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きょうの難経 六十七難と八十一難 2022/2/17

『難経』は今回でいったん終了となります。
まず六十七難から。
募穴と兪穴の対応について述べられています。

六十七難曰
五藏募皆在陰而兪在陽者 何謂也
(五藏の募、皆陰に在りて、兪、陽に在るは何の謂ぞや)


陰病行陽 陽病行陰
(陰病は陽に行き、陽病は陰に行く)
故令募在陰 俞在陽
(故に募をして陰に在らしめ、兪をして陽に在らしむ)

募穴が人体の陰面に、兪穴が陽面に集まっているのは何故か?という問いに対して、
陰病は陽面に、陽病は陰面に行くので、(陰に対応する)募穴で陽病に、(陽に対応する)兪穴で陰病に対応する、ということが述べられています。

テキストでは、陽病には、「陽証」、「熱証」、「実証」が、陰病には「陰証」、「寒証」、「虚証」が含まれていると解説されていました。

よく言われるのが、四つ足の姿勢になったときに陽が当たるのが陽面で、影になっているのが陰面、というものですが、ここでもそのように考えて問題なさそうです。
ちなみに、素問の金匱真言論では以下のように述べられています。

言人身之陰陽 則背為陽 腹為陰
言人身之藏府中陰陽 則藏者為陰 府者為陽
・・・
故背為陽 陽中之陽 心也
 背為陽 陽中之陰 肺也
 腹為陰 陰中之陰 腎也
 腹為陰 陰中之陽 肝也
 腹為陰 陰中之至陰 脾也
此皆陰陽表裏內外雌雄相輸應也
故以應天之陰陽也

ここでもやはり、腹側が陰、背側が陽とされています。
さらに五臓の陰陽が当てはめられていますが、「陰中之至陰 脾也」が気になります。対応するはずの「至陽」は何だろうと思いますが、ひょっとしたら「足の陽明胃経」が他の陽経のように陽面を走行せず陰面を走行していることに関連するのかもしれません。

あと、募穴の「募」は「幕(膜)」との関連がテキストでも示唆されていました。確かに募穴は体表から刺入していったときに、薄い筋層を抜けると壁側腹膜に突き当たる訳で、その際どのような体性ー自律神経反射が起きるのかが非常に気になります。

では、最後の八十一難

八十一難曰
經言無實實虛虛 損不足而益有餘 是寸口脈耶
(經に言う、實を實し虛を虛し、不足を損じて有餘を益すことなかれとは、これ寸口の脈なりや)
將病自有虛實耶
(將た病自ら虛實有りや)
其損益柰何
(その損益いかん)


是病 非謂寸口脈也
(これ病にして、寸口の脈を謂うにあらざるなり)
謂病自有實虛也
(病に自ら實虛あるを謂うなり)
假令肝實而肺虛
(たとえば肝實して肺虛す)
肝者木也 肺者金也
(肝は木なり。肺は金なり。)
金木當更相平 當知金平木
(金木當にこもごも相平らぐべし、當に金の木を平らぐることを知るべし)
假令肺實而肝虛 微少氣
(たとえば肺實して肝虛し、微少の氣なり)
用針不補其肝 而反重實其肺
(針を用いてその肝を補さず、しかし反って重ねてその肺を實す)
故曰實實虛虛 損不足而益有餘
(故に實を實し虛を虛し、不足を損じて有餘を益すと曰う)
此者中工之所害也
(これ中工の害する所なり)

全体の最後の難ですが、内容としてはシンプルで、「虚実補瀉」を原則としたときに、「実(有余)」に対して補法(益す)を、「虚(不足)」に対して瀉法(損す)を行う誤治を戒めたものとなっています。

『霊枢』でもこの原則は繰り返し述べられていまして、例えば、九鍼十二原では、

無實無虛 損不足而益有餘
(實することなく虛することなく、不足を損じて有餘を益す)
是謂甚病 病益甚
(是れ甚病と謂い、病益ます甚だし)
取五脈者死 取三脈者恇
(五脈を取る者は死し、三脈を取る者はおとろう)
奪陰者死 奪陽者狂
(陰を奪う者は死し、陽を奪う者は狂う)
鍼害畢矣
(鍼の害おわれり)

