きょうの霊枢 脈度篇 第十七(1) 2023/3/2
前回までで『素問』を読むのはいったんお休みとなり、今回からまた『霊枢』を読んでいきます。
十七番目の篇、「脈度篇」です。
経絡の長さの話がいっぱいです。
黃帝曰 願聞脈度
(黃帝曰く、願わくは脈度を聞かん)
歧伯答曰
手之六陽 從手至頭 長五尺 五六三丈
手之六陰 從手至胸中 三尺五寸 三六一丈八尺
五六三尺 合二丈一尺
(歧伯答えて曰く、手の六陽は手より頭に至り、長さ
五尺、五六三丈。
手の六陰は手より胸中に至り、三尺五寸、三六一丈八尺
五六三尺、合わせて二丈一尺)
まず、長さを見ていく上での基礎知識として、以下をおさえましょう。
1丈=10尺
1尺=10寸
1寸=10分
鍼灸師にとっては、鍼の長さで「寸3の2番」などと言ったりしますが、ここでは1寸=約3Cm(30mm)として扱われています。
では、『霊枢』編纂当時の漢の時代はどうであったかと言いますと、諸説あるようですが、一説では
1尺=23.75cm
1寸=2.375cm
とされているようです。
時代が下るにつれて短くなる傾向があるみたいですね。
というわけで、まず手の三陰三陽があって、それぞれ左右があるので、手の六陰六陽の長さを「二丈一尺」と求めます。
10の位と1の位を分けて掛け合わせ、その後に足す、という計算方法をとっていますね。
そして普通に十進法を用いています。
足之六陽 從足上至頭 八尺 六八四丈八尺
足之六陰 從足至胸中 六尺五寸 六六三丈六尺
五六三尺合三丈九尺
(足の六陽は、足より上りて頭に至り、八尺、六八
四丈八尺。
足の六陰は、足より胸中に至り、六尺五寸、六六
三丈六尺、五六三尺、合わせて三丈九尺。)
同様にこちらは足の三陰三陽、左右を合わせて足の六陰六陽として、合計で「三丈九尺」と求めています。
蹻脈從足至目 七尺五寸 二七一丈四尺 二五一尺
合一丈五尺
督脈 任脈 各四尺五寸 二四八尺 二五一尺 合九尺
(蹻脈は足より目に至り、七尺五寸、二七一丈四尺、
二五一尺、合わせて一丈五尺。
督脈・任脈は各おの四尺五寸、二四八尺、二五一尺、
合わせて九尺。)
さて、手足は順調に進みましたが、ここで躓きます。
「蹻脈」には現在では、陽蹻脈と陰蹻脈がありますので、どっちなんだ、という話になります。
歴代の医家は結局、男性には陽蹻脈が、女性には陰蹻脈が流れていて、それを集約して「蹻脈」としているのだ、と解釈していますが、若干苦しいように思います。
とりあえず、「蹻脈」で「一丈五尺」。
そして任脈督脈を合わせて「九尺」。
凡都合一十六丈二尺 此氣之大經隧也
(凡そ都合一十六丈二尺、此れ氣の大經隧なり。)
あれ、何か欠けているなと思うのは、いわゆる「奇経八脈」で考えたときに、「陽維脈」と「陰維脈」への言及が無いことです。
ここも、後代の医家は陽維脈と陰維脈は他に比べて細いので、カウントの対象になっていないのだろう、としていますがやはりちょっと苦しい。
まあ、陽維脈と陰維脈は『素問』の刺腰痛論に言及があるものの、「奇経八脈」として整理されるのは『難経』からですから、このあたりは編纂のタイミングの違い、ということでしょうか。
經脈為裏 支而橫者為絡 絡之別者為孫
盛而血者疾誅之 盛者寫之 虛者飲藥以補之
(經脈を裏と為し、支れて橫する者を絡と為し、
絡の別るる者を孫と為す。
盛んにして血ある者は疾くこれを誅す。
盛んなる者はこれを寫し、虛する者は藥を飲ませて
以てこれを補う。)
まとめとして、「経脈 ー 絡脈 ー 孫絡」の構成と、
病が実(盛)であれば、(鍼または刺絡で)瀉法を行い、
病が虚であれば、薬(湯液)で補法を行う、という治療原則が述べられています。
今回読んだのはここまでなのですが、経絡を実在のものと仮定して、その長さをまとめている、というところが興味深いです。
現代のように、動脈、静脈、毛細血管、リンパ管、神経、といった解剖生理学に基づいて構造と機能が整理されているわけではないにしても、
「気」や「血」といった概念を用いて、それが人体を巡る、という仮説はあながち的外れでは無いように思います。
今の私たちにとっては、心臓を中心にして、動脈→毛細血管→静脈と血液が循環しているのは常識ですが、その仕組みが発見されたのは1628年にウィリアム・ハーヴェイが血液循環論を確立したことによるとされています。
そう考えると、ウィリアム・ハーヴェイから遡る事、約1500年の古代中国で、「経絡」という概念のもと、何らかのエネルギー物質が、体幹から手足へ、そして手足からまた体幹へと巡り、それが1日に50周するという、循環的な生理現象を仮定していたということは、驚くべきことではないかと思うのです。
それが、徹底した観察によるものなのか、それとも「易」に見られるような抽象化された思考によるものなのか、何か不思議な力によるものなのかは分かりませんが、そこに私は「東洋医学」が多くの人を引き付ける力の源泉のようなものを感じずにはいられません。
さて、最近ボリュームのある回が続いたので、ちょっと短めで終われてほっとしておりますが、今回も最後までお読み頂きありがとうございました。