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呟かない、書く
年始には目標を立てるのが一般的だが、どうやら違うぞとなり、数年前から僕は目標ではなく方針を立てることにしてみた。ただ、それも数年やってみて意外と微妙だなという感触があったので、今年は、年始に“やめること”や“しないこと”を決める、というのをやってみようかなと思い始める。
そこで決めたのが、「呟かない」ということ。
僕は生粋のツイ廃(Xに変わってなんという名になったのやら)で、思ったこと考えたことをすぐに口に出す代わりにTwitterに投稿してきた。
それはドイツで生活する中で普段どっぷりとドイツ語の環境に過ごしながらも頭のOSには日本語でプログラムが記述されているということのギャップで、やっぱり日本語で物事を考えてしまうことから逃れられない(逃れたくない)という思いから手を動かしていたのかもしれない。加えて、記録として残す、アウトプットすることで頭のデータベースから外部のファイルに考えを保存することで頭の中に考えるスペースを確保する為だった。
これが無意識の習慣となり、気づいたら140文字の制限の中で自分の頭の情報をまとめるようになってしまっていたように思う。到底140文字なんかじゃまとまるはずのないカオスを。
時代はあらゆるものがショート化していき、切り取られ、コンテクストのない無味無臭な情報で溢れる中で、これはいかんとどこかでブレーキを踏む身体の細胞があった。
そこで、呟きをやめることで今までそこに割いていたエネルギーを、コンテクストを含んだ長いアウトプットに促すことに使おうと思ったわけだ。
『呟かない、書く』というタイトルにおける、「呟く」と「書く」という言葉の定義は曖昧だ。まぁ要するに、なるだけ長尺のアウトプットを心がけていこうねというただそれだけのことではあるのだが。
ただ、呟くと書くでは明確に違うことがある。それは、書きながら思考が促されていくかという点だ。
「呟き」は、自分の頭をまとめる作業であり、140文字でまとめようと頭が働くので、その先に思考が進むことがない。まとめることが目的になってしまうからかもしれない。
一方で、「書く」は長尺になるので、書きながら自分では考えてもいなかったことが文章として出来上がってくることが多々ある。パソコンを弾く指に別の小さな脳があるような感覚で、書きながら自分にサプライズをくれ、それがさらに思考を促してくれるというサイクルが「書く」というプロセスの中に組み込まれているのだ。
これが非常に大事。だから、呟くのではなく書くのだし、『呟かない、書く』のだ。
ただ、長尺のコンテンツを大衆に届けるのは今の時代非常に難しい。でもいい。別に大衆に読んで欲しくて書くわけではないから。呟きだって誰かのためにやっていたわけではない。全部、自分のための自己満足でオナニーだったのだから。
というわけで、時代に逆行し、もっと長尺コンテンツに意識的に触れながら、長尺のアウトプットを意識していこうじゃないかという軽い決意表明を。ドイツの田舎にゆっくり流れる時間の流れにのんびりと身を委ねながら。
かくいたくや
1999年生まれ。東京都出身。大学を中退後、プロ契約を目指し20歳で渡独。23歳でクラウドファンディングを行い110人から70万円以上の支援を集め挑戦するも、夢叶わず。現在はドイツの孤児院で働きながらプレーするサッカー選手。
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