Weekly自分_220822-220828_秋の匂いがしはじめましたね
はじめに
このnoteの無料部分では、僕が日々なんとなくやっている『糸井重里さんの「今日のダーリン」を読んだ感想文』が見れます。
また、有料部分は僕個人のWeeklyになっていて、普段から色々な場所に行ったりして感じたことが書いてあったりします。
今週の雑感
夏が終わっていく感覚があります。
少しずつ秋の雰囲気が強くなってきていて、早くも少し寂しいような気持ちになってきています。
暑い時は「早く涼しくなってくれ!」と思うのに、いざ涼しくなってくると「寂しいな」と思ってしまう感じもまた人間っぽくていいのかもしれませんね。
今週の「今日のダーリン」を読んで
8月22日
『アイディアはわりと高い確率で「考えようと思って集中する」よりも、なにか他のことをしているときに思いつく』
『あんまり意外性のある場所で、たくさんのものが生まれるということはない』
『「ちょうどよく変化する環境」を何に使うか』
という言葉を拾いました。
アイディアがお風呂で降ってくる確率はたしかにものすごく高いように思います。
また、家で仕事や勉強をしているとついついTVや冷蔵庫が気になってしまって結局あまり進みが悪いみたいなことも多々あります。
もしかすると刺激と誘惑は違うのかもしれないなぁと考えていて、刺激は外部から与えられるもので、誘惑は内部から湧いてくるものなのかもしれないなぁと思います。
ただ刺激が多ければ良いってもんでもなく、刺激ばかりの空間だとそれぞれの刺激を処理することに必死になってしまって自分の中から湧いてくるものを見つけるスキがないように思いますので、やはり適度な刺激が大切なのかなぁと思います。
そう考えると、こうやってぼんやり文章を書いている時間はちょうどいい感じではあるように思います。
8月23日
『子どもが、家族以外の大人として、いちばん長く接するのは学校の先生かもしれない』
『子どもの目というのは、なかなかオソロシイもので、大人の強さも弱さも、きれいなところもずるいところも、何気なく受け止めて、黙って見ている』
『貿易に不利なネパールでは教育に力を入れることで、先生がいわば「人の畑」をつくっている』
という言葉を拾いました。
僕ははっきりと学校の先生には恵まれたと言えます。
勉強はそんなに得意じゃなかったですが、毎日学校に行くのは楽しかったし、なによりも僕を教えてくれた先生たちはちゃんと僕(僕たち)の話を聞いてくれたように思うからです。
子どもという生き物は本当にまっさらなスポンジのような生き物で、良い悪いの区別なく身の回りにあるものを吸い取っていってしまうものだと思います。
だからこそ、悪いものを遠ざけるという方法も取られたりするのですが、僕は清濁併せ吞むというか、置いた人に邪念がなくきちんと説明できるのであれば悪いものが置いてあったりしても別に良いように思ったりもしています。
もちろん身体に悪いものは置いちゃダメなんですけどね。
そういえば学生時代の恩師に会ったりしていました。
8月24日
『損だとか得だとかの価値観を歪ませるようなことが、事をややこしくさせるのかもしれない』
『人口33万の一地方都市が、さてどんなフェスをできるのか?』
という言葉を拾いました。
数年前から「贈与」という行為について考える機会が増えています。
贈与とは関係性を持続させる効果があるようで、自分たちの父母の世代がよくお中元やお歳暮を贈りあっていたのにはそういう効果があったのか~ということがわかったりしました。
今回の前橋BOOK FESがどのような形のイベントになるのか激しく興味があるのですが、ちょうどその日程で別の予定が入っていたので、現地の様子はインターネットや友人からの連絡で楽しもうと思います。
前橋、少し前に行ったのですが、さらっと探しただけでは何も見つからないような雰囲気のする町だなと思いました。
ただ、町から漂う空気感はどこかいい感じで、文化的な匂いもして本当にこれからが楽しみな町だなぁと思ったりしました。
どうなるんでしょうね~!
