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【連載小説】稟議は匝る 1-1 根室 2005年11月6日

1-1  根室 2005年11月6日

 道東の11月はすでに厳冬の趣だ。

本州では紅葉の最盛期だというのに根室では最低気温がマイナスになる日も多い。地理的に太平洋に面しているため驚くほど雪が降らないが、路面にはうっすら氷が張っているところも散見される。実際ここを訪れるために空港近くで借りたレンタカーもすでにスタッドレスタイヤを装着していた。

「ですから社長、当行としてはこれ以上の返済猶予は難しく・・・」

ここは室内だが、社長が暖房をわざとつけていないようで、吐く息もうっすらと白い。

・・・よほど、我々に長居してほしくないらしい。
容易に判じられる嫌がらせを受けてなお、山本の口調には余裕があった。親子ほどの年の離れた佐藤に噛んで含めるような調子で言葉を継ぐ。

「こちらをご覧ください。」

指し示した書類に目を落とした瞬間、不意に山本の背後で大きな物音がした。
はじめ何が起こったのかよく分からなかった。正面を見やると赤黒い顔をした佐藤が鼻息荒くして立ち上がっていた。先ほどの大きな物音は彼がこちらに向かって応接テーブルに鎮座していたクリスタル製の灰皿を投げつけてきたものだ、と気づくのにはしばらく時間がかかった。

「・・・申し訳ありません。お怪我はありませんか」

秘書らしき年配の女性が、割れたガラスの灰皿を拾い集めている。よくある光景なのだろうか。

「社長、当たったら死にますよ。正気ですか」

ただの脅しなのは分かっているが、驚くと同時に無性に腹が立ってきた。びくびくする様子を見せるのも癪で、山本は必死に落ち着いている体を装った。隣を見ると支店から随行してきた新人の大熊が青い顔をして震えていた。

「こっちは失うものなんてないんだよ。文句があるなら帰れ」

戦後の混乱期にリアカーを引きながら魚売りをしていた苦労人は、1代で道東で、1、2を争う建設会社の社長に成り上がった。だが御多分に漏れず、バブル期の多角経営の失敗から債務超過に転落。100億を超える借入金は、現在すべて返済猶予の扱いとなっている。返済猶予とは、毎月の元利金の支払いを停止している状態をいう。山本が務める農林銀行の貸付金は10億にも満たない所謂下位行であり、融資の上位は、地元の地銀と信金、そして漁協となっている。

「お前も、女を連れて取引先回りとは、いいご身分だな」

箒と塵取りでクリスタル片を片付けた秘書が1礼して出ていくと佐藤は再びどっかりとソファに腰を下ろした。
いちいち、ガラが悪い社長だと思いながら、山本は丁寧に言葉をつなげる。

「社長、電話でも申し上げましたが、返済のご計画を」

「うるさい、返せないものは返せない。返せるとしてもお世話になっている地銀、信金を優先して返済する」

「おっしゃることは理解できます。ただ社長、私も子供の使いではなく、」

己が早口になっていることに気づいた山本が息を継ぐと間隙を縫って佐藤が大きな声を上げた。

「悪いが、ここから録音させてもらうからな。顧問弁護士の指導でな」

これ見よがしにICレコーダーをテーブルに置く。田舎の顧問弁護士なんて、そんな顧問料を払う金があるなら借入金を少しでも返済しろと、のどまで出かかったが、山本は何とか冷静を装った。

「録音したければ、どうぞご自由に。社長、重ねて申し上げますが、私も子
供の使いではありません。今後の事業計画の作成状況、および今後の各金融機関への返済予定について、お聞かせ願えるまで今日は帰りませんよ。」

「あんたもしつこいな。どこに事業計画を作成する人員がいるんだ。帰れ、帰れ」

「私の身にもなってくれませんか。札幌からプロペラ機で御社に来るのも3回目。本店の審査部署などからは無能呼ばわりされて、帰りはいつもシクシク泣いているんですよ」

「お前が、シクシク泣くようなたまか。わざとらしい。建築業界は、公共事業の減少からひたすらリストラを繰り返し、ようやく息をしているのに。金、金、金か」

「私は銀行員なので、当然、金の話になりますよ。しかし、御社の経営状況を鑑みて、実質的に返済猶予の協力させていただいておりますよ。その辺りはどのようにお考えですか」

