2023 振り返り

どうも、増田拓斗です。
一度飛ばしたネタを3日後に仕上げた人です。えらい。

という訳で、11111100111(2)年を思い出せる限り総括してみたいと思います。
美しいビット列ですね。

お笑いを始めてからと言うもの、毎年が激動の1年です。
おかげさまで、学生生活を終えた今も青春には事欠いていません。
あと彼女さえいれば完璧なんだけどなぁ
という訳で、主要な出来事を早速振り返ってみたいと思います。

長い長い長い長い。
見る気失せるって。

1月.名古屋芸人さんと

さて、2023年といえばMerry youさんでのライブから幕を開け……

タイトルが「お笑いライブ」は逆に尖ってる
by 深海魚さん

嘘?!あれまだ1年前なの?!
2年ぐらい経った感覚だった!!

なんかよくある現象と逆のことがおきてます。
1年が体幹より長かった人は珍しいのではないでしょうか。

この時期の私のネタといえば、相方が見つからなさすぎて正常な判断が出来なくなり二重人格漫才に取り組んでいた時期です。
まぁ……紛れもない暗黒期です。
(そりゃ多少ウケてはいたけどね!(弁明))
ともあれ、2022年から続いていた私の苦悩のピン時代がこの時も続いておりました。
この時期の経験が後の私を助けることになるのですが、それはまた後ほど……。

またこのライブでの大きな経験といえば、名古屋芸人さんとのご縁です。
私はこの後4月から名古屋で活動することになりますから、これはまたとないチャンスでした。

実際ここでご飯ご一緒させていただいたすっさんには今でも大変お世話になってます。
舞台上でアホロートル安田さんとじゃんけんが10連続ぐらいあいこになり、仕込みを疑われたのも楽しい思い出。

そんなこんなのライブで幕を開けた増田拓斗の2023。
名古屋進出に対する希望(10%)と不安(90%)を胸に、持ち込める武器を増やそうとピンネタ作りに勤しんでいました。

3月.衣装新調

うーんかっこいい(自画自賛)

名古屋進出前に、高校3年間で貯めたお金を使ってついにオーダースーツを作りました。
これまで長く長く本物スーツに憧れてきた私にとっては、超重大イベントです。
AE○Nで買ったカジュアルセットアップからの卒業。
胸が躍りましたね。

お笑いやってない方からすると、「そんなことよりネタ磨けよ」と思われるかもしれませんが、まぁ聞いてください。
ネタにおける衣装の重要性ってとっても高いんですよ。
本物スーツだと"舐められなくなる"ので、全く同じネタでも素人感が軽減され、ウケ度合いも変わってくるのです。
まぁその辺の詳しい話はさておき。

念願叶って真っ青スリーピーススーツを手に入れた私は、ついに名古屋へと乗り込んでいくのです。

4月.アラビアンカスタネット結成

名古屋に来て初舞台を踏む前に、コンビを結成しました。
Twitterで知り合った、30代の方とのコンビ。
こうして増田拓斗は、名古屋で年の差漫才師としてその名を轟かせていくことに

5月.アラビアンカスタネット解散

はぁ!?!?
私が1番思ってます。
喧嘩別れどうこうではなく、相方と連絡が取れず自然消滅です。
こっちが10代だぞ。
そんでこの前私がスペース開いてたら普通に聞きに来てました。
どういう神経してんだ。

5月.ヒステリシス結成

漫才しか用意していなかったため、初舞台のスケジュールが狂い大慌ての増田拓斗。
職場の同僚に土下座をして組んでもらったコンビが、ヒステリシスでした。
そしてそんなドタバタの中。

6月.名古屋初舞台

もうこのフライヤーも見慣れたなぁ

私の名古屋の舞台への挑戦が始まりました。
主目的がバトルとだけあって、浜松よりピリついた楽屋。
都会に飲み込まれそうになりながら、短期間で仕上げたヒステリシスのネタをなんとかやり切りました。
実はこの時お客さんとして来ていた章かにアキラさんとかこの後深く関わることになるのですが、それはまた後ほど……。

さて、こうして幕を開けたヒステリシスの歴史。
高めの声とお調子者キャラが光る小畑くんのボケに、増田の地に足着いたツッコミが冴え渡るこのコンビ、名古屋にて破竹の勢いで名声を上げていき

6月.ヒステリシス解散

うぉぉい!?!?
私が1番思ってます。
元々1回試しにやってみて、楽しかったら継続という話だったのですが、何と劇場前で現地解散。
そんなに嫌だったのかなぁ……。

7月.すっさんからのアドバイス

1個だけちょっと異質なイベントですが、今振り返ると私の活動方針にかなり大きく影響しているので書きます。
7月のキンナゴで漫談を披露してタイムオーバーしたのですが、ライブ終わりにすっさんからこのようなアドバイスを頂きました。
「増田くん長尺苦手でしょ?喋りが寄席っぽいもんね」
この、「寄席っぽい」という言葉が、ライブが終わった後も私の頭の中に残り続けていました。
寄席っぽさ……それは、私が漠然と描いていた理想的な漫才・漫談の形を見事に言語化したものでした。
ここからと言うもの、私はしゃべくり漫才・漫談に対して更なるこだわりを持つようになりました。

