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【連載小説】稟議は匝る 9 札幌 2006年11月20日

(審査部、営業統括部連名の特発文書)


月曜日の朝7時、農林銀行札幌支店の支店長室には独特の緊張感が漂ただよう。


山本の目の前には、大きな支店長机と、その机の前に10名ほどで会議を行うことができる、さらに大きなテーブルがある。テーブルは、おそらく特注で、大人1人ではびくともしない。配置を変えるときは業者を呼ばなくてはならないほどの重厚な作りだ。またテーブルを囲むように設置されている椅子も、そこらではお目にかかれないほど、座り心地の良い椅子だ。


しかし、その贅沢な椅子も、毎週月曜日の朝7時から開催される管理職会に参加する面々とっては、針の筵のような椅子となる。


管理職会といえば聞こえが良いが、平たく言えば、週に1回開催される支店長の説教タイムだ。

営業課から事務課まですべての課長職が招集され、各課、先週の動きと今週の予定について説明し、支店長の温かいお言葉を頂戴するという昭和の雰囲気漂う会議だ。


農林銀行では慣例的に各地方に1つずつ設置される基幹店舗の支店長から、毎年1人は役員に昇格する。客観的に考えて札幌支店長は現況、下から数えた方が早いだろうから、誰の目から見ても、役員の芽はないんだが、本人がどう思っているかはまた別の話である。


山本は張り切って長々と訓辞を垂れている支店長の姿を見ながら、内心嘆息した。

今年1年で、札幌支店では2名の課長職が依願退職したが、支店長自身は、パワハラだとは思っていないだろう。会社のために使えない管理職の首をはねてやったぐらいの認識に違いない。


山本は知っている。札幌支店のすべての課長職は、毎日、心の中で、支店長か、自分か、どちらでもいいから早く異動させてくれと念仏のように唱えていることを。


そんな日々のプレッシャーに、山本の課の「育ちが良い」だけが売りの安藤課長が耐えられるわけもなく、毎週月曜日は、かなりの確率で持病の腰痛が痛み出す。持病の腰痛を信じているものは誰もいないが、あえて誰も指摘もしない。今では、この管理職会に山本が代理出席しているのも、当たり前になりすぎて、もはや、だれも代理だと思っていないかもしれない。


毎度この管理職会は、すべての課長が、ひととおりの薫陶を受けたところで、最後に所管部からの通知文の読み合わせを行う。支店長曰く、今、本店からどんな指示が来ているのかを、縦割りを超えて、支店一丸となって対応するためだとか。この読み合わせを終えたら、自分の席に戻れると皆が気を抜いたところで、支店長が声を挟んだ。


「吉野君、この審査部、営業統括部の連名の特発文書はどういう意味かね」


特発文書とは、本店の部店を統括する所管部が部支店に対し、通知する指示文書だ。

だだの調査もあるし、もっと頑張れといった発破をかけるものから、緊急性を要する案件の事前打診まで、様々な用途で使用される。こと金融機関においては、緊急性を要する案件はあまりないので、なにかのエクスキューズに使われることが多い。


例えば、台風で被害が起きたとする。

金融庁から、「台風被害で困窮こんきゅうしている人々に対して、金融機関は丁寧に対応すること」などの文書を受けた場合、とりあえず、農林銀行では、各部支店に対し、特発文書を発出する。

役所に対してきちんと同内容を周知徹底しましたよと答えるためのアリバイ作りだ。


官庁も形式的だから、金融機関も形式で答える。山本に言わせると、しょうのない小芝居のようなものだ。ともかく、農林銀行においては特発文書をまじめに読んでいるのは、本当に出世する人間か、出世したい人間だけなのだと言える。


当然、まじめに読んでいないが、ご下問を受けてしまった吉野営業課長は、びくりと肩を揺らし驚いたように、慌てて答える。


「この特発文書は、まほろば銀行の動向について、全国の支店で悉皆調査を行っているものと思われます」


「そんなことは見ればわかる、私が聞きたいのは、なんで、という裏の意味だよ」


吉野営業課長は、ポケットからハンカチを取り出し、傍目はために分かるほど、だらだら流れる汗を拭きながら、しどろもどろに言葉を継ぐ。


「裏と言われましても、プライムレートのまほろばですから、動向を探り、当行の戦略の参考にするということではないでしょうか」


気の短い支店長は、机を右指でコツコツ叩きながら、大きくため息をついた。


「吉野君、君は一体年収いくらなのかね」


「いえ、それは皆さんの前では」


「皆さんの前でもないだろ。年功序列で、階段形式で上がるのだから、多少ボーナスに違いがあっても、みんな課長職についている時点で、1700万円ぐらいもらっているんだろ」