大きな革張りのソファに座りながら、自分自身、前のめりになっていくのがわかる。

「慇懃無礼とはお前のような奴に使うんだ。いいよ、勝手に差し押さえればいいだろ。トラックでも重機でも本社でも、差し押さえして、うちの会社を倒産させてみろよ。100億のうちの貸付残10億未満の分際で、偉そうに。やれるもんならやってみろ。やれないなら、2度とうちに来るな」

「社長、社長がそういうお考えであれば、私も不本意ながら、対応を検討させていただくことになりますよ」

「おー、よく言ったな。大手金融機関の脅しか。まぁいい」

佐藤が座っている1人掛のソファの後ろ側は、ステンドグラスになっている。古いが堅牢な作りで、かすかに光輝いている。先ほどまで冬特有の淡い日差しが差し込んでいたのだが、いつの間にか、薄暗くなってきた。本当に道東の天気は変わりやすい。
入り口をそっと開ける音がして、先ほどの秘書らしき年配の女性が、失礼しますと言いながら、そっと部屋の照明を付け今度は応接テーブルの上にアルミ製の小さな灰皿を置いた。
灰皿の到着を待っていたかのようにテーブルに置かれている大きな大理石のライターに自分の顔を寄せ、くわえたタバコに火をつけながら、佐藤が言葉をつづける。

「さっきから震えているお嬢ちゃん、どうせアンタも、いい大学出ているんだろ。根室の人口をしっているか」

大きなソファの奥の奥まで深々と座りふんぞり返っている社長が、足を組み替えながらこちらを見下している。大熊は、小柄な体をさらに小さくしながら答えた。

「えっ、はい、3万人弱であったかと思います」

「おう、さすが旧帝卒。何を聞いてもスラスラ答えるよな。でも現実の社会でそんなもん1円の役にも立たない。根室の人口は3万人弱だが、実際はそれより数千人多い。」

佐藤は用意された灰皿に煙草の灰を落とすと、大きく煙を吐き出す。

「それはどうしてですか」

「それは、ロシアの漁船が密入国しているからだ。領海だ、なんだといっても、広い海岸線を常時監視できるわけもない。普通に漁港に停泊し、漁獲物を裏ルートで売って、船員は、飲み屋やスナックでお金を落としていく」

「・・・密入国は違法です。警察や、地域住民の通報などはないのですか」

好奇心に勝てなかったのか、さっきまで怯えていた大熊がおずおずと会話に入ってきた。

「地域住民は喜んでいるよ。安く仕入れができて、商店でお金を使っていってくれるんだから。いいお客様じゃないか。警察だって、わざわざ取り締まる必要もないし、そもそも田舎の警察の装備では戦えないだろ。ロシアの漁船は、普通にロケット弾なんか持っているからな」

「ロケット弾・・・・・・」
大熊は、聞いてはいけないものを聞いて、しまったという顔をし、上目遣いで山本を見やった。

「社長、もういいです。そろそろ本題を、」

「おう、言われなくとも本題に入るよ。山本君、君は、まだよく分かっていないが、根室はね、そういう町なんだよ。そいつらの中には、10万円渡すと簡単に人を殺す奴がいっぱいいるんだ。・・・君らは大丈夫か」

佐藤は、たばこの煙を大きく吐いてそう見栄を切った。大熊の貧乏ゆすりが尋常じゃない。床はコンクリートだろう。ハイヒールがコツコツと当たり部屋全体に響き渡っている。
これは明らかな脅迫だ。発言を録音しているといったのは自分ではないか。

「・・・社長、もう結構です。当行は来月中に第3者破産を申し立てます」

最後通牒ともいえる山本の言葉は佐藤には響かなかったようだ。発言の意味が分からなかったのかもしれない。

「破産申し立て?できるもんならやってみろ。どうせ費用倒れだろ」

「費用倒れかどうかは社長に心配していただく筋のものではありません。1応、その後の見通しを説明させていただくと、」

「ふん、そんなのできるものか。べつに、こっちはこっちで顧問弁護士に、」

「まぁ、2分で済みますから。今日から1ヶ月以内に、私は社内稟議を取って、裁判所に御社の第3者破産申し立てをします。同時に連帯保証人の白銀水産会長の第3者破産申し立ても行います」

白銀、の名前に佐藤の態度が明らかに変わった。
ゆっくりとタバコの火を消し、背筋を伸ばして山本に正対した。

「白銀さんは、うちの非常勤の会長で名誉職だ。何も関係ないだろ」

素人にも分かる殺気を放ちながらこちらを睨みつけている。折からの寒さもあって山本も、ざわりと腕に鳥肌が立っているのがわかった。

この人は、ホントにそっち側の人間かもしれない。

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