非生産性について
ある政治家が生産性がどうのこうの、と発言し、問題になった。
記事全文を読んでいないので真意は分からないが、やはり配慮が足りない発言ではあるな、と思ったり。
その一方で「生産性ってなんじゃろな」とふと思った。
働いていたらよく聞く言葉でもある「生産性」という言葉。
ググってみると、
生産性(せいさんせい、Productivity)とは、経済学で生産活動に対する生産要素(労働・資本など)の寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度のことを指す。
一定の資源からどれだけ多くの付加価値を産み出せるかという測定法と、一定の付加価値をどれだけ少ない資源で産み出せるかという測定法が在る。
(出典:Wikipedia)
とのこと。
う~ん。なんだかよく分からない。
ざっくりとした感覚になるのだが、何かしらの投資(それはお金の時もあれば、行動の時もある)に対してより多くの利益を得る度合い、と感じている。
正しい言葉のニュアンスは偉い学者に任せるとして、この感覚はそんなにずれていないのではないだろうか。
この生産性という言葉。
仕事をしていく上では多少なりとも意識しないといけないと、さすがの僕も思っていて、具体的にはメールなどには早く返信をするといった、スピードを重視するような働き方を意識するようになった。
これは新入社員から若手と呼ばれている時期にスピードが遅く、結果、方々に迷惑をかけた、という痛い経験からの反省でもある。
もちろん、部署が変わったから、というのもある。
この方法にもデメリットはあるから絶対解ではないというのも分かっている。
ただ、生産性というものに対する僕の一つの答えとしてこのスピード感は大事にしたい。
余談だが、色々な方と仕事をさせていただく機会が多いのだが、スピード感がある方との仕事がけっこううまく行ったりもしている。あくまで感覚だが。
仕事では大事にしたい生産性。
では、仕事以外ではどうだろうか。
休みの日に本を読んだり、ビジネススクールに通ったりする、ということも生産性の向上における活動、と言えるだろう。
否定しない。僕も前に1日集中型のセミナーには参加したことがある。
ただ、俗に言う遊びと呼ばれるものはどうなのだろうか。
定義でいえば、非生産性と言われる行為。
本当に無駄なのだろうか。
僕は生産性の向上には程よい非生産性も必要であると考えている。
凝り固まった意識による生産性には発想の転換が生まれない。
新たな発見には遊びが必要だ。
あと、非生産性に通ずる「めんどくささ」という価値観。
これも大事な気がしている。
週刊誌のスピリッツに小沢健二が寄稿した「フェスへ、めんどくささを愛でに。」という文章がまさにそうだ。
フェスって、基本、めんどくさい。
好きなアーティストがいる場合、フェスじゃなく、単独ツアーに行ったほうが好きな曲がいっぱい聞ける。
新たなアーティストとの出会いもあるが、今の時代、インターネットで(合法的にも、違法的にも)知ることができる。
せっかく参加したのに台風並みの大雨だったり、ステージ移動に長い時間をかけたり、せっかくついたのに入場制限で入れなかったり、、
ただ、それでも日本で様々なフェスが広がってきているのはこうした「めんどくささ」をよしとする日本古来の考えがあるからなのでは、という小沢健二の着眼。
盲目的にオザケンファンである僕ではあるのだが、それを抜きにしても納得する考えだと感じた。
これって、バーベキューにも言えると思う。
ただうまい肉を食うなら焼肉屋に行ったほうが絶対にうまい。
片づけもしなくて済むし、店員さんが最高の状態で肉を焼いてくれる。
いっぽう、バーベキューは火起こしも時間がかかるし、外で食べるからお店に比べると衛生的ではないし、雨が降ったら最悪だし、肉も焦げてしまうことも多い。
それでもそうした「めんどくささ」を仲間とともに楽しむ、ということにバーベキューの良さがある。
めんどくさいから、良い。
そのめんどくささの中に新たな発見があったりもする。
「あいつ、火、起こすのうめぇな」
みたいな。
世の中がどんどん便利になっていき、生産性という言葉が常に付きまとう時代になっている気がする。
そんな中、めんどくささに通ずる非生産性、というものをもう少し前向きにとらえても良いのではないだろうか。
決して会社を挙げて社員旅行に行こうぜ!!という話ではない。
生産性向上のための非生産性。
今後、AIの発達で本当の意味での非生産性的な仕事はなくなっていく。
そんな中、必要になるのはAIにはできないような、有意義な非生産的活動であり、そういったものこそ、まだ見たことのない未来を作るのではないだろうか。
生産性or非生産性
という二者択一に必要以上に縛られなくてもいいんでねぇの、
って最近、思うようになった。
ただ、振り返れば僕、よく飲んだりしている。
これもまぁ、非生産的ではあるけど、そのおかげで色々な発見があったのも事実。
世の中、本当は無駄なものなんて一つもないのかもしれない。