【連載小説】稟議は匝る 13 札幌 2006年9月22日
(のんきな農水省)
この年、日高地方を中心に大規模な台風が上陸した。
北海道での台風や津波の被害は珍しい。だいたいの場合、台風は本州で温帯低気圧となり、北海道には影響がほとんどなくなるからだ。
しかし、ひとたび台風上陸となると、漁労、水産業への影響は極めて大きい。船舶の損傷はもとより、定置網や、養殖池などの損傷そんしょうの他、水揚げ量の減少は売り上げに直結する。かける保険金も限度があり、ひとたび大規模災害があれば、漁業者の生き死にに直結する。
そんな未来を予測したかのように、昔の優秀な官僚は、地域を守る施策をきちんとうっていた。激甚災害法はその1つと言ってよい。大規模な災害が発生した場合、国がその復旧に責任を持って対処するというのが法の趣旨で、災害復旧について予算措置が取られる。
局地的な被災を局激とよび、全国的な被災を、法律用語ではないが、局激に対して本激とよぶ。どちらも助成率などにおいては、差はないが、政治家や官庁のイメージはだいぶ異なるので、予算措置の規模に実質的な影響を与えているのは事実である。
そのため、被災地の水産関係者は、本激の指定をして欲しいために、被災状況を事細かに調べ上げ、水産庁や族議員へ嘆願に出る。被災地復興のスピード感に大きな影響を与えるため、漁協、全漁連などの職員は寝る間を惜しんで資料を集める。農林銀行もその例外ではない。
被災企業の設備の被災状況の調査から、復旧にかかる費用や時間の試算、流通経路、仕入販売業者への影響、水産業者の資金繰りから、日々の生活資金まで、やるべきことは無限にある。
今回、日高地方への台風上陸の被災状況は思ったより影響が大きく、次々と報告されてくる漁業者、水産業者の被災の影響は、どんどんひどくなっている。
不幸中の幸いで、死亡した人は、自分の船を確認に行った80代の老人1名だけで、人数とその年齢に、ある程度の納得感はあったものの、設備の被害が尋常じゃない。地域の広さだけで見れば、局激であるが、漁港のかなり深部まで陥没しており、湾岸それ自体の復旧はいくらぐらいかかるのかと、地元住民は途方に暮れている状態だ。
普段は日高地方の担当ではない山本も、休日返上、深夜残業で、他の課のサポートをしている。そんな皆がイライラしている時に、農水省の役人は徒党を組んで札幌支店を訪れた。被災前から決まっていた日程であったが、ここ1週間の繁忙さで、山本はすっかりその日程を失念していた。
農水省の訪問理由は、農商工連携のパンフレットづくりの試作についての意見徴収だ。
農商工連携は、1次産業の高齢化・担い手不足、農村の人口減少、自給率の低下など、暗いトレンドしかない農業分野において、希望の光といっててよい。
ブルーベリー畑の観光農園、搾りたての牛乳から作ったこだわりのアイスクリーム、1年で2カ月だけ働き、残り10カ月は遊んで暮らせるマンゴーのハウス栽培など、若い世代にも魅力的に映る。
今回の農水省が作っている農商工連携パンフレットは、そういった農紹介連携の成功事例から、国の補助事業などを網羅した、威信をかけたパンフレットだ。
完成後は、来年度早々、全国のJAから生産者へ、中小企業庁から創業スクールまで幅広く活用される見通しだ。力の入れ方も尋常じゃない。
しかし、農水省と、林野庁はかなり親密と言ってよいが、水産庁はまったく交流がないといってよい。縦割りとはこのことかとはっきりわかるぐらい、水産業についてのフォローは少ない。そのことは農水省が1番よくわかっており、水産関係のヒアリングは、農水省が自ら現場に出向いてヒアリングを行っている。
今回も、同様の場なので、農林銀行としては知っていることさえ喋ればいいだけの気楽な会議である。それだけで、農水省は知らない情報であるし、自然と農水省とのパイプも作れ、さすが農林銀行と会社の評判も上がり、ひいては支店の評価、ひいては支店長の役員の目も多少はあがるかもしれない超ラッキーな会議であるはずだった。
しかし、支店長室に呼ばれた山本は、最初から不機嫌だった。
農水省の農商工連携課の課長から、課長補佐、主幹、主任と、誰がどれだけえらいのかわからない中、たくさんの資料が広げられたテーブルをみている。交互に農水省の役人がいろいろ資料の説明を行い、意見を求めてくるが、当の山本は、ええ、とか、そうですねを繰り返すばかりである。
耐えかねた支店長が声を荒げて、
「山本君、せっかく農水省の皆さんがヒアリングに来ているのだから、何かアドバイスを差し上げなさい」
と支店長が少し声を荒げたところで、山本は静かに立ち上がった。
「今、被災地では、船を流され、網が破れ、湾岸も朽ちている状態です。そんな中でも、必死に歯を食いしばって何とか立ち上がろうと努力している人もごまんといれば、それを必死で支えようと歯を食いしばっている人もごまんといるんです。それに比べて、あなた方は何ですか。役所は縦割りでしょうし、あなた方の部署には関係ないのかもしれません。それでも、あまりに無神経すぎませんか」
山本の早口は止まらない。
「農商工連携の成功事例、補助金のパンフレット、そんな玩具みたいなものを作る予算があったら、漁網の1つでも修繕してあげたらどうですか、私は、被災地の集計作業があるので失礼します」
声を荒げて、言いたいことだけ言って、山本は席を立った。
「山本君!」
支店長も声を荒げるが追ってはこない。
支店長のメンツは丸つぶれだ。
そんなこと、この人たちに言っても詮無き事、みなそれぞれ領分があって、それぞれの役割があるのだ。そんなことはわかっている。
誰かが一生懸命作ったものを玩具みたいなものとは、言いすぎだし、配慮もかけている。
それも、すべてわかったうえで、山本は我慢できなかった。
若く青臭いといえば、ゆるされる年齢でもなくなっていることも含めて、山本はすべてわかっていたが、それでも山本は言わずにはいられなかった。
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