保守とは何か
暇に任せて徒然と書いてしまったので、自分でも着地点のわからない文章になってしまった。まるで老人の徘徊のような文章で申し訳ない。
「ビジネス保守」と言う言葉をSNSなどのネット界限でよく聞く。
保守の立場を標榜しつつ、顔々なネットを含む番組で論客として議論したり、本を出版したり批評したり、講演会に登壇しているが、実は保守の信念などを持たず、あくまで利益の為のイメージとしている商法の事を言うのだと理解している。
保守を掲げて、それで収入を得て生計を立てている人の事をビジネス保守というのであれは、殆どの保守論客と呼ばれる人はビジネス保守になってしまう。
つまり、真の保守主義者かビジネス保守かの違いは、その人物の内心の問題という事になる。
保守論客と聞いてます頃に浮かぶのは、西部邁や渡部昇一、それに昨年亡くなった西尾幹二だ。この場合の論客とは、政治家や官僚を除く、純粋に言論の中で活動している人物に固定させてもらう。
保守主義。その国の伝統文化風習を守りつつ、時代の変化に合わせて微調整していく。経済面では積極財政、減税などである。国枠主義とも言うし、ナショナリズムと英訳される。
それに対して革新主義は、今までの歴史を否定して、革命によって新しい世界を構築すると言うものだ。革命の為には今ある社会制度を破壊する必要があると言う思想だ。経済面ではマルクスの資本齢に倣ってとにかく緊縮、増税というのが革新、日本ではリベラルや左翼主義者の脳内だ。社会主義、全体主義とも通じる。所謂グローバリズムである。
真の保守主義者とビジネス保守に戻るが、内心の問題である以上、他人からは判断できない。しかし、内心は必ずその人物の言動に表れるものだ。そこから判断するより他に手立てがない。まさか束して自白を打つわけにもいくまい。
真の保守主義。または保守主義者にとって、たとえ西尾幹二の様な巨人であっても覆せない重大な欠陥がこの国にはある。
それが日本国憲法と、日米軍事同盟である。とかくこの日本では、この「軍事」という重大な言葉を取えて外して報じているが、これが正式名称だ。そしてこの同盟は非常に偏った不平等なものである。意外にも、日本にとってではなくアメリカにとって負担の大きいものになっているのだ。
日本国憲法第九条で、「日本国はあらゆる武力を持たない。他国との紛争においてこれを行使しない」と明記してある。つまり相手が国家である以上、一切の武力攻撃を行わないという事だ。自衛隊が軍と呼べないのも、専守防衛の理念もここから生まれている。
しかしそれでは他国の侵攻を防ぐ手段がない。そこで出てくるのが日米軍事同盟である。
大国アメリカの軍を日本に置くことで、他国の侵攻を防いでいるのだ。
つまり、日本国への攻撃は、アメリカへの攻撃とみなされる。
どこの国もアメリカと事を構える気などあるはずもない。今や貿易などの経済面でも大きく関わっているし、何よりアメリカは「核」を持っているからだ。
中国やロシアなどの大国も核ミサイルを大量に保有しているが、一発でも他国に向けて撃ったら最後、あらゆる核保有国が撃ち合うことになり、人類は滅ぶ。
核は使うことのできない、抑止力のみに効果のある兵器なのだ。だが、その力は絶大である。たとえ北朝鮮の様な最貧国でさえ、核を保有している疑惑があるだけで手を出せないのだ。かつて核を保有していたのに、隣国に説得され放棄した途端ロシアに侵攻されたウクライナも逆の意味で核の抑止力を証明したことになる。
いわゆる「核の傘」に核兵器を持たない日本は守られてきた。日本は戦後80年間もの間、アメリカによって平和をもたらされてきたのだ。
この動かしがたい現状が、保守主義とは致命的に相反するのである。
本来であれば、自国を守るために軍を創設し、核兵器を保有して抑止力を持つ。
これが現代における保守主義であるはずだからだ。
しかし、日本では、保守主義者の中でも、核保有を否定する者もいる。
いわゆるグローバル保守という思想だ。日米軍事同盟を堅持しつつ、他国の侵攻を防ぐ。経済面においてもアメリカとの関係を主軸とし、まさに経済安全保障の観点からもこれを是とする考え方だ。現実保守と言ってもいいだろう。
しかし、先ほど解説した通り、保守とグローバリズムは本来相容れない思想のはずだ。
現実に、物理的に、日本にはアメリカの空軍と海兵隊が駐留している。
そして事あるごとに太平洋沖や日本海上で海軍を中心とした軍事演習が日本と、あるいは韓国と行われている。目的は言うまでもなく、中国やロシアに対する牽制である。
アメリカにとっても対中、対露政策として、日本に自国の軍を置いておくことに利がある。
この社会主義、全体主義国が日本を超えて太平洋に躍り出てくることを防ぐのが最大の目的なのだ。特に中国への警戒は強い。いつ台湾に軍事侵攻するかわからない情勢だ。
第三次世界大戦の口火を切るかどうかはこの台湾侵攻にかかっているといっても過言ではない。
グローバル保守と言う、捻じれた思想が生まれるのも、現状の日本の国防体制が他国に大きく依存した状態であるからに他ならない。
先の戦争で日本を焦士にした挙句、原爆を二発も落としたアメリカ。本来であれば憎むべき敵国であるはずが、戦後GHQ主導の愚民政策によって、悪いのは日本で、アメリカは素晴らしい国だと洗脳された。その後に一気に流れ込んできたアメリカの映画や音楽やファンションやコーラに魅了され、憎いけど大好きと言う完全に倒錯した思いをアメリカに抱くようになった。所謂来コンプレックスと言うものだ。
私の親世代、80代より上の世代ほどこの傾向が強いようだ。
本来の保守主義、国防は自前で行う。必要ならば核も持つ。その上で他国との同盟関係によって更に抑止力を上げる。これが日本では非常に困難を伴う、現実性の乏しい作業である事は前述した通りだ。
だからこそ、現状の体制のままで国体を維持して発展していく。
ナショナル保守とグローバル保守の違いはそこにある。
しかしこの呼称もよく見ると釈然としない。
ナショナリズムと保守主義は同義語だから、馬から落馬と言ってるようなものだ。言葉の重複である。一方グローバルと保守は相容れない捻れた言葉になっている。
真の保守主義とは、己の利益を顧みず、国益の為だけに論を展開したり、実際の活動を行う事を言うのだろうと結論づける。
そんな人間が一体どれほどいるのだろうか。