と、特に虚証に対する誤治を戒めています。

同じく霊枢の根結でも詳しく述べられています。
少し長いですが引用します。

黃帝曰 形氣之逆順奈何
歧伯曰 形氣不足 病氣有餘 是邪勝也 急寫之
(形氣足らず病氣に餘りあるは是れ邪、勝るなり。 急ぎて之を寫すべし)
形氣有餘 病氣不足 急補之
(形氣に餘ありて、病氣足らざるは、急ぎて之を補うべし)
形氣不足 病氣不足 此陰陽氣俱不足也
(形氣足らず、病氣足らざるは此れ陰陽の氣俱に足らざるなり)
不可刺之 刺之則重不足
(これを刺すべからず、これを刺せば則ち重ねて足らず)
重不足則陰陽俱竭 血氣皆盡 五藏空虛
(重ねて足らざれば則ち陰陽俱に竭き、血氣皆盡き、五藏空虛に)
筋骨髓枯 老者絕滅 壯者不復矣
(筋骨髓枯れ、老者は絕滅し、壯者は復せず)
形氣有餘 病氣有餘 此謂陰陽俱有餘也
(形氣に餘り有り、病氣に餘り有るは此れ陰陽俱に餘り有るを謂うなり)
急寫其邪 調其虛實
(急ぎて其の邪を寫し、其の虛實を調う)
故曰 有餘者寫之 不足者補之 此之謂也
(故に曰く、餘り有る者は之を寫し、足らざる者は之を補う、と。此れ之を謂うなり)
故曰 刺不知逆順 真邪相搏
(故に曰く、刺すに逆順を知らざれば真邪相搏つと)
滿而補之 則陰陽四溢 腸胃充郭 肝肺內䐜 陰陽相錯
(滿ちて之を補えば、則ち陰陽四溢し、腸胃充郭し、肝肺內䐜し、陰陽相錯る)
虛而寫之 則經脈空虛 血氣竭枯 腸胃㒤辟 皮膚薄著
毛腠夭膲 予之死期
(虛して之を寫せば則と經脈空虛にして、血氣竭枯し、 腸胃㒤辟し、皮膚薄著し、毛腠夭膲し、之が死期を予めする)
故曰 用鍼之要 在於知調陰與陽
(故に曰く、用鍼の要は、陰と陽を調うるを知るにあり)
調陰與陽 精氣乃光 合形與氣 使神內藏
(陰と陽とを調うれば、精氣乃ちみち、形と氣とを合し、 神をして內藏せしめん、と)
故曰 上工平氣 中工亂脈 下工絕氣危生
(故に曰く、上工は気を平らかにし、中工は脈を亂し、下工は気を絕して生を危うくす、と)
故曰 下工不可不慎也
(故に曰く、下工は慎まざるべからざるなり、と)
必審五藏變化之病 五脈之應 經絡之實虛
皮之柔麤 而後取之也
(必ず五藏の變化の病、五脈の應、經絡の實虛、皮の柔麤を審らかにし、而る後に之を取るなり)

『難経』ではこうした誤治をするのは「中工」としていますが、根結では「下工」としているようです。
鍼や灸で患者さんの身体を調えようとする我々にとっても非常に戒めとなる論述だと思います。

今までみてきたように、『素問』・『霊枢』や『難経』は、「陰陽」や「五行(五臓)」を人体を理解するための手がかり(要素)として設定しています。現代の感覚だと、それだけで何か荒唐無稽というか、物語のように思えてしまうかも知れません。私自身にもそう思う部分はありました。ですが、今回改めて『難経』を読み進める中で、「陰陽」や「五行(五臓)」がメインの要素ではなくて、本当のメインは、各要素の間にある「関係性」なのではないかと思うようになりました。その関係性を「消長関係」といったり、「相生・相剋」と言ったりしている。そして、その関係性の乱れやねじれが不調や病をもたらしている。『難経』の作者も、一難からそのことをあの手この手で説き続けているのではないか。そう考えると、私達鍼灸師の仕事は、その乱れやねじれを調整して、本来の関係性に戻すことにあるのではないか、そのように思いました。
そのように考えますと、現代の医学が、細胞や遺伝子レベルで、抑制性や興奮性の伝達物質やメッセンジャーを活用したり、レセプターに干渉してその関係性を調整することで病気にアプローチしているのと、鍼灸師がやろうとしていることはそんなにかけ離れていないのかなと思うのです。

若干妄想が過ぎるかもしれませんが、『難経』の最後ということでご容赦ください。

最後までお読みいただきありがとうございました。
次回からまた、素問に戻りますので、引き続きよろしくお願いいたします。






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