ブログタイトルに見る広告というシステムの古さ

ブログというものを始めてみました。数記事ほど書くと少ないながらもある程度のアクセス数があり、そのうちでもアクセス数を稼ぐもの、あまり稼がないものがあります。そうなると「少しでも多くのアスセス数を稼ぐような記事を書きたい」と思うのが人情です。

そこで「ブログのタイトルの付け方」のようなものを勉強しました。何よりの勉強は類似した記事のタイトルの付け方です。特にGoogle検索のトップに出てくるような記事を参考にしてタイトルを考えました(いわゆるSEO対策ということです)。

その結果、どのようなタイトルが多いかというと「~選」とか「~方法を紹介」とか「~のメリット・デメリット」とかです。これらを参考にしてブログを書いてみました。

ですが、絵を書き始めた人が他人の絵の粗を探すのがうまくなるように、一度そのような「手法」を気にしてしまうと色々と粗が見えるようになってきます。私が感じた粗とは「多くのブログ記事のタイトルは広告に近い」ということでした。

ブログ記事は「タイトルで集客し→読んでもらう」という流れをたどります。タイトルがだめだったら多くの人に読まれることはありません。つまりブログ記事のタイトルは広告と同じです。タイトルは「多くの人の集客」が目的であり、広告も「多くの人の集客」が目的だからです。

広告は悪いものではありません。ですが、「~するメリット・デメリット」と言われるよりも「~するメリットは~、デメリットは~」と端的に回答が得られればそれでよいのです。「~する方法」という記事よりも「~するには~すればよい」とタイトルで書けばよいのにそうはなりません。私が理想とする社会は「必要な情報が一瞬で揃う最適化された社会」です。現状はこれと乖離しています。ブログのタイトルはブログの内容を見てもらうものであるため、タイトルで結論にまでふれません。いちいちそれぞれの記事の内容を確認しなければなりません。

ではこれからのタイトル、あるいは広告はどのようになるべきなのでしょうか。私は一つの答えとして「論文の題目」があると考えています。論文の題目はそれだけで、研究者の実施内容がわかるようなものになっています。そこに無理に人の目を引きつけようとするキャッチーさは必要ありません。

なぜなら論文はどれだけ装飾で人を惹き付けたかではなく、どれだけその論文に価値があるかで評価されるからです。価値は論文の内容でしかありません。その価値をただ率直にシンプルに伝えることが要求されます。

そう考えると広告は「キャッチーな文章で内容の価値以上の集客を見込むもの」であると言えます。ここに戦後あたりから残る広告の古さを感じます。良い情報伝達方法は洗練されているべきです。極端なことを言えば、スマホの広告などはただスペックシートとベンチマークの結果だけをのせればよいのです。そうすれば「512MBの大容量メモリー」などという謳い文句も存