なぜ“サッカーだけ”やっていてはいけないのか|活躍に必要な社会性
いつからだろうか。「サッカーだけやってはいけない」みたいなことを言われるようになったのは。
大学生になったくらいの頃だろうか。
当時の僕は「サッカーで大半の人がプロになれないから、次のキャリアを考えておかないといけない」みたいな理由で言われてるんだと思っていた。
当時、ほとんどの人はそういう理由で言っていたのだと思う。
ただ僕は最近になって違う意見を持ちはじめ、「サッカーの為にもサッカーだけやっていてはいけない」というのが僕の考えになった。
結論「サッカーは社会そのもの」
タイトルの「なぜサッカーだけやっていてはいけないのか」に対しての結論は、「サッカーは社会そのものであるから」というものである。
ちょっとよくわからないと思うので、以下の文を見ていただきたい。
以下全文。
これは河内一馬さん(僕の学生時代からの仲の監督であり友達)がつぶやいていたもので、もうまったく同意見で共感の嵐。
日本からドイツにサッカーの場を移した僕は、これを痛いほど実感している。そして、ここにサッカー選手というもののすべてが集約されている気がしている。
サッカーだけやっている人の弱さ
僕も昔はサッカーしかやっていなかったサッカー小僧だった。母と商店街に買い物に出かけるときもボールを持っていて、人混みをドリブルで駆け抜けたりしていた。(あれはあれでめちゃくちゃ良いドリブル練習になった。)
何をするにもサッカーサッカー。そうして気づけば僕らは家族より勉強よりサッカーが大切になっている。
それだけサッカーに打ち込めばたしかにボールを扱う技術は上手くなるだろう。事実、僕はサッカーを扱う技術に関しては高い選手だった。
しかし、活躍できる選手にはならなかった。
それはすなわち、サッカーばかりやっていたがサッカー選手として成長したわけではなかったということだろう。
サッカーに打ち込めばボールを扱う技術は上がるが、サッカー選手としての活躍に繋がるかどうかはまた別問題なのだ。
そんなこんなで、僕はサッカーをサッカーとしか捉えていない選手の弱さっていうのを僕は数年前から感じるようになった。
それは僕がドイツでサッカーするようになり、本を読むようになり、サッカー以外の畑の人たちとたくさん交流を深めるようになりと、サッカー以外の分野にも時間を使うようになってから感じたことだ。
本に書かれているような社会で必要な知識や考え方が、サッカーでもかなり役に立つ。
サッカーの世界でうまく生き抜いていける人はすなわち社会でもうまく生き抜いていけるとは限らないが、サッカーと社会で共通する部分が多分にある故に、サッカーの大切な部分を抽象化すれば実社会で転用が大いに可能である。
ドイツの育成ではサッカー選手としてのクオリティと同じくらい「人間性」というものが重要視されているのだとか。これは「サッカーというゲームは社会そのもの」という主張を裏付ける大きな根拠になりうる。
つまり、サッカーと社会とを切り離して考えているようでは、サッカー選手としても社会で生きる1人の人間としてもプラスに働かないのだ。
だから、サッカーだけやっていてはいけないのだ。
というわけで
当たり前だが、サッカーに全く時間を注がなくていいというわけではない。
ただ、サッカー以外の時間も同じくらい大事で、バランスよくサッカーのために他分野の時間も確保する必要があるのではないだろうか。
ではまた!