苦悩はやがて、幸福に変わる(小沢健二ライブレポ、のラスト)
ようやく書くことになったラストレポ最終章。
4月末のライブのレポを5ヶ月後に書くってどういうことなんだ、と。
大変申し訳んございません。
前回のライブレポはこちら
上記のリンク先にあるレポで大方書き終えてはいるのだが、どうしても別記事で書きたかった2曲がある。
「ある光」と「流動体について」だ。
この曲に関する考察は宇野維正の「小沢健二の帰還」を筆頭に多くの小沢健二ファン’が考察を繰り広げている。
小沢健二の絶頂期である時、幼稚園児か小学校低学年だった平成生まれの私が考察するのもおこがましいということは重々承知してはいるのだが、もはや小沢健二が歴史上の人物というぐらいの認識であり、且つ、平成末期に"帰還"し、まさかアラサーになってリアルタイムで小沢健二の新曲を楽しみ、ライブに参加した、パラレルワールドにも似た体験をした私だからこそできる考察をしてみたいと思う。
フリッパーズ・ギターのギター担当としてデビューした小沢健二。
パーフリの登場は冗談抜きで日本の音楽シーンに大きな変化をもたらした。
解散後、ソロアーティストとしてデビュー。
1stアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」ではシンプルながらも奥深い世界観を醸成(「天使たちのジーン」はマストで聞かないといけない13分31秒である)。
そして2ndアルバムの「LIFE」で大ブレイク。
紅白歌合戦にも出場。
そこからの売れっぷりは本当にすごかった。
その時の苦悩はフジテレビの「Love Music」でも語られていた。
その時の苦悩が後に活動休止へと繋がっていく。
ジャズをフィーチャーした3rdアルバム「流体の流れる音楽」をリリース。
その翌年にリリースされたシングルが「ある光」だ。1997年12月の出来事だ。
その翌月に活動休止前のラストシングル「春にして君を想う」をリリースするが、実質「ある光」がファンの間ではラストシングルと言われている。
その理由については宇野維正の「小沢健二の帰還」にしっかりと明記されているのでそちらに説明を委ねたい。
自身の想像を超える多忙な日々。
我々の想像を超えた苦悩の日々だったに違いない。
そんな、少しでもバランスが崩れてしまうととことん落ちてしまいかねない状況でリリースされた「ある光」だ。
Let's get on bords
という掛け声で始まる一曲。
曲調としてはゆったりしながらも途中から入ってくるウネリにウネっているワウのギターサウンドがたまらない。
そして、歌詞だ。
この線路を降りたら赤に青に黄に
願いは放たれるのか?
今そんなことを考えてる
なぐさめてしまわずに
この線路を降りたら
虹を架けるような誰かが僕を待つのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに
活動休止を経て、Love Musicでのインタビューを見た者であれば、この歌詞が持つ脆さや辛さがひしひしと伝わってくるだろう。
事実、この曲の歌詞には掛け声の「Let's get on bords」をはじめ「摩天楼」「JFK」といった、ニューヨークを彷彿させるワードが散りばめられている。
日本を離れ、ニューヨークへ旅立つ、という実際の小沢健二の行動、そのままなのだ。そして、長い間の沈黙が始まった。
「ある光」は実に苦しい曲。
もがききながら、自身の未来に不安を抱きながら歌った曲なのだ。
それからしばらく経ち、2010年。
13年ぶりとなるツアー「ひふみよ」が開始される。
中野サンプラザの公演に参加した私は歴史上の人物に近い小沢健二を生で見ることができ、歴史と現実が繋がった。
往年のヒットナンバーを披露。
ただただ興奮していた。
当時のライブレポがmixiの日記に書いてあったのだが、今でも熱量が伝わってくる文章だ。
そのレポにも触れられていたのだが、このライブでは「ある光」を披露している。
ただし、ワンフレーズ、弾き語りで、だ。
当時の私もワンフレーズだけに物足りなさを感じていた。
が、今なら分かる。
我々リスナーにとって当時の苦悩をある程度想定しながらも、想定以上に苦しんでいたことを知らずに良曲を求めていたが、まだ小沢健二にとっては「ある光」で綴られた苦悩から解放されていなかったのではないだろうか。
