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【連載小説】稟議は匝る 6-1 札幌 2006年12月14日
6-1 札幌 2006年12月14日
「馬鹿野郎!」
受話器からフロア全体に響く怒号が伝わってくる。
ここは農林銀行札幌支店の1階、山本は本店の審査部と電話で打ち合わせをしていた。
打合せと言っても、相手が怒鳴っているのが大半で、山本は受話器を耳からだいぶ離している。
あーあ、またやってるよ山本さん、と言いたげなフロア中の視線を一身に浴びながら、それでも山本は罵声が途切れるタイミングを計っていた。
「そもそも、正式な再建計画の中身も見ないで、何を、どうしろって言うんだ。非公式書類と、お前の試算と推論と擬制で、私に何を判断しろというのだ」
「重ねて申し上げますが、本件は私的整理ガイドラインに基づく再建計画の事案で、」
「そんなことは判っている!」
息を継ぐ瞬間に大声で割り込まれる。しらず、山本の声のボリュームも上がっていく。
「ですから再建計画が提示された場合の対処方針について協議をさせていただきたく」
「協議なんていらない。開示債権はすべてバルクセールにかけろ、が審査部からの指示文書だ。いちいち面倒くさいことをするな」
開示債権とは不良債権のこと、バルクセールは、債権の売却のことをいう。審査部は再建計画から手を引けと言っているのだ。
「審査部の指示文書では、原則としてと、ありましたが、」
「原則は原則だよ、もういいからこの事前協議書は差し戻す」
にべもない審査役の言葉に、山本の受話器を持つ手が白くなる。
「お待ちください。それでは支店が持ちません。事前協議は、わたくしの個人的見解ではなく支店長以下ハンコを押しております」
ここで門前払いでは、藤沢にも申し訳ないし、山本自身の小さなメンツも丸つぶれだ。なりふり構わず、食い下がる。だが、相手はけんもほろろに言い放った。
「だから、これは私が審査役の権限で差し戻すといっているだろう」
「ならば、明日、審査部を訪問しますので15分でいいですから時間をください」
「担当風情が、何を生意気なことを。わざわざ札幌から上京しなくていいわ。旅費がもったいない」
「それなれば、支店長以下で参りますので、ぜひとも日程調整を」
「一担当の分際で差し出がましいわ!」
おそらく向こうの受話器は叩きつけられているのだろう。切られた内線電話がツーツーツーと空しく響いている。フロア全体の同僚たちは、今まで注視していた山本から目線を逸らしてシーンと静まり返っている。いつの間にか立ち上がっていた山本は、音を立ててオフィスチェアに座り込んだ。
「山本君、ちょっと」
長瀬副支店長が手招きしている。山本がのっそりと近づくと、なだめるように言った。
「かなりやられたね。審査部はそういうもんだから気にしないで。田中審査役には、私も課長時代にだいぶ叩かれてねぇ」
人の好さだけで副支店長の地位に就いたと陰口をたたかれている人の話を、山本は上の空で聞いていた。山本は副支店長席の前に立ち、事前協議を審査部で却下された場合、残される手段は何があるだろうと頭をひねっていると、支店の営業補助の喜多川から声がかかった。支店きっての美人行員はは、苗字もきれいだ。
「山本さん、内線2番に田中審査役です」
「自分で電話を切っておいてねぇ。ほんとに・・・・・・。
すみません、山本はトイレで泣いていますって伝えてくれませんか」
陰で美魔女と評される喜多川は、万事心得た様子で電話に応えている。ハイハイうなずいているが、目だけで、さっさと変われと山本に訴えていた。それでも山本がとぼけていると、
「山本さん、ごめん無理。審査役が、そこにいるんだろ、早く代われって言ってますよ。」
とクールに言い放った。
山本も観念して、副支店長が何やら話しているのを無視して、わかりましたと言って自分の席に戻り、受話器を取る。
「はい、山本です。はい、はい、はい・・・・・・、わかりました」
フロア中が、再び耳を立てる中、
ゆっくりと受話器を置いて、山本は立ち上がった。
「副支店長、課長、すみません。明日11時に審査部との打ち合わせが入りました。審査部は副部長と審査役が対応するとのことですので、ご同行願います。飛行機は始発で間に合います」
大きいか小さいか、有名か無名かに関係なく、どんな会社だろうと、再建計画は3つの柱からなる。1つ目は赤字部門を廃止し黒字体質とすること、2つ目は遊休資産を処分すること、3つめは、取引先の支援を得ることだ。3つ目のあるなしによって、ただの経営改善と企業再生の違いとなる。取引先の支援とは簡単に言うと銀行の債権放棄のことだ。銀行が借金の棒引きを行うことによって企業が生まれ変わる、至極、当たり前の話だ。
いくら銀行や監査法人、会計士などが難しい用語を駆使しようと本質は変わらない。債権放棄によって企業は生き返る。企業にとって100億円、200億円というのは目がくらむ金額であるが、銀行からすれば、決算の誤差の範囲内の話に過ぎない。
