【連載小説】稟議は匝る 15 札幌・社宅 2007年3月15日 (格付けと予算)
農林銀行札幌支店の社宅は、札幌オリンピックの会場ともなった大倉山ジャンプ競技場を眺める閑静な住宅街にある。
その社宅の202号室。いつもどおり、山本が0時過ぎに、怪しげな外国の通販番組を見ながら、晩御飯と晩酌を楽しんでいると、横に座っている妻が、話しかけてきた。
「そうそう、今日、社宅の奥様達の茶話会があったんだけど、格付けってなにかしら。みんな銀行出身の奥様達ばかりだから、当たり前のように話してたんだけど」
銀行あるあるだが、全国転勤の農林銀行のは社内結婚が多い。外様の妻にとっては分からない用語が飛び交うこともしばしばらしい。
「格付?」
いったい何の話をしているんだか、と思いつつ山本は説明を始めた。
「そうそう、格付け」
「格付けとは、銀行が融資している先をランク付けしているんだ」
「銀行にとって大事なお客とか、たくさん預金しているとか、そういうこと?」
「あっ、そうじゃなくて、このランク付けは、取引先の財務内容、つぶれにくさって言えばちょうどいいかな」
「つぶれにくさ?」
「そうそう。収益率がいいとか、自己資本が厚いとか、財務分析によって企業を点数化して、つぶれにくい順番をつけているんだ。1の1から10の2まで15段階に分けているよ」
「ふーん、じゃトヨタやアップルが格付け1ってこと」
「いやトヨタやアップルはたぶん2だね」
「じゃ格付け1ってどこなの」
熱心に聞いているかと思ったら、妻は足の指にマニュキアを塗っている。
だが、山本は気にしない。何にせよ自分の仕事に興味を持ってくれるのは結構なことだと鷹揚に構えている。
「格付1の1、1の2は日本国と実質日本国リスクの先だね」
「トヨタより、日本の国債の方がリスクは低いってこと?」
「まぁ難しい議論だけど、そう取り決めているぐらいと思っておけばいいんじゃない。1たす1が2じゃない場合もあるけど、2と仮定しないと先に進まないっていうか」
「ふ~ん、忖度ってこと」
「まぁ、そうかもね、あまり考えたことないけど」
「そうすると、銀行にとって、格付けの高い先がお得意さんってこと?」
「そうとは限らないっていうか、多分逆だね。リアル格付けで高いところといったら、トヨタや、ニトリといった、実質無借金会社だろうね。でも無借金だから、銀行が営業するメリットはゼロでしょう?だから多少財務内容が悪くても、いや悪くても、は語弊があるか。許容できるリスクの先でたくさん借りてくれる先が、お得意様かな」
言いながら、山本は手元のビールが空になったことに気づいたが、マニュキアを塗り始めた妻は、乾くまで一切動かなくなることを熟知ししているので、おとなしく自分で冷蔵庫に向かう。
「例えばどんな先?」
「そうね、1番はカード会社とかリース会社だよ。JCBとかオリックスとかは、お金を立替払して手数料をもらう商売だよね。だから商品はお金、銀行からお金を借りるのは、商品を仕入れているって感覚に近いと思う」
妻の大雑把な質問に答えながら、山本はリビングテーブルの前に座りなおした。
「でも、立替払いをするってことは、貸し倒れる可能性もあるってことよね」
「そうそう、でもカード払いで破産する人なんて限られているじゃない。それを統計的に貸し倒れする率を計算して、全体の収益でそれを上回るように利率を設定しているんだ」
「ふーん、でもカードを利用する時、手数料なんて払ってないけど」
「それは、お前が1回払いにしているからだろう。分割払いやリボ払いにしたら結構手数料を取られるよ」
「そんなリボ払いにしている人いるかしら、損じゃない。」
そう言う妻が、新たに缶ビールを開けようとする山本を目線で咎めてくる。山本は肩をすくめながらプルタブをひいた。
「それはお前がいい暮らししているから言えることだよ。いろんな事情があって、いくら手数料がかかっても毎月一定額しか払えない人はたくさんいるでしょう?」
だからビールの1本や2本でうるさく言うな、稼いでいるのだから。山本としては、そんな心持ちだ。
「それじゃ、困っている人からお金を取っているってこと?」
「たぶんそれは違って、分割払いやリボ払いをしている人は貸し倒れる可能性も高いよね。その辺は貸し倒れ引き当てに充てられていると思う」
「それじゃ、カード会社はどこで稼いでいるの?」
気が付くと、今度は、妻は顔に化粧水を塗りだして、パンパン顔を叩きだした。
「いい質問だね、ワトソン君。実は1回払いでもカード会社は手数料を取っているの。うちらは払っていないけど、小売店はカード会社に、だいたい3~5%を決済手数料として支払っていると思う」
「じゃ、お店は3~5%値引きして販売しているのと一緒ってこと」
それはお気の毒ね、知らなかったわ、という妻の顔は、マッサージ中らしく、ものすごい変顔だ。