だからこそ、ワンフレーズでの披露だったのではないだろうか。
そう仮説を立てるとワンフレーズだけでも歌ってくれたことはいかに奇跡だったのだろうか。
8年前の自分にそう教えてあげたいほどだ。
翌2011年、東京オペラシティで開催された「東京の街が奏でる」でフルコーラスで披露されたようだ。
この年、私は就職活動中につき、泣く泣く参加を見送った。
2016年には「魔法的」ツアー。
当時住んでいた大阪での公演チケットが当たった日の夜、名古屋への異動の内示の電話がきて、泣く泣くチケットを譲った。
この時のツアーでは「ある光」は披露されていなかったようだ。
コンセプトも新曲が中心だったので納得。
魔法的のツアーから1年が経った2017年。
衝撃が走る。
小沢健二、19年ぶりにシングル「流動体について」をリリース
このニュースを知った瞬間、一瞬フリーズしてしまったのを覚えている。
まさか小沢健二の新曲リリースをリアルタイムで体験する日が来るとは。。
そして新曲を聞く。
驚いた。
最初の歌詞が
羽田沖 街の灯がゆれる
東京に着くことが告げられると
甘美な曲が流れ
僕たちはしばし窓の外を見る
だ。
「ある光」でJFKへと飛び立った小沢健二が「流動体について」で羽田空港へと帰ってきた。
Love MusicでスチャダラパーのBoseが口にした「続編」という言葉がまさにそうだ。
19年の時を経て、小沢健二が帰ってきたのだ。
「流動体について」のテーマは「並行世界」だ。
もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?
並行する世界の僕は
どこらへんで暮らしているのかな
広げた地下鉄の地図を隅まで見てみるけど
当時、苦悩した日々すべてが「間違い」と括るのは乱暴ではあるものの、そうした「間違い」に気がつかず、ニューヨークへ飛び立たなかったらどうなっていたのか。
この歌詞からも「流動体について」は「ある光」の続編であることは町以外ない。
そして過去から現在へ。
父親となった小沢健二はこのような言葉を綴る。
もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?
並行する世界の毎日
子供たちも違う子たちか
ほの甘いカルピスの味が不思議を問いかける
間違いに気付き、ニューヨークへ渡り、パートナーと出会い、子供が生まれた今の世界を生きている。
そうでなければ、今の家族は存在しない。
考えれば考えるほど、この4行の歌詞はすごい。
昔の小沢健二にはない詩だ。
(推測ではあるが、自身の子供を「カルピス」という固有名詞で表現する辺り、恐ろしいし、そのようなイメージが浮かぶカルピスのブランド力にも脱帽だ)
こうした今を生きる小沢健二。
そして、最後にこう決意する。
無限の海は広く深く
でもそれほどの怖さはない
宇宙の中で良いことを決意する時に
必然であった活動休止を経て、小沢健二は現在に帰ってきた。
そして、この現在の先にある未来を、並行世界を想像しながらも歩み続けていく、という決意。
「ある光」で吐露された苦悩が19年の月日を経て、「流動体について」で解放され、希望へと変わった。
そんなことを「流動体について」を聞いていく中で思うようになった。
そして、その仮説は2018年のライブ「春の空気に虹をかけ」にて概ね間違いでなかったことと知る。
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「強い気持ち・強い愛」で圧倒的多幸感に包まれたライブ会場。
ただただ最高だった。
そんな中、満島ひかりがエレキギターを携え、ギターを弾く。
聞き覚えのあるギターリフ。
あまりの突然の展開に「おいおい、マジかよ」という言葉が漏れる。
そして披露されたのが「ある光」だった。
興奮もあったのだが、その一方、驚きで呆然してしまった自分もいた。
上段で記載した通り、「ある光」は苦悩に満ちた曲だった。
原曲もポップさはあるのだが、脆さを感じる楽曲。
少なくとも今回のライブの36編成のファンク交響楽団の圧倒的多幸感には正直合わない楽曲なのだ。
現に「ひふみよ」ツアーではギターでワンフレーズを弾き語りで披露したに留まっている。
「東京の街が奏でる」でフルコーラスで披露した際、もがき苦しみながらの演奏だったらしい。歌、というよりも叫びに似た何か。
なのに、今、ここで披露されている「ある光」は今までの「ある光」とは違う。
圧倒的な多幸感に包まれた「ある光」なのだ。
暗闇から手を伸ばした先に見える、遠い希望の「ある光」ではなく、その希望と幸せに満ちた「ある光」の中に入り込んでいるかのよう。
それはもう、余りの光量に目が眩むほど。
そして、小沢健二は笑っている。
幸福の笑顔で「ある光」を歌っている。
それに同調するかのように満島ひかりやファンク交響楽団のみんなが笑顔で楽器を鳴らす。
なんだ、この空間。
こんなにも幸せな空間があったのか。
苦悩に満ち溢れた、辛い楽曲がこんなにも幸福へ昇華されている。
まさに神秘的だったし、奇跡だった。
よくライブアレンジや曲調を変えた○○アレンジとかあるが、アレンジのレベルを超えている。
リボーン。
生まれ変わっている。
19年という長い月日を超え、楽曲が変わっていったのだ。
それも、幸せなほうへ。
ライブでもモノローグを語るスタイルから普通にMCを行うなど、例年のライブとは異なる演出だった今回。
2018年の小沢健二、恐るべし。
過去の自分を否定せず、それを受けて入れたうえで、未来へ。
そして、曲が終わり、ステージ壇上のメンバーが全員がリズムに合わせて手拍子を取る。
「流動体について」のリズムだ。
先ほど披露した「ある光」の続編である「流動体について」が続いて披露される。
「ある光」が終盤に向かうにつれ、予測できたことではあるが、いざそうなると胸が高鳴る。
声高らかに響き渡る「羽田沖」というフレーズ。
小沢健二が、帰ってきたのだ。
ストリングスとギターが奏でる幸せなサウンド。
原曲以上に多幸感に満ちている。
そして、「ある光」の後ということもあり、優しさに満ち溢れている。
物凄い高揚感の中に観客全員が小沢健二の帰還を心から祝福しているようだった。
2017年。
小沢健二が日本の音楽シーンに帰ってきた。
そして、2018年。
小沢健二がリスナーの前に帰ってきた。
歴史上の人物に近い小沢健二に帰還途中だった「ひふみよ」ツアーで出会い、そして、今回の「春の空に虹をかけ」で帰還した姿を見た私。
よく「10年生まれるのが遅かった」と口にし、自分の音楽の嗜好性を話すのだが、そんなのは関係ない。
今、どう生きるのか。
そうすれば、過去も変わるし、未来も変わる。
平野啓一郎の「マチネの終わり」で触れられている「過去は変えられる」という言葉が思い出す。
そして、日本武道館のライブで最後に小沢健二が発した言葉も通ずるところがある。
時代を超え、苦悩から解放され、圧倒的な多幸感に包まれている小沢健二は最強だった。
そして、ライブは終わり、アンコールへと移る。
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この続きは以前書いたライブレポに記載しています。
と、ライブに参加したのが4月なのに書き終わったのが9月と、だいぶ時間がかかりました。
しかも3部作になった。
書く、と言っておきながら、書かなかったのは仕事の忙しさ、という言い訳で片づけたいのですが、殊にこのライブレポを書くには体力と気力がいりました。
私自身、小沢健二と言うアーティストから受けた影響というのがとても大きく、そして、それをしっかりと伝えるにはしっかりと文章を考えなくては、と思い、時間がかかりました。
ライブレポと言いながら、過去のことに触れないといけないことも多く、その都度、ネットや本で情報を調べたりしました。
ただ、それほどまでに最高のライブだった、ということはオザケンファンのみならず、小沢健二をそんなに知らない人に対しても、少なくとも熱量は伝わったかな、と思います。
「アルペジオ」のリリースから少し時間が経ちました。
19年も待った過去に比べると圧倒的に期間は短いですが、そろそろ、何かリリースがあることを楽しみにしています。
あとは是非とも、このライブの映像化を。。
ラストの「アルペジオ」の転調は鳥肌物だったので。。
ただ、映像化することによって非日常が日常になってしまうという危惧もあったり。。
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