「えっつ、はい、身に余る給料を頂戴しております」


確かに、身に余る給料という観点では、私を含めここにいる人間は給料泥棒と言われても仕方がないくらいに、もらい過ぎだ、と山本は小さく頷いた。


ここでは主任調査役の山本でも1500万円弱、課長手当てがつくとさらに200万円、年次が上がる都度、毎年50万円ずつベースアップするのだ。


それは、偉そうに宣っている支店長も同じだ。支店長というだけで、2500万円。

支店長は上がりのポストだから、これ以上の給与アップは望めない。このあと役員もしくは関連会社の役員にすべりこめるかどうかは、所幹部の評価次第だ。


それにしてもと、山本は今仕入れたばかりの情報を分析し始めた。

営業統括部と審査部が、連名でとは、確かにただ事ではない。


「そんなことのために、悉皆調査はしないだろう」


こいつらみんな馬鹿ばっかりだなという目つきで、支店長は管理職全員を見回す。

そして今度は何を思ったか、


「山本君、君はどう思う」

と、山本にボールを投げてよこした。


支店長におもねる気もないので、山本は淡々とボールを打ち返した。


「はい、この特発文書の内容は、各部店の管轄内におけるまほろば銀行の貸出状況の調査と、同行と当行のシェア調整が必要な場合は前広に相談しろとの2つの内容です」


「うむ、肝はその2つだな」

山本の答えは御意を得たのか、支店長の態度が若干和らぐ


「貸出状況の調査は、当行とまほろば銀行が貸し付けている先については、すぐに残高確認がとれますが、わからない先の方が多いでしょう。有報(有価証券報告書のこと)をかき集めても、推計値の域を出ません。つまり悉皆調査をしろというのは、相手先に聞かない限り、不可能です」


言いながら山本は頭の中で整理する。

そうだ、聞かなければ分からないようなことを、なぜ特発文書にする必要がある?


「そんなの当たり前だ」


「ですよね。」と山本は大きく頷く。


「はい、ですから、この悉皆調査というのは、相手先に聞いてこいという意味でしかないと思料します」


山本の言に支店長ばかりか、他の出席者からも「何を言っているんだこいつは」という雰囲気が漂う。


「そんな、他の銀行に、貸出先の残高を聞かれて、ほいほい答える馬鹿はいないだろ、だから、悉皆というのは掛け声で、」


呆れたような支店長の声にかぶせて、山本は自身の考えを述べた。

「いいえ、掛け声で、いちいちこんな表現はつかいません。つまりこれは、聞きに行けば、まほろばは、内々に答えるということだと推測します」


「そんな馬鹿な」

支店長は、本当に意味が分からないという顔でこたえる。


「おそらく、うちは、まほろばになにがしかの貸しを作っている、今なら、まほろば銀行がメインを張っている貸出先については、シェア調整や、新規参入について一定程度、許容されるということではないでしょうか」


そう考えれば、この妙な特発文書のつじつまが合う。

自信ありげな山本の態度に、管理職全員がざわめきだす。


「ちょっと静かに」

支店長が片手をあげて声を張り上げる。

少し考えた後で、支店長は、なぜか小声でゆっくり話し出した。


「優良債権の切り売りをするなんで、どんな貸しを作ったのだ」


思いもかけないところから転がり込んできたチャンスに興奮する自身を押し殺しているようだ。


「それは私にはわかりません、しかしこれは、当支店にとって大きなチャンスかと存じます」


「これは、経営の指示かね」


経営の指示とは、役員会の非公式決定のことをいう。農林銀行では、その他にも、非公式の頭取の意向をAさんの指示、専務のそれをBさんの指示と呼んでいる。


「おそらく、経営層は知らない話だと思います。経営の指示であれば、先週開催された支店長会議において、頭取から明確な指示が出されたと思います。特発文書ということは、所管部の独断だと思います」


だから、わざわざ判りづらくしている、それが山本の読みだった。


「なるほど」

支店長は椅子に深く座りなおして、天井を見て何か考えだしているようだ。


一呼吸おいて山本は話し出した。

「ただ、これは審査部、営業統括部連名ですが、明らかに審査部主導です」


「どうしてそう思う」


「まほろばの残高を奪ってこいだけなら、営業統括部だけの特発文書で十分なはず、審査部連名にする必要はないでしょう。むしろ審査が名を連ねているということは」


「事前審査でチャチャを入れないという」


「そうだと思います」


支店長が急に立ち上がって、声を上げた。


「吉野君、これは支店の大プロジェクトになるぞ、うちの取引先のすべてを洗い出し、まほろば銀行と取引のある先についてリスト化して対策を講じよう。」


「差し出がましいと存じますが」

山本も立ち上がって言葉を重ねた。


「君から余計なことを聞かされたことがない。なんだね」


「まずは、リスト化よりも、支店長が、まほろば銀行の札幌支店長あてに表敬訪問された方が良いと思います」


「というと」


「まほろば銀行の正常先の取引先で、当行の取引のない先について、新規取引として2億円の空枠を作らせて欲しいと依頼しましょう。2億円までの新規は支店長決済です。これで100~200社の新規取引が成立します。4半期の残高が減るのは、まほろば銀行の支店も困るはずなので、4半期は一旦いったんゼロに、残りの平残で収益を稼ぎましょう」


銀行の決算開示は4半期ごとで、その時点の貸出債権の残高が記載される。同残高は月末の残高なので、末残と呼ばれている。当然、大きく変動があれば、何かあったのかとネガティブ情報になりかねないので、4半期の末残まつざんは、どの金融機関もかなり意識している。


しかし、金融機関の実際の収益は、平残×利率で計算される。

平残とは、平均残高のこと。例えば、3,6,9,12月末の残高がゼロでも、1日から29日まで借り入れていれば、利息は発生する、実益はこちらの方だ。


今回の件に当てはめると、まほろば銀行の立場からすれば、末残さえいつも通りであれば、多少平残が減少しても、外部の人間にはよくわからないということだ。


「吉野君、善は急げだ。まほろば銀行の札幌支店長のアポを取って」支店長が息巻くいきまく。


「支店長残りの特発文書の読み合わせはいかがしましょう」


「それはもうよい。管理職会は終了する」


「山本君、ありがとう」


一同皆、一礼して支店長室をそそくさとあとにした。


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