思考のベクトル・脳力をどこに使うか?
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最近また思考のベクトルと考える力が現状の仕事に全てを持っていかれてしまい、自分を見失ってしまっていた。
寝る前に仕事、同僚のことを考えて、朝起きた時に昨日やっていた仕事の数値が頭に出てきて、その数値が合っているのかを確認している。
最悪である。
休日の朝起きたらまずは鳥の声を聴いて、鹿の警戒音を聞き、今自分は地球の上で寝ていて、風が落ち葉をこする音を聞く。朝起きたらベストはこれである。
自分のベストを考える。自然と自分が調和していて、家族が起きたら隣にいる。今日は何をしようか?と子どもと話し、ブランコを揺らす。平日は奥さんと野菜の管理をし、休日は古民家を改造し、子どもと遊ぶ。よし転職をしよう。
もう今の現状で自分が求めている物を達成できる気がしない。
10個求めている物を1つも達成できない。何もここには無い。10年前に決め打ちをしたルートを辿ってみたが、色んな多くの素晴らしい物に出会い、思考の新しい回路が生まれているのにそのルートを無視してしまっている。自分で自分の思考の話し合いからそっぽを向いてしまっている悪い状態である。
今日の朝思考のノイズから離れたくて、自分の思考の整理を書き出してみた。しかしそこでも考えていることは仕事のことであり、仕事の内容しかでてこない。そこで思い切って思考のノイズと真正面から向き合ってみることにした。一気に思考の中身が整理されたのである
今後思考のノイズに支配されたら、まずは支配してくるものと向き合う。ノイズから目を背けるのではなく、ノイズと真正面から話し合うのである。そこでノイズが一列に整理されて初めて自分が処理したい考え、考えたいことを処理することができる。
話はそれて、自分の思考のベクトルの話をしよう。思考の方向性は簡単に変わってしまう。会う人や読む媒体、出会った景色や、仕事、環境。環境で人は変わってしまい、会う人話す人で思考の回路や方向性は決まってしまう。
逆に言えば何を考えたいかは自分で決めることができ、先の短い人生で何を考え、何を話し、どの方向へ影響されたいのかも自分で決定することはできるのだ。
それに気づいていない日本人は多く、国民性ということもあり、変わっていて少数派が間違いという危ない思考を持った日本人が多いように感じる。個性を爆発させていて、自然と調和するのが好きなんです。という女性とこの前会い、食事に行った。一気にその人が羨ましくなり、自分が求めている物や仕事、環境、考え方を持っている人だった。
今の職場は特に環境が悪い。給料は良い。世間体も良い。仕事の内容も嫌いではない。職場の人の考え方に1ミリも共感できない。この組織に属し、先10年20年働き、自分の求めていることを達成することが1つもできない。
転職し、自分がやりたいことをやろう。
自分が求めている物は何か?贅沢なことではない。
家族が近くにいる。
自然と調和ができている。
自分や周りの個性を尊重できていて、個性を出せている。
仕事に情熱を持って接することができている。
んー全部を求めて、全部を達成することは難しい。今の現状で一番求めていることは何か?
良い環境に自分を置くことも、大切な人生のプロセスである。そこは結局自分次第であり、丁寧に生きるのも雑に生きるのもその人の個性であり、押し付けるのは良くない。今その人が何を求めていて、何を考え、どんな行動をしているのか?その人の好き次第である。
今の自分が求めている物は何か?
良い環境。自然が近くにある。自然と仕事がしたい。それが好きな人たちに囲まれたい。
今後どのようなアクションができるか?
農業で企業するには?場所は?作物は?
農業+副業で今の自分で何ができるのか?
そこの疑問点や曖昧な部分を半年かけて物にしていき、確定してから動き出そう。辞めてやったほうが、早いんだろうけど、情報は多い方が良い。