映画の紹介26本目 『マンデラの名もなき看守』
こんにちは、TAKUです。
今日紹介する映画は、
『マンデラの名もなき看守』です。
この映画は、
ビレ・アウグスト監督の作品で、
南ア初の黒人大統領である、
ネルソン・マンデラと彼が27年にわたる
獄中生活の中で出会った、
白人看守との触れ合いを綴った感動の物語です。
【監督のビレ・アウグストについて】
監督はデンマークの映画監督で、テレビドラマのディレクターでもあります。
彼はストックホルムとコペンハーゲンで学んだ後、撮影監督としてスウェーデンで多数の映画製作に携わり、1978年「In My Life」で映画監督デビューを果たしました。
88年には、「ペレ」でカンヌ国際映画祭最高賞のパルムドールを獲得して、92年古典的アプローチで家族の人間模様を描いた作品、
「愛の風景」(91年)で2度目のカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞しています。
他の作品に、
「子供たちの城」(83年)、
「レ・ミゼラブル」(98年)、
「マンデラの名もなき看守」(本作。2007年)、
「リスボンに誘われて」(2013年)などがあります。
【あらすじ】
グレゴリーは南アフリカの刑務官でした。
コサ語を理解できるということで、
終身刑を受けたネルソン・マンデラを監視するという任務に就きます。
1968年、南アフリカ共和国ではアパルトヘイト政策により、黒人には投票権がなく、住居や就職、教育が差別されていました。
当初、マンデラを死刑にすることが当然と考えていたグレゴリーは、実際にマンデラと出会い、
その威厳ある態度に接することにより徐々に考え方を変え始めます。
マンデラの息子の死に、グレゴリーは自らコサ語でお悔やみを言って、お互いに友好的な会話になります。
マンデラは、アフリカ民族会議の『自由憲章』の意義をグレゴリーに説きますが、
グレゴリーは、釈放間近のアフリカ民族会議の戦士へのコサ語の「秘密指令」を上司に報告してしまいます。
その戦士は、釈放後に泳がされて連絡先に到着して、南アフリカ国軍の襲撃で戦死したことを知ります。
その後、マンデラ夫婦に便宜を図ったことが新聞報道されて、職場や地域の白人コミュニティーでグレゴリーは孤立していきます。
そんな中で退職を願い出たところ却下され、
南アフリカ当局は、彼のマンデラ番としての役割を重視していました。
その為、マンデラの移送先の
ボルスムーア刑務所でマンデラ番としての
任務に復帰することになりました。
1980年代になると、
アパルトヘイト体制批判の世論もあり、
孤立していた南アフリカ当局は、
ネルソン・マンデラに対する待遇を変えます。
その時グレゴリーは、
釈放予定の黒人政治犯あてのANCから秘密通信文を公安情報局に通報したことから、
ANCの秘密拠点が捕捉され、
軍の襲撃で多数の黒人運動家たちが殺害されたことを知り、衝撃を受けます。
南アフリカ国軍司令部前での爆弾が炸裂して、
一般市民に犠牲が出たのでした。
そしてグレゴリーは、
マンデラやシスルらANC元幹部らを集めて、
彼らを非難します。
そこでテロをやめさせる為、
指導者マンデラの役割に期待する白人が出てきました。
1988年には、マンデラが
ビクター・バースター刑務所に移り、
グレゴリーも転任することになります。
マンデラも刑務所内で広い屋敷が割り当てられるなどの自由を与えられて、
アフリカ周辺諸国の高官と会談するようになり、マンデラの釈放の日を迎える...という物語です。
【最後に】
本映画を鑑賞して現状では、
南アフリカは白人が小民族であり、
この映画だけを見ると"アパルトヘイト"の
負の側面が全面的に押し出されており、
客観性を持って鑑賞する必要があると思いました。
興味のある方は是非!