8月25日
『名前だとか、星座だとか、血液型だとか、干支だとか、自己催眠みたいな役割はきっとあるものだ』
『芸名とかペンネームって、慣れたら本名みたい』
という言葉を拾いました。
僕も自分の子どもに名前を付ける時には意味を考えながら付けたように思いますが、これももしかすると親側の勝手なストーリーの押し付けみたいな感じになってしまうのかもしれません。
最近の人はおそらく当たり前のように源氏名というか芸名みたいな感じでSNSのアカウント名を使っているように思っていて、本名は知らないけどアカウント名は覚えているし、顔は覚えていないけどアイコンの絵は覚えているみたいな感じなのだと思います。
自分で自分の本名を決めることはなかなか難しいですが、自分のSNSのアカウント名は自分で決めれるので、どちらが本当の名前なのか?と言われるともしかするとアカウント名の方がその人の本当の名前なのかもしれないなぁとか思ったりしました。
どうなんでしょうね~
8月26日
『人は「きりがない」というのが、怖い』
『どこまでも「きりがない」と思うと、ガマンも、希望も見えなくなってしまう』
『「最悪で、どれくらいのことになるのか?をあらかじめ知っておくという知恵」は大人になってからできるようになった考え方だ』
『「きりがない」から離脱する→「ここらへんまではあり得る」というところをまじめに想像してみる→「覚悟」や「あきらめ」をする』
『最悪を考えるが悲観主義でもない』
という言葉を拾いました。
ついついネガティブな思考に囚われてしまい、際限なく「もしも」なことを考え続けてしまうような性質が人間にはあるように思います。
それはおそらく知恵が付いた結果、動物のように自分を守る角や爪や牙をなくしてしまった僕たちのご先祖さまが抱えていた不安みたいなものが僕たちの中にも残っているからな気がします。
ネガティブなことを考えているときは、とにかくまずはその思考を切ることから始めることが大切な気がしています。糸井さんが書いていた「きりがないから離脱する」です。
きりがない状態を切ることができれば、もう八割くらい快方に向かったようなものだと思うので、そこを真剣にとにかく切ることに州中するといいのかなぁと思います。
要は気の持ちようなのかもしれませんね~
8月27日
『「なにか質問はありませんか」という場面で、笑われちゃうかな、恥ずかしいなという気持ちを抑えて、「はい」と手を挙げるのも「勇気的なもの」の発動』
『そこのあなた、もう歯医者さんに行きなさいよ』
『夏の終わりには、身体や心がとっ散らかる。睡眠が大事だね』
という言葉を拾いました。
「勇気的なもの」という言葉はちょうどいい大きさの言葉でとても取り回しやすいと思います。
本当の勇気ではなく、日常のちょっとした興味関心を後押ししてくれるようなものが「勇気的なもの」なのかもしれません。
この「的なもの」という表現は控えめな感じがありつつも確実に物事のあいだや隙間に入り込んできてじわりじわりと動かしてくれるような力全般を指すように感じます。
こういう風な柔らかさがありつつ、きちんと自分や相手に刺さるような言葉のレパートリーを増やしていきたいなぁと思います。
そういえば最近「忘れ物してない?」ってトートバッグに本を入れたりしています。
8月28日
『矢沢永吉なりの「ちょっとしたしゃれ」』
『年齢が増えるほどやることが増えるとは、まったく想像もしてなかった』
『年下の人たちが遊んでくれるおかげで、元気でいられる』
という言葉を拾いました。
矢沢永吉さんのライブを見たことがないのですが、地味にテレビなどであまり報道されないところをみると本当にものすごい内容のライブになっているのだろうなぁと思います。
「しゃれ」という言葉の意味を昔、恩師に教えてもらったときに衝撃が走ったのを覚えています。
「要はズレ」なのだと。
オシャレとは、「シャレ」つまりズレている具合を自分で自覚した上で楽しむことだそうです。
シャレもそうだし、伊達や粋みたいな概念の反対にある言葉も「野暮」という言葉な気がしていて、野暮という言葉の適用範囲の広さみたいなものに関心しています。
「敢えて」はオシャレなんですよね
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更新終了-有益なことは書かない日記
備忘録代わりに日記を書いています。
大阪で音楽関係の仕事をしています。 アニメや漫画、TVゲームからボードゲームまで広く遊びが好きです。