だったらどんどん放棄してあげればいいじゃないかとなるが、当然ながらみんなが返さないと立ちどころに銀行も倒産する。やってあげてもいいけど、ほどほどに、というのが本音のところ。そのため銀行は赤字部門の廃止が手ぬるいだとか、黒字化の蓋然性が弱いだとか、遊休資産処分の実効性じっこうせいに欠けるなどとチャチャを入れる。
要は銀行の匙加減なのだ。
本件も、メインが第三者破産申し立てを行ったり、バルクセールといった債権の売却を行ったりすれば、遠からず白銀水産は倒産する。メインの北都銀行が企業再生を行う方針だからここまでたどり着いたのだ。メインが再建方針なのに他の金融機関が賛同しなければ、倒産の引き金を引いたのはあの銀行だとなる訳で、銀行の立場からすれば、貸し倒れよりも評判が下がる方がよっぽど痛手となる。
つまるところ、銀行は信用取引が前提で、自分の評判を1番気にしている度し難いどしがたい生き物なのだ。
そのため白銀水産の企業再生は既定路線といってよい。なによりメイン北都銀行が中心となって再建計画を作成しているのだ。
当然、赤字部門は廃止し黒字化の目途をつけ、遊休資産の処分についても、自分の系列の投資会社、不動産会社を駆使して短期間に行う目途もつけている。各金融機関が債権放棄しやすいように、経営責任として、創業一族の役員退任、私財処分などといった納得感も忘れていない。
白銀水産が、普通の製造業や流通業であれば、難なく再建計画は成立するだろう。でもこの会社は水産業者なのである。
水産業の再建計画は非常に難しい。なぜ、水産業の企業再生は難しいのか。それは製造業や流通業などと違い、分かりやすい赤字部門というのが見つけづらいからだ。例えば、一般的に工場の作業員は生産に応じて数を調節するため変動費であると簿記のイロハを学んだ者なら誰もが知っている。銀行員の財務分析でも、例外なくそのように試算されるが、現実は違う。地方において、もっとも難しいのは従業員の確保なのだ。
一般的に製造工場の主役は機械であるが、水産加工工場の主役は人間である。なんでも機械化すればいいじゃないかというのは素人考えで、手作業が1番効率的な工程が多い。例えば、鮭のいくら500gパックを作る工程においても、500gを機械で仕上げるのはとても困難だ。いくらの粘り気と粒のつぶれやすさにより、これまで何十という機械メーカーが挑戦したが、現役で使われ続けているものは皆無といってよい。つぶれないように柔らかな操作にすると重さの誤差が生じ、極力重さを均一にすると、逆にいくらがつぶれてしまい歩留まりが極端に落ちてしまうのだ。結局、人間がスプーンで掬った方が、1番効率良いとなっている。
同じように鮭の頭を切り落とす工程も、魚体の形や、大きさ、色味などにおいて、機械は歩留まりぶどまりが悪く、人間が包丁で切り落とした方が圧倒的に効率的であると結論づいている。さんまを発泡の箱詰めにするのも、発泡スチロールに魚を入れるのは人間、氷の入れる量を調節するのも人間、ビニールで覆い、蓋をし、セロテープで封をするのも人間、パレットに積み、フォークリフトを運転するのも、トラックに荷詰めするのもすべて人間だ。機械が使われているのは氷を作って、荷詰め工程の上まで配管で送る工程ぐらいか。このように、水産工場の主役は人間なのである。
特に北海道の水揚げは、秋味、サンマ、サバ、シシャモと極端に秋に偏重しているため、水産業者は従業員の確保に、いつも頭を悩ませている。当たり前だが、従業員の側からすれば、多少時給が安いとしても、通年雇用してくれる工場を選ぶのだ。そのため、秋だけ工場を稼働させる会社は、いくら立派な設備を保有していても、従業員が確保できず、極端に生産性が落ちる。水産業は機械化できない部分が多く手作業に負う部分が多いため、繁忙期には猫の手も借りたいのだ。
結局、水産業者は、従業員の確保を優先し、工場を通年稼働させる。秋以外の季節に従業員を暇にさせないために、さまざまな仕事を考えるといった本末転倒がまかりとおるのだ。
例えば、5月に北海道太平洋川沿岸で漁獲するサケ・マスの取り扱いを行ったり、近海物きんかいものを大量に冷凍し、年間通して、すり身加工を行ったりなどといった、秋以外の季節に仕事を作るのが水産会社の工場長の腕の見せ所となる。
この手の因果関係を数字で説明するのは極めて困難だ。銀行に説明するのは容易ではない。「そんな工場、事業譲渡し資金化して借金を返してもらえ、黒字の漁労部門に特化した方が良い」という尤もらしい審査役の意見の方が、こと銀行の中では正論となる。
私が再建計画を作ればそうなるのかもしれない、いや私でなくても大方の銀行員はそう考えるはず、と山本は思った。再建できないより、漁労部門を確実に残した方がいいに決まっている。あんな屋根に穴が開き、壁は剥げ落ちはげおち、立っているのも不思議な工場は、帳簿上は収支均衡でも、普通に保守メンテナンスをすれば赤字に転落するだろう。赤字部門として廃止する理由はたくさん浮かんだ。
しかし藤沢は違った。おそらくそんなこと最初から考えもしない。この工場は必要なんだ、から入っている。毎朝魚市場に顔を出してから出社する昔気質の銀行員は背骨がまるで違うのだ。おそらく北都銀行の内部も、時間をかけて説得したのだろう。
山本は自問した。逆の立場の場合、私にそれができるだろうか、と。