ネコネコネコネコネコ

近所の猫の話。
最近越してきた家の周辺。
6匹いる。
飼い猫?なのか判然としない。
たぶん地域猫というやつだろうか。
いつも路地の石段に銀皿が2つ、キャットフードが大量に盛ってある。
人懐っこいやつが3匹と警戒心が強いのが3匹
この前一緒に住んでいる友人と名前を付けてやった。
もしかしたら名前はもうあるのかもしれないけど。

一番堂々と近寄って来るやつはハンサムな雄猫。
これは普通の猫。王道って感じ。
顔が凛々しく、丸い。
こいつの名前は「タマ」。
何を隠そうお金玉が立派なのだ。
眼は黄色。
本当に人馴れしている。お尻の辺りをツンツンすると喜ぶ。
トラネコ。
焦げ茶とクリーム色の縞模様。
左耳の後ろにケガがある。痛そう。

「タマ」と夫婦っぽい雌猫が「くしゃみ」。
これは、この時期花粉症がひどいらしく、黒茶の顔が涙と鼻水でべちょべちょである。
可哀想に、同情する。私も花粉症である。
身体の色は薄いベージュ。
そして、人間の子どもみたいなくしゃみをする。
だから「くしゃみ」。
雑な名前の付け方だ。
春に出会わなければ花粉症でないのだから、「くしゃみ」ではなかったでないか。
しかし、春に出会ったのだ。「くしゃみ」でよろしい。
眼は淡いブルー。
まぁ、花粉にやられて全然眼は開いてないんだけど。
タマ同様、非常に人懐っこく、近づいてきてしっぽをすり付けてくる。
そして、お腹を見せて『撫でて』と、ねだるのだ。
かわいい。
後頭部をポンポンしてやると喜ぶ。
タマとくしゃみは、まぁラブラブである。

そして、その2匹の娘らしき華奢な白猫が「しっぽ」ちゃん。
白く細長いしっぽが特徴的である。
これはホワイトタイガーがスモールライトで縮んで、さらにダイエットしたって感じの見た目。
眼は淡いブルー。だけど横顔を見ていると黄色にみえる。不思議。
とても美人な猫である。
以上の3匹が人懐っこいほう。
たぶん家族だろうな。たぶん。

残りは「八の字」と「ボス」と、その愛猫。
「八の字」は臆病な若い個体で、白黒の猫である。
額の中央から眼の半分辺りを通って顔の中に三角形の黒毛と白毛の境目がある。いわゆる"はちわれ"。
だから「八の字」。
八の中が白。あとは黒。
背中は黒、お腹は白。
本当にビビりで、他の猫が人と遊んでいるのを恐怖半分興味半分で少し離れたところから見ている。
たぶん、遊びたい。でも、勇気が出ないのだろう。
眼は黄色。

そして、「ボス」。
もうこいつは誰が見ても「ボス」である。
キツネみたいにきな粉色の体毛がモシャモシャしていて、とにかく眼つきが悪い。
どう見ても睨んでいる。
『人間め、今日も我が物顔でほっつき歩きやがって。うちのもんに手ェ出したらぶっ殺すぞ。』と、聞こえてきそうである。
だからもうその眼つきの印象で眼球は血の色に見える。
怖い。
いつも縄張り(これらの猫は、あるお宅のガレージに棲み家を貰っている)の奥からこちらをジッと睨むのである。

6匹目は、ボスの愛猫らしき猫で、かなりの美貌の持ち主。
名前は、まだない。
いつも淑やかにボスの近くにいて、あまり動かない。
という面々である。

私は昔からあまり動物が得意でない。
怖いのだ。
小型犬すら怖いから大型犬はもっと怖い。
犬や猫やらの日常的な動物以外もだいたい苦手である。
しかし、6年前から住んでいるこの街にはとにかく猫が多いので、猫にはだいぶ馴れてきた。
少なくとも怖くはない。
猫が人に一般的に飼われ始められたのは古代エジプトまで遡るという。
狩猟時代は人間と獲物を共有していたので、むしろライバルだったらしい。
ところが、人間が農耕を始めると、お互いの利害が一致し、一気に犬に並ぶパートナー的家畜動物になったのだ。
そう、人間の穀物や書物を害獣、害虫から守っていたのは猫だったのだ。
益獣、ネコ様ありがたや。

してネコは、「寝子」らしい。
快適な環境で飼われている猫は1日20時間くらい寝るそうだ。
すると、恵まれたイエネコの一生は、ほとんど夢の中ということだ。
起きている束の間は、食うか遊ぶか。
呑気なものである。
いや、これは猫のことを言えない。
私の生活も寝て寝て寝て、食うて書く。
呑気すぎて各方面から不安視されている。
まぁ、したいことをしているというより、できないことができないのだ。
なぜかいつもこれしかできない、という感じに生きているから、人が思うほど自由ではない。
ネコ様も同じであろう。
別に自由気ままにワガママに生きているわけではないのだ。
彼らは彼らなりの生き方しかできない。
それだけだ。
それだけ。
今日は難しい話も説教くさい話もなし。
だって、実のところ、そんなのは自分だけで考えていればいいだけなのだ。
自分が一番分かっている。
しかし、どうしても思ってしまうことがある。
もっと、こう、魂から魅力的な人が増えたらいいのに、と。