24日日記
寒い。この秋初めて寒いと感じた。
寒いのは決して嫌いじゃないが、急激な気温変化は体調面で応えたりする。
この間の日記で妙に身体が熱くなると話したばかりなのに。
高校2年以降は、特に印象にない。
部活もやらず、たまに暇な文化部に顔を出したり出さなかったりで、後は友達達とコンビニで立ち読みしては、ポテチ食ってはテレビを見る。
そんな高校生活だった。
相変わらず授業は退屈だけど、国語と英語は好きだった。
悶々としていたかもしれない。後はギターを弾いてはうるさいと文句言われたりとか。
2年の終わりに、修学旅行に行くことになっていた。私立らしく海外旅行で、一個上の年代までは中国が旅行先だった。
今と違い、当時の中国には誰も悪い印象を持っていなかった。烏龍茶もこの時初めて飲んだ。
日本茶とは違い、急須を使わず、湯呑みに直接茶葉を入れて、そこにお湯を注ぐ。
やがて茶葉が水気を吸って底に落ちていくので、その上澄みを啜って飲むのが本場の飲み方だと教わった。お茶の飲み方1つでも、国によって違いがある事を知り、面白いものだと思ったりした。
当時見ていたらんま1/2も中国由来のアニメだったし、良いイメージすら持っていた。
ところが、その中国で列車事故が起きた。そしてよりにもよって日本から修学旅行に行っていた生徒達が事故に巻き込まれてしまったのだ。
亡くなった生徒もいた様に思う。
今でも覚えているくらい、当時はショッキングな事故として大騒ぎになっていた。
直接うちの学校の生徒が被害に遭ったわけじゃないが、突然、旅行先の変更を余儀なくされた学校関係者は、検討の結果、タイとハワイに決定した。普通科と商業科に分かれていた為、それぞれ別の旅行先になった。元々分かれていたのか、急遽そうなったかまでは記憶にない。
全生徒が体育館に集められ、校長先生から
「普通科はタイ。商業科はハワイです」
と告げられた。
ちょっと待て、なんで俺たち普通科がタイで商業科がハワイなんだよ!おかしいだろ!
普通科の俺たちは当然の反応をした。
だがしかし、今書いてて思い出したが、高校一年の終わりに、俺は家族でハワイ旅行に行っていたのだ。その話はいずれ別に語るかも知れない。
残念ながらあまりいい思い出になっていないのだ。
今思えば景気のいい時代だったんだなと思う。
俺は2年間で2度も海外旅行に行っていたのだ。
ハワイ連チャンを間逃れ、何百人と言う大所帯でタイに行く事が決まった。
問題は衛生環境だ、国内ですら水が合わないと体を壊す事がありうると言う、ましてや、日本よりは明らかに環境の劣るタイに大勢引き連れていけば、必ず問題が起きるはずだ。
学校側は、事前に生徒に検査をさせた。
俺は陽性反応が出た。事前の検査でだ。
無知な俺は意味がわからなかったが、先生たちは現地の水は飲むなよ。ジュースを飲めば大丈夫だ。ホントかよと思いつつ、春休みに入る前の時期にタイへと旅立った。
この時はまだあんな目に遭うとは、よもや思いもしなかった。