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三兎を追え。
上の写真は成人式のもの。将来を考えなければいけない大人の仲間入りをした時だった。
2023年2月、すごく難しい問いにぶつかっている。その問いは
「将来なりたい自分の姿」だ。
将来の夢、と言えば、小さい頃はサッカー選手になって、バロンドールを取ることだった。しかし、その難しさに中学生で気づき、中学生の自分が次に出した答えが
「学校の先生」
だった。それは様々な理由から至った結論だった。教師になれば何度でも青春を体験できる、給食を食べたい、部活動の顧問をしたい、生徒と楽しく過ごしたい、と、今考えても、ものすごく楽しそうな生活が想像出来る。さらに中学生の私は30までに結婚して子どもを作って子どもと一緒にスポーツをしたいとまで考えていた。中学生にしてはよく考えていたと思う。
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大学選びも教師になりたいと思い、数ある中から文教大学を選んだ。ほんとは学歴重視で他のところに行くのが妥当だったが、その時は教師しか考えてなかったからその道を選んだ。しかし、最近になって思う。
中学生の時に決めたことをそのまま他を考えずに突き進んでいいのだろうか、と。
何が言いたいかと言うと、中学生の自分が出した答えをそのまま他のことを調べたりもせずに、追い求めていいのかということだ。要は、学校生活しか知らない自分が勝手に憧れた教師という像にずっとすがっていていいのかということだ。◀◁◀あんまりうまく説明できなかった。笑
このまま教師になっても学校しか知らない人間になる、自分の可能性を狭めている、そう最近感じ始めた。
そして、私は決断した。
就職活動もやってみよう、と。
もちろん教員採用試験の準備もする。ずっと想い抱いていた仕事だから。だけど、就活で自分を試してみたい、そうも思った。だから、両方やる。
このようなことわざがある。
二兎追うものは一兎も得ず
二つのことけを同時に成し遂げようとしても、結局どちらも失敗に終わってしまうということだ。
いま、私はその状態なのかもしれない。
しかしだ。このような言葉もある。
少なくとも三兎を追え。
この言葉は、埼玉県が誇る浦和高校の校訓のような言葉だ。
私は、自分のなりたい姿をまだ決められずにいる。就職活動でも自分の将来のなりたい姿を聞かれるが、いまいち答えづらい。だが思った。無理して決めることはない。今やるべきことはいざ自分のやりたいことが見つかった時に、選択肢を増やしておくことだ。
だから、私は教員の道も就活も捨てずに両方やる。また、今年は学生生活最後の年だ。楽しむことも忘れてはいけない。全力で駆け抜ける、あるのみだ。
そして、これから先、自分のなりたい姿を探し続けようと思う。
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