる傾向が強くなったのでは無いかと個人的には考えています。
僕は18歳の頃に初めて南米のアルゼンチンに渡りましたが、想像を絶するくらいの衝撃を受けました。
まず、彼らは僕のことを「馬鹿野郎」(Hijo de puta)と呼んでました。
最初の頃は、僕は意味を理解していなかったのでそれを真似して連呼すると彼らが爆笑してくれるからラッキーとすら思ってました。
意味を辞書で調べた時の衝撃と絶望感は半端なかったけれど、サッカーをしに行っていたので、サッカーで見返すしか無い!というようなベクトルに向いていたので、それは簡単に解決することができました。
それから数日して試合が行われた際に得点を決めると一気に周りの対応が変わりました。
良くも悪くもそういう国でした。
アルゼンチンとはいえ、南米大陸のあらゆる国から選手が集まっていました。そういう場所に身を置いて切磋琢磨しているというのはものすごい環境です。
差別だってあります。
僕も肌の色についての差別を初めて受けました。
日本にいたら、まずこんな経験はできないだろうと思います。
でも彼らは言語が共通しているんですよね。
チリやボリビア、コロンビアやメキシコ…と言った多くの国からその場所を求めて選手が集まってきている。
日本語は、日本という国でのみしか話されない言語だということのデメリットを感じました。
そして、日本は島国であって陸つなぎとなっていない。
だからお隣の国がどうだとかそういうことはあまり関係ない。
いま、東南アジアのラオスという国にいるのだけれど、タイ、ベトナム、カンボジアと国境を接している。どこの国も国民性の違いがある。その3ヵ国に囲まれるように位置しているのがラオスという国だ。
何かを決める際にも、お隣の国の状況や政策、情勢や情報というのがかなり影響をする。
この感覚は日本ではあまり感じなかったことだなと思う。
陸が繋がっていることによって、その大陸繋ぎで優劣関係もできているように思う。
ラオスではタイからの輸入品がほとんどを占めている。
僕は日本に生まれ、日本人として育ち、日本人として誇りを持って海外で生活をしている。
日本の事は好きだし、その日本の良さというのが世界にもっと広まればいいのになと思うことは多い。
例えばモノづくりや、その作り手の想いなどというのは世界に誇れるものだと僕は確信している。
だけど、反対に日本も世界をもっと知るべきだとも思うのが今日の僕の意見だ。
海外に出始めの頃には日本という国のプライドと誇りを持って、世界的にもある程度評価されている国だと自負していたが、いまは危機感を感じるレベルになっている。
若いうちに海外に出るということはとても大きな経験となると思う。日本は教育の中でも人と同じであれというような同調性が強く求められるような節がある。
同じ制服を着て、同じカバンを背負って、同じものを食べる。
たしかにここから学べることはあるけれど、失うこともある。違いを学ぶ、異なる考えや文化があるということを知る機会が削がれていく。
また、当然そうした個性が育つ機会というのも失われていくだろう。
日本は、人と同じであるべきとし、海外は個性的であれというような感覚だ。
近い将来、世界中で生まれた国ではなく、自分が住みたい国に住むという時代がやってくるのではないかと僕は思っている。
ヨーロッパなんかはもうそんな感じですよね。
言葉の面の苦労もあまりない。ただ、その国によっての税制など法律が違ったりはするけれど。
自分に合ったライフスタイル、生活の拠点を選択する時代になると思う。
そうなった場合、日本語は日本でしか話せないものだから厳しいよな、と思うのだ。