ChatGPTが書いた本が微妙だった
今話題のChatGPTが書いた本を読んでみた。
読んでみて思った率直な感想を綴り、加えて、今後文章というものがどうなっていくのかを考えてみたので自分の整理ががてら書いていこうと思う。
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まず、今回の本。率直に、非常に読みづらかった。
何度も同じ言葉が繰り返されたり、回りくどい言い方であったり。書き言葉としては非常に丁寧で正しい文法なのかもしれないが、読み手にはかなり苦痛。
例えば、1章のこの見出しの文章。
この短い文章の中だけでも「自分自身」というワードが17回も重複して出てくる。それに繋げる形で「自分自身に正直に生きるには〜」「自分自身に正直に生きるために〜」「自分自身の人生を〜」という表現が多用されているのが見受けられる。
これは日本語に限ったことではないが、日本語というの特には主語すらも省略するくらい「いかに省略するか」「いかに同じ表現を使わないか」が特徴の言語とも言える。
わかりきったことを省略せずに文章にされることがいかに読み手に苦痛を与えるのかというのを学ぶことができた。
普段のChatGPTとの対話であれば、本ほどの長い文章は形成されない為、それほど苦痛を感じることは少なかったが、こうして本になると苦痛だ。
文章だけでなく、目次にも文章の重複がみられた。
また、もう一つChatGPTの文章が読みづらくさせている理由がある。それが「文章の語尾」だ。
ChatGPTの文章は“必ず”「〜です」「〜ます」の形で終わる。実はこれが非常に読みづらい。
僕は普段それなりに文章を書く人間だが、ここには非常に気を使っている。できるだけ前の文章の語尾と同じにならないように気をつけると、それだけで文章が読みやすくなるからだ。
以上、この辺りが本を読んでみて気になった部分。
正直、非常に読みにくかったので内容がほとんど頭に入ってこなかった。
僕が読んだ感想としては、普段僕が読む本や文章と比べてChatGPTの文章はまだまだ劣っているなと。
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とはいえ、今後、このように本をChatGPTに生成させて数日で出版するという動きには可能性を感じる。
僕が上記で指摘した点は、ChatGPTに命令をすればすぐに改善した文章を生成してくれるはずだ。そうして改善したり、AI自身ももっと進歩していけば、そのうちChatGPTが書いたのか人間が書いたのかを見分けることが極めて困難になるだろう。(もうすでになっているのかも。)
僕の見解では、普段本を読んでいなかったり、文章に触れる機会が少ない人に今回の本を読ませたら、ChatGPTと見分けられるかはかなり怪しい。ほとんどの人が見分けられなくなるくらいAIの生成技術が上がってくるのも時間の問題だろう。
また、ビジネスの観点から言えば、これだけコストをかけずに作ることができれば、仮に数冊しか売れなくても問題がない。むしろ、「当たればラッキー」くらいの感覚でローリスクで大量生産することが可能だ。テーマもタイトルも見出しも文章も全部ChatGPTが考えてくれるから、誰でも数日あれば作れる。
あとは、誰が言っているのかが重要で、堀江貴文や西野亮廣のように説得力がありそうな人が書いたかのように作ることができればOK。フランチャイズに似た匂い、、、
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すでにChatGPTは人間の作業の大半を代替していて、ライターも執筆の補助としてChatGPTを相方に文章を書いている人も少なくない。AIアートが漫画家の卵や駆け出しのクリエイターを駆逐したように、ChatGPTの波はほとんどのライターを駆逐するだろう(いや、もうしている)。
ただ、僕は文章というもののニーズがなくなったり、文章を書きたい人が減るとは思っていない。これからも文章というのもは形を変えながら存在しつづけると思っている。
しかし、「文章の価値」に変化は起こるだろう。
例えば、SEOライティングを意識した文章なんかはChatGPTが得意だから、価値は下がっていくだろう。一方で、それほど役に立たないが面白い文章、意味のある文章、魅力的な文章の価値はこれまで以上に上がっていくのではないだろうか。
と、1人の物書きとして、これからどうしていこうか、色々考える機会になった。
ChatGPTありがとう。
文章の向上を目指し、書籍の購入や体験への投資に充てたいです。宜しくお願いします。