「そうだね、でも現金販売だと手持ちに現金がない客は買ってくれないよね、カードで後払いだと買おうかなって客も増えるんじゃない」
「ふ~ん、それじゃ銀行のお得意様はカード会社やリース会社がメインってこと」
「いや、そういう先にはどこの銀行も融資したいから、結構競争は激しくて利鞘は薄いんだ」
「それじゃ、他はどんなところがお得意様なの。」
お得意様ねぇ、山本はポンポン質問してくる妻の姿勢が嫌いではない。
「1番は、装置産業かな」
「ソウチ産業!?」
「そうそう、工場やビル、商業施設などの設備投資が必要な会社。広い意味だと製薬会社なんかも当てはまるかな。」
「ソウチ産業のソウチってどんな漢字?」
「ピタゴラスイッチの装置だよ。先にまず設備や人間に大きく投資が必要で、長い時間をかけて回収するって商売。例えば、大きな工場を建てるにはたくさんの資金が必要だけど、まず工場がないと商品を製造できないよね。その商品も1年や2年でペイするわけじゃなく、10年、20年でようやく回収できるってのが多いかな。そんなときのための金融機関だよ」
「住宅ローンと同じ感じかな」
「そうそう、住宅ローンがいい例だね。お金を30年かけてためてから家を買ったら、その間は住めないじゃん。まずお金を借りて家を建て、分割して返済していく」
買ったからには返す。市井でもよく聞く言葉だし、それで仕事に張りが出るという人も一定数いる。
「カードより、工場の方がリスクは高いの」
「そりゃそうだよ。カードは何十万人も利用するじゃない。多少、貸し倒れする人がいても、全体で吸収できる。リスクは小口分散されており、なんて銀行は言うんだけど、工場なんかは企業1社のリスクでしょう」
「ふーん、それじゃその企業の格付けが重要ってこと」
「この場合は、格付けよりも未来の格付けってかんじかな」
「未来?」
「そうそう、格付けって結局、去年の成績なわけさ。過去の栄光の話。でも設備投資は、未来の話。この工場を作って、10年後、20年後、その会社はどうなのか、作っているものは新しい技術に負けないか、他の企業がそれより大きな工場を作った時、競争で負けないか、そもそも、10年、20年後にその商品は世の中に必要とされているか、とか」
「そんな未来のこと、銀行にわかるの」
女房は、なぜか大仏柄のフェイスパックを顔に張り付けている。
だいぶ面白いその姿に、笑いをこらえて、山本は冷静に答える。
「厳しい指摘だね、さすがワトソン君。まぁ、結論から言うと、易者よりはましぐらいかなぁ。でも融資する時に銀行と何度も相談して計画を修正している企業は、失敗する率が低いと思う」
「そうなの」
「そんな統計はないけどね。肌感覚で、少なくとも倒産している先は、過去に銀行が簡単に融資している先がほとんどだね」
「そんなもんかしら」
「そりゃそうさ、この計画で本当にいいのか、いろんな人の目線からの指摘で計画を修正していき、少しでも良い工場を作りたい、と社長や社員がそうやって頑張っている会社は、未来にいろいろな困難があっても、きっと乗り越えていくんじゃないかな」
「さすが、破懸先の山本のいうことは含蓄がありますね」
「破懸先?なんでお前そんなこと」
「まぁあまぁあ、いいじゃないですか、真空缶ここにおいておきます。それではそろそろ先に休ませてもらいますよ」
山本の妻は、俺には真空缶さえ渡しておけば、夫は機嫌がいいとおもっている節がある。そして寝室に下がろうと、テーブルに手を載せ、立ち上がろうとしたところで、妻が思い出したように、
「ちょっと、気のせいかもしれないんですけど」と言い始めた。
「ん、どうした」
「ちょっと、あまり大げさにしないでくださいね。なんか、最近、おばあさんか、おばさんか、たぶん60歳前後だと思うんですけど」
「おばあさん?」
「なんか、私、その方につけられているような気がするんです」
「知り合いなのか」
「いえ、全然、最初、気のせいかと思ったんですけど、ここ1,2週間よく見かけるようになりましたし、すごく怖い顔をしているんです」
「へーそれは気になるね」
「あなたまさか、60代のおばあさんと浮気しているわけじゃないでしょうね」
「そんなわけないだろ。どうせ浮気するなら若い人にするよ」
「ああ、そうですか。年取ってて悪かったですね」
「そうだな、お互い若くはないってことだ。ははは」
「あまり神経質になるのもどうかと思うけど、一応お耳に、ぐらいかしら」
「わかった、明日、総務課長に相談してみるよ」
債権回収した先の社長の奥さんとかか、第3者破産申し立てをした先の誰かかだろうか。破懸先ばかり担当している私を恨みに思っている先はいくらでも思いつく。逆恨みを加えれば、もっときりがない。
おばあさんだとすれば、刃物をもって襲ってくる心配も少ないと思うが、社宅の敷地内に防犯カメラでも設置してもらおうか。
「ふーん、つけられているか」
いろいろ気になることも思い出し、山本は普段よりも長く通販番組を見ていた。