6月.折衷庵結成

そんなこんなでやっぱり漫才がやりたくなり、再びTwitterで知り合った方とコンビ結成。
歳の差はアラビアンカスタネットと概ね同じぐらいだったので、あの時の発想も使えるしいいな〜と思い結成しました。
さて、すっさんからのアドバイスもありしゃべくり漫才への覚悟を決めた増田拓斗。2度目の歳の差の相方にして、ようやく下からツッコむスタイルを確率し、名古屋トップスターへの道を駆け上がっ

7月.折衷庵解散

もういいわこのくだり!!!
ここにきて最速解散タイムを叩きだしました。
その間なんと17日。
どうせ本人見てないだろうからもうちょっと愚痴るわ!
「キンナゴに出る気持ちが無くなってしまった」じゃねぇわ!
どっちが思春期迎えてんだ!
こっちが10代だぞ!
本人見てたらごめん!
でも前途ある若者に声をかけるならそれなりに付き合っていく覚悟は決めてからの方がいいとおもうよ!

7月.インクルードビット結成

色味に安心感があるね

もうこのnote内での解散は終えたので安心してください。大丈夫です。
ここでようやく、現時点で4ヶ月コンビとして継続できているインクルードビットを結成しました。

高校時代は低身長漫談をしていたぐらいには背の低い私ですが、案外女性と組んだりしていたせいではっきりした身長差コンビはここが初めてでした。

飄々としていてどこか自信のあるボケの井村と、それを正そうと熱量を帯びていく増田の温度差漫才が武器のコンビです。
賞レースで勝ててこそいませんが、私は大きな可能性を感じています。
あと井村くんは台本覚えがいい上に演出に忠実で非常に助かる。
「M-1はこのコンビで出よう」と決心し、結成から猛スピードで稽古を重ね、M-1に備えていきました。

8月.ダディダディドゥ結成

怒りすぎだよ。
こんなに優しい顔してもらってるのに。

こちらで私を認知してもらったお客さん・芸人さんも多かったのではないでしょうか。
何気なく見ていたTwitterでジッパーさんがM-1のユニット相方を募集しているのを見つけ、「私で大丈夫かな……」とも思いつつもこんな機会は無いと思い立候補しました。

M-1では先生と生徒の構図を存分に活かしたネタをやりましたが、ジッパーさんとそれ以外のネタもやりたいという話をしています。
乞うご期待。

9月.M-1グランプリ1回戦突破・敗退

まぁなんと言ってもM-1です。
結局そうなんです。
M-1で認められたくてやってるんです。

今年の結果は、インクルードビット1回戦敗退。ダディダディドゥ1回戦突破。

インクルードビットは、直前のキンナゴで私が体調不良になってしまい、M-1が初おろしになってしまったのが原因として大きいと思います。
けれども、やっぱり悔しかった。
空白期間があるので芸歴にはカウントしていませんが、かれこれお笑いを始めて4年になります。
相方はノーミスで練習通りやり切ってくれましたから、やはり私のネタとツッコミが足りなかったのでしょう。
自分よりも経験の浅い相方を引っ張っていくために、もっと己が強くならねばと決意しました。

ダディダディドゥでは、人生初の1回戦突破を果たしました。
いや〜〜〜嬉しかった。
人生の中でもトップクラスに嬉しかった。
あの1回戦のウケ方は、私の人生の中で間違いなく1番気持ちよかったです。
ネタ合わせの時も本番の時もそうですが、とにかく横にいるジッパーさんのパワーがすごかった。
無数の基礎とテクニックの上に滲み出るパワーとオーラ。
「絶対に面白い」という気迫。
まだまだ私のネタでは引き出しきれない、ジッパーさんの無限のポテンシャルを感じました。

10月.M-1グランプリ2回戦敗退

とは言え、そうとんとん拍子にはいかないもので。
ダディダディドゥも、2回戦敗退となってしまいました。
後半の私が足した部分がウケきれなかったり、舞台の広さに混乱してジェスチャーの連携が取れなかったりと、私のネタ・ツッコミともに実力不足を感じる舞台でした。
そもそもジッパーさんは、準々決勝に行けるポテンシャルのボケなのです。
来年出場させてもらえるのならば、それをもっともっと引き出せるネタを書けるようにならねばなりません。
そうして成長し、本コンビでも1回戦を安定して通過できるようにならなければならない。
準決勝進出を目標に掲げる身として、1年たりともグズグズしている暇は無いのです。

