TOKYO COMPLEX「阿佐ヶ谷、一人で行くか?二人で行くか?」

自分が今、こうして存在しているのは数多の取捨選択を行ってきた結果である。様々な選択肢があり、時折(いや、もしかすると大半)自覚のない中で一つの選択肢を選び、生きていて、今、存在している。
その選択肢が正解なのか否か、という問いに対する絶対的な解はないだろう。もしあの時、違う選択肢を選んでいたら今以上に辛い日々になっているのかもしれないし、逆により良い日々になっていたのかもしれない(その「良い日々」という基準も絶対的なものではない)。
また、時には選択する自由もなく、強制的に選択肢を選ばされてしまうこともあっただろう。僕でいえば転校がそうだ。今でも思う。もしあの時、転校がなかったらどうなっていたのだろうか。
「もしも・・・」という自問自答が僕には通常の人より多い気がする。心の中にはいつも何かしらの後悔を抱え、今を生きている。自身でも情けなさを抱きつつ、習慣のように沁みついた思考からの脱却にはまだ時間がかかるだろうし、脱却することができないのかもしれない。
2017年のGW。僕は阿佐ヶ谷にいた。
そこで「もしも・・・」という思考が現れた。
阿佐ヶ谷、という街は上京する前から知っていた。
それは僕が爆笑問題が好きで、彼らが所属する「タイタン」というお笑い事務所が阿佐ヶ谷にある、ということに由来する。しかし、それ以上の情報を持っておらず、下北沢や渋谷といった街のような憧れを抱くことはなかった。
上京してしばらくした後、どうやら阿佐ヶ谷と言う街はお笑い芸人もたくさん住んでおり、劇場も多くあるため、サブカルチャーの街であるということを知る。ただ、だからといって阿佐ヶ谷という街に足を運ぶことはなかった。
強いて言えば放送研究会のサークルの先輩から教えていただいた進行方向別通行区分、というバンドの「池袋崩壊」という曲で「あ、あ、あ、あ、阿佐ヶ谷~」という歌詞がキラーワードとして頭の中にこびり付いており、その剥離のために阿佐ヶ谷に行こうとしたことはあった。
社会人となり、東京を離れてしばらく経った時に阿佐ヶ谷という街に足を運びたくなった。
理由は2つ。
1つは雑誌「Popeye」でのスパゲッティ特集で紹介されていたミートソース専門店に行きたくなったから。僕はミートソーススパゲッティが大好きだ。
もう1つは大学のバンドサークルの先輩が阿佐ヶ谷で喫茶店を始められており、是非とも訪問したかったから。
その2つの目的を果たすために阿佐ヶ谷への訪問の機会を窺ったがなかなか実現せず。
そして今年のGWに訪問する機会を見つけた。
ニコニコ動画というメディアと出会ったのが浪人生の時と言う最悪なタイミングだった。
僕が人生で初めてプレイしたゲームを実況している動画があり、浪人生であるにも関わらず、よく見ていた。
その後、大学生となり、Ustreamというストリーミング配信サイトにてその実況主が配信されていた時に僕のことに触れていただいた(この件は長くなるので今回は割愛。ただ、キッカケは爆笑問題だった)。
その配信をキッカケに実況主のファンの方とも交流を持つようになった。
そのうちの1人に同い年の女性がいた。当時、大学生。
ツイッターなどで直接やり取りをしていたわけでもなく、実況主のUstream配信を通じて交流をしたほど。
今でも具体的なキッカケは思い出せないのだが、その後、ツイッターでもやり取りをするようになった。同い年、という共通記号はけっこう強い。
GWは東京を散策する、ということをツイッターで呟いたとき、女性からDMが来て、良かったら会いませんか?というお誘いを頂いた。
こちらこそ是非ともお会いしたい!!ということでトントン拍子に話は進んだ。
その時、待ち合わせ場所として選んだのが当初、行く予定を企てていた阿佐ヶ谷だった。
当日、阿佐ヶ谷駅で待つ僕。
ネットで交流がある人と直接お会いする、というのは高校生の時からやってはいるものの、いつになっても緊張してしまう。
ただ、直接会うと初めて会った気がせず、すぐに打ち解けるのが面白い。
彼女もその一人だった。
初めて会った気がしないのに、オフラインでは初対面、という矛盾。
その不思議な感覚はいつも面白い。
その女性は可愛らしさと明るさを見事に兼ね備えていて、向日葵のようだった。
恐らく、普通に生きていたら会うこともなかった。インターネットでの繋がりは選択肢を無限にさせた。その無限の選択肢の中でこうした交流が芽生えるのは最早、奇跡だった。
事前に僕の無理を聞いていただいたので一軒目はミートソース専門店である「ミート屋」へ。イタリアン、というより、ラーメン屋に近い雰囲気のお店。洋風のまぜそば、といったところか。めちゃくちゃ旨かった。
2軒目となる珈琲雨水はチーズケーキとホットコーヒーを頂く。
落ち着いたお店の雰囲気も相まって、実に美味しいコーヒーを頂いた。
先輩にもご挨拶ができたのも良かった。
程なくして阿佐ヶ谷での目的を果たした後、3軒目に昼飲みができる居酒屋へと行った。
彼女はお酒が大好きであり、お酒というテーマでもよくツイッターでお話をしていた。お酒好き、という共通記号も強い。
そこで改めて自己紹介をしたり、お互いの仕事の話をしたり、出会うキッカケとなった実況主の動画の話をしたりと大変盛り上がった。
仕事に関しては同業種ではないものの、扱う内容はかなり近いこともあり、より一層話が盛り上がった。
互いにこの後の予定があったので程なくして別れることに。
また近いうちの再開を願い、楽しい散策が終わった。
その電車の中、ふと思ったのが、これは一種のデート、というものだったのか、ということ。そして、そのデートと言えるかもしれない散策が実に楽しかった、ということ。
こうした発想をする自分を客観的に見て気持ち悪さと情けなさを抱きつつ、アホな自問自答が繰り広げられる。
もしも、もっと早い時から出会っていれば、、、
もしも、もっと交流が会ったのならば、、、
もしも、
もしも、、
もしも、、、
彼女の向日葵のような可愛らしさと明るさが自問自答を繰り返させる。
ただ、この自問自答は無意味なものだった。
なぜなら、彼女はすでに結婚しており、幸せな家庭を築いているからだ。
こんな自問自答を繰り広げたところでなんら解決することもないのは分かっているのだが、だからこそ自問自答のループから抜け出せなくなるのかもしれない。
ただただ恣意的な自問自答に陥る自分に嫌悪感を抱きながら自身の情けなさと未熟さを感じた。27歳にしてまだまだ子供だ。同い年の彼女は立派であることで尚更そう感じてしまう。
「もしも・・・」という自問自答を抱いたところで過去は変わらない。
ただ、それでもなおこうした自問自答を繰り返す自分自身に気がついた阿佐ヶ谷という街に僕はまた一つ、東京にコンプレックスを抱くのだった。

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