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【水晶】江戸時代にどうやって水晶玉を作ったのか? その1
1690年に刊行された職人図鑑『人倫訓蒙図彙』には、水晶・コハク・めのうなどを摺りみがいて祭祀や装飾用の玉などを作る珠摺(たますり)という職人が描かれています。
江戸時代の水晶加工職人がどのように水晶を加工していたのか、『人倫訓蒙図彙』に描かれた珠摺の作業を実験的に復元して検討してみました。
この記事は公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団による助成を受けて実施した研究の成果の一部を紹介するものになります(詳細はこちら)。
『人倫訓蒙図彙』を見てみよう
『人倫訓蒙図彙』とは1690年に刊行された職業図鑑で、大臣、武家から医師、職人、芸人、傾城にいたるさまざまな職業を図解しています。
国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できますので、さっそく珠摺のページを見てみましょう。
挿絵(1枚目)と解説(2枚目)にわかれています。
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珠摺 眼鏡、珠数粒、舎利塔、皆水晶をもつて造る。其の外諸の石緒占、是を造る。金剛砂に水を洒ぎて、鉄の樋にあてて、是をするなり。伝へ聞く、唐土にはさまざまの名珠有り。日本にては、昌泰年中に陸奥より掘り出だせり。京御幸町通四条坊門の下、其の辺に住す。大坂は伏見町にあり。
挿絵の職人の後ろにある棚を見てみると、上の段には眼鏡、下の段には左から宝珠・火焔宝珠形舎利容器・舎利容器(舎利塔)が描かれています。
解説の1文目に書かれている通りです。
そして挿絵の職人については解説の3文目、金剛砂に水をそそいで鉄の樋にあててコレ(水晶)を摺ると説明されています。
この1文しか解説がありませんが、挿絵と解説から水晶研磨を再現してみます。
金剛砂とは
金剛砂とは、砂粒大のザクロ石と呼ばれる鉱物のことを指します。
ザクロ石は宝石名ではガーネットになりますので、宝石名なら知っているという人も多いのではないでしょうか。
『続日本記』によると天平15年(743)9月13日条に官奴斐太が大和二上山の東北、逢坂の砂をもって玉石を治めた功により大友史の姓を賜ったとされ、逢坂の砂が金剛砂であると考えられています。
古墳時代の玉作りの再現実験で金剛砂が利用されることがありますが、金剛砂の利用が古墳時代までさかのぼれるかについては分かっていません。
逢坂(大阪)山というのは今でいう大阪と奈良の間にある二上山で、二上讃岐石・凝灰岩・金剛砂と旧石器~飛鳥・奈良時代の石材供給を支えた、とても重要な石材産地です。
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金剛砂についてより詳しく知りたい方は、奈良県香芝市にある二上山博物館に是非行ってみてください。
私もこの復元実験を思いついた際に見学に行きました。
職人と鉄樋の関係
あらためて『人倫訓蒙図彙』の挿絵を拡大して見てみましょう。
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この挿絵から読み取れる内容は次の4点です。
① 桶が左右に仕切られ珠摺から見て左に金剛砂、右に水が入れられている
② 珠摺は右手で鉄樋の柄を握っている
③ 玉摺の左手が見えない
④ 鉄樋の上部に曲がった(しなった)竹が描かれている
この条件から、玉摺は右手で鉄樋の柄を握り、左手で桶の金剛砂と水を鉄樋に注ぎ、左手で水晶玉を持って磨いたと考えられます。
左手を描いておいてくれれば考えられることも増えたのに…
特に意識しなければ、U字型の鉄樋は開口部が真上になるように設置すると最も安定します。
しかし、開口部が真上にあるならば、挿絵では珠摺は左手で磨くもの(水晶玉)を持っている様子が描かれなければ不自然です。
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左手が見えない配置の例として、樋を反時計回りに回転させ、珠摺から見て左側に樋の開口部が向いていることが考えられます。
この考えが正しければ、樋の柄は樋を回転して固定するために必要だと考えることができます。
実際にやってみて感じたことですが、右手に水晶を持つ場合は時計回り(珠摺は左手で水晶を持っているので反時計回り)に鉄樋を回さないと、水晶を持っている右前腕の内側が樋の角にあたって刺さります。
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そして、樋が回転していれば回転した分だけ手前側が高くなり、挿絵を描いた人から見て樋の底部の奥に水晶が位置することになりますので、水晶や左手が見えなくなります。
私の場合は右手で水晶を持っているので、右手が見えなくなります。
もしかしたら挿絵の珠摺は左利きだったのかもしれません。
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竹は何のためにあるのか?
この挿絵の最大の謎は、上部から描かれた竹です。
節が描かれているので竹だと思いますが、どのように使ったのでしょうか?
解説に書いておいて欲しかったな…
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さて、この竹ですが「何に使ったと思いますか?」と周りの人に聞いてみると、ほとんどの人は「竹をつかって上部から水を流した」と言いました。
実際、現代の水晶細工や宝石研磨の際には、粉塵の飛散や摩擦熱による石の割れを防ぐため水を流して作業します。
このイメージが強いのだと思います。
そうだとすると、3つ疑問があります。
① 上部から水が流れてくるなら桶に水をためておく必要があるのか?
② そもそもどうやって上部に水を汲み上げるのか?
③ 挿絵に書かれている竹がしなりすぎではないか?
の3つです。
この疑問を解決するため、窓枠に竹を固定して、竹の先端に水晶を設置する形で磨いてみました。
ただ季節が悪く竹のしなりがあまり良くなかったので、竹の替わりに塩ビパイプも使って実験しました。
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実際に研磨してみてビックリしました。
手で持って研磨するのと比較して、とんでもない速さで水晶を研磨することができました。
研磨という優しい感じではなく、ゴリゴリ削るといった感覚です。
竹のしなりが水晶を鉄樋に押し付けるため、手で押し付けるよりも強い力で水晶を磨くことができたわけです。
竹は水晶を横から押さえつけるように働くため、押さえつける力を最大限活用するには鉄樋の側面にあてた方が良いということもわかりました。
鉄樋を回転させる本当の理由は、竹からの押し付ける力を最大限活用するためだったと考えられます。
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さらに、偶然だったのですが、竹の内径と水晶玉の寸法がほぼ一致し、水晶玉が竹の中に埋め込まれて固定されました。
固定されたことにより、研磨したい部分をピンポイントで研磨し続けることができました。
一方、水晶玉の寸法より少し大きい竹で研磨すると、水晶玉が回転して全体が研磨され、球形に近づけることもできました。
太さの異なる竹を用意すればどんな大きさの水晶玉にも対応でき、そもそも竹は安い(江戸時代の値段は知りませんが高くはないでしょう)!
竹は水晶研磨に関してとても便利な道具であることがわかりました。
竹の使い方が本当に「しなりの反発力を活用して磨く」だったかどうかはわかりませんが、ひとつの説として楽しんでいただければ幸いです。
今回は江戸時代の本から当時の水晶研磨の方法について検討しました。
実際に挿絵の真似をしてみないと感じ取れない経験ができ、個人的にはこれだ!という答えにたどり着くことができました。
とはいえ実際にどうだったかはわかりません。
皆さんが挿絵を見てどう感じたか、ぜひ教えてください。
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