10月.RADIO OWARAI Campionship予選敗退

M-1が終わっても、やはり年末は賞レースシーズン。己の実力を試せる場があるのなら、それを使わない手はありません。
どんどん試してどんどん強化する。
これに限ります。

という訳で一風変わった賞レース、RADIO OWARAI Championshipです。
コンセプトは、「耳で聞いて面白いネタ」。
ということで、高校時代ぶりの歌ネタに挑戦しました。
1個前の出番がガーベラガーデンさんでボッカンボッカンウケていたので舞台袖で震え上がっていたのですが、思ったよりはウケることができました。
相方と「これはもしかして……」とか言ってましたが普通に落ちてました。
ウケ量の基準引き上げた方がいい感じね。

11月.大喜利会

漫才三昧から心機一転、人生初大喜利会に参加しました。
章かにアキラさんのお誘いで、from yohさん主催の大喜利会へ。
最初はネタが持ち込めない環境に完全に怯えきっていましたが、大喜利プレイヤーの皆さんの暖かい笑いとyohさんの愛のあるツッコミにより、何とかやりきることができました。

とはいえ、まだ1回しか参加出来てません。
大喜利を強くしてネタにも相乗効果を生みたいですし、大喜利プレイヤーの方々とももっと仲良くさせていただきたい

来年は大喜利も頑張っちゃおう。

12月.R-1グランプリ1回戦敗退

さて、漫才と大喜利が盛り上がってましたが、年末で漫談が怒涛の追い上げを見せます。
ずっと挑戦したいと思いつつも足踏みしていたR-1グランプリ。
ついに人生初挑戦しました。
結果ですが。
人生で初めてネタを飛ばしました。
当然1回戦敗退。
最初の1分でネタが飛び、足ガックガクのまま1分半アドリブで喋って帰ってきました。
原因は、完全に準備不足です。
職場の試験対策に追われ、完全に疎かにしていました。
また、私は漫才と漫談では違う台本の覚え方をしており、漫談は一言一句までは決めずに喋っています。
そのため、何となく覚えた気になってしまったのです。
Twitterでも猛省しましたが、必ず来年は100%のネタをぶつけてみせます。

ですが、必ずしも悪いことばかりではありませんでした。
1分してネタが飛んだ時、私は何とかそのネタの昔のバージョンを頭に引っ張り出して対応しました。
その結果、タイムオーバー直前に、1回だけかなり大きな笑いを取れました。

なぜこの対応ができたのか。
今振り返ってみると、冒頭でお話した浜松時代の苦悩があったからだと思うのです。
あの時に、漫談のネタ作りで沢山もがき、震える足を諦めずに舞台の上に上げ続けたからこそ、たった1人の舞台でも自分を頼ることができたのです。
高校時代の私は、周りにしきりにこう話していました。
「ピンでもずっと続けてたら絶対何かの役に立つから。」
ありがとう、過去の私。
君の努力が結果に現れるまで、私は何度でも立ち向かうよ。

12月.OWARIZIN 予選敗退

そして訪れた今年最後の舞台。OWARIZIN。相方は年末休暇ということで、ピンでの参戦です。
さっき書いたばっかりのR-1のリベンジを最速で果たすチャンス。その間わずか3日間。私は練習して練習して練習し倒しました。
結果は、予選敗退。
けれども、飛ばしませんでした。
しかも、個人的には納得の行く出来。
2年前に作って知り合いの前でスベり倒したネタが受け入れられていく感触は、最高に気持ちよかったです。

余談ですが、なんと平場でアダムダンさんと即興トリオ漫才をしました。

トリオ名は、「親子と知らない人」

即興漫才初めてでしたが、めちゃくちゃ楽しかったです。
わちゃわちゃダブルツッコミするのも、平場ならではの楽しさもありました。
平場も強くなりたいなぁ。

まとめ

いやーすっごい1年でした。
濃い。濃すぎる。
結成と解散を繰り返したり、M-1受かったりその他諸々に跳ね返されたり色々ありましたが、改めて思うのは、こんなに楽しい趣味他にないってことです。
新社会人やりながらも、沢山の良縁に恵まれて、目まぐるしい1年を過ごさせて頂きました。
関わってくださった全てのお客様・芸人さん・スタッフさんに感謝です。

来年の抱負

という訳で来年は!!
増田拓斗の活動の幅を広げ、ネタ力・ツッコミ力の向上を図ります!

なので、来年の抱負は!!
主催ライブ5本開催!!!!!

という訳で、まず2024年一発目はこれだ!

絶対来て欲しい

ネタと企画のオーソドックスなライブ!
ネタにこだわる社会人芸人3組によるスリーマンです!
是非お越しください!
↓↓↓↓↓
https://tiget.net/events/289915

という訳で、今年1年本当にありがとうございました!
来年もよろしくお願いします!
良いお年を!!

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