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【連載小説】稟議は匝る 6-2 東京・日比谷 2006年12月15日

翌日、山本は東京日比谷の本店9階、審査部専用第1会議室にいた。


もう、かれこれ、1時間になろうか。山本の目の前で瞬間湯沸器の異名を持つ田中審査役しんさやくと、ひたすら人柄が良いだけの、長瀬副支店長との間で、議論のようなものがなされていた。いずれも、お互いの昔話から始まって、後半は、山本が事前協議書に書いたメリットとデメリットを脚本のように言い合っているだけのつまらない小芝居こしばいだ。「今日は僕に任してくれたまえ」という副支店長の頼もしい言葉を信じて黙り続けていた山本にも限界が訪れた。


「すみません、私の理解が乏しいのかもしれませんが、本件にかかる審査部の評価を教えていただけませんか」


「だから、何度も言うが本件を対応する必要性が全くないといっているだろう」

担当風情に強い田中審査役が息巻く。


「いえ、必要性とかではなく、経営再建計画の蓋然性についてのお話しです。現在、支店は、たとえ非公式でも取引先から経営再建計画の提出を受け、金融支援の要請を受けております。支店では、同計画を慎重に吟味したうえで、本件は透明性・公平性を確保されており、計画の実現性も高く、かつ旧経営陣の経営責任も追及されていると評価しました。この支店が分析した計画の評価について審査部は何か異論があるのでしょうか」


つられないように極力淡々と言葉を継ぐと、上役の大渕審査部副部長の手前、お行儀をよくしていた田中審査役が、肩を震わせはじめた。どうやら山本は虎の尾を踏んだらしい。


「異論があるかだと、生意気な、」

立ち上がりかけた田中を制し、これまで、ずっと無言を通していた大渕副部長が口を開いた。


「いや、計画の評価について異論はない。むしろ良くできた分析だと思うよ」


「副部長お待ちください。山本!何度も言うが、バルクセールは審査部の方針なんだ。計画の分析に時間をかけ、債権放棄をして、企業の経営再建のイニシアティブをとるのは時代遅れなんだよ」


田中審査役が机をバンバンたたきながら息巻く。

紅潮した顔を冷静に見つめながら山本は反論した。


「審査役、バルクセールは、原則、再建不能と判断される先とありました。支店としては、当社は十分再建可能と、」


「いや、だから、普通、破綻懸念先は再建不能が、そもそもわが行が、なんでこの会社の経営再建に協力しなければならないのだ」


「当社は道東地区で1番の漁労、水産会社で、うちは準メインとして、」


「なにが準メインだ、準メインというのは景気の良い時に貸し込みたい奴が使う決まり文句だ。メイン以外はすべて一般行なんだよ」


「そんな無責任な、金融機関として、企業の経営が悪い時こそ、責任をもって」


「何が責任だ、金利減免、返済猶予、さんざん尽くしてきただろ。うちは、貸出なんてどうだっていいんだよ。資金を1000億円単位の短期で調達して、外債で長期運用する。その利鞘と手数料で経常(けいつね、経常利益のこと)を出しているんだ。経営目線じゃ、貸出金なんて、特に不良債権処理なんて、本当どうなったってかまわない。だから早く売ってしまえっていうのが分からないのか」


唾を飛ばしながら、自論じろんをまくしたてる田中に大渕が穏やかに口をはさんだ。

「審査役、それを一担当に行ってもしょうがないだろ、言いすぎだよ」


「いいえ、副部長、こいつにはちゃんと言ってやった方がいいです。いいか、山本、本店の営業部は毎日、不良債権の回収報告ばっかり上げてくる。破懸先に貸し込んでいるのは全国でお前だけだ、地方のドサ回りばっかりしているから、感覚がおかしくなるんだ。債権の大半を放棄するのも結構だが、吹けば飛ぶような田舎の企業にそこまで尽くす理由を説明しろ!」


漫画のように人差し指を突き付けられて、心中で冷静にと唱えていた山本もカッとした。

今まで取引してきた地方の中小企業の社長の顔が浮かんでくる。みな、べらぼうに稼いでいるわけではないが、地域と一緒に、社員一丸となってまじめに商売を続けている。


田中審査役の「吹けば飛ぶような」のフレーズが頭の中でこだまする。

今まで出会ったすべての方々を侮辱されたようで、怒りに震え、思わず席を立ち、山本は叫んだ。


「審査役、銀行が取引先を再建するのに、何か理由が必要なのですか!」


一瞬静まりかえる会議室。


地方支店を転々とし、ドサ回りと言われ、破懸先(はけさき:破綻懸念先の通称)の山本と揶揄やゆされる。陰口は散々聞いてきいてきて、自分では気にしないと決め込んできたが、これまでの局面が走馬灯のように思い出され、山本は何故か、あふれてくる涙を必死にこらえていた。


体が震えているのを相手に悟られるのも悔しいが、震えが止まらない。

それに気づいたどうかも分からないくらいの間合いで、大渕副部長ふくぶちょうがすくっと立ち上がった


「わかりました。本件は私が預かります。支店さんの思いはよく分かりました。審査部内で協議して、改めて連絡しますので。札幌支店の皆さん、お疲れさまでした」

そう言い置くと、大渕副部長は、ファイルをもって、会議室を出て行った。


「副部長、それでいいのですか」

などと言いながら、田中審査役が後を追う。いいとも悪いとも分からない幕切れだった。


札幌、羽田の日帰り出張の帰り道。

その後を山本はどうやって支店に戻ったのか覚えていなかった。

口惜しさと、自分の力不足を嘆なげきながらも、ずっと、「吹けば飛ぶような」のフレーズが頭から離れない。藤沢に何と言おうか、そろそろ会社も辞め時かなど、後ろ向きのことばかり考えているうちに、いつの間にか、山本は支店に戻っていたのだった。


時刻は20時を過ぎている。副支店長と課長は当然ながら直帰ちょっき。1階フロアは誰もいなかった。ため息をつき、自分の席に戻るとPCに大きな水色の付箋ふせんが貼ってあった。一目、美魔女の喜多川さんの文字と分かる達筆たっぴつの伝言メモだ。


「審査部、大渕副部長よりTELあり。バルクセールの必要なしとのこと」


バルクセールの必要なし・・・・・・、

ゆっくり席に座ったところで、山本の目から不意に涙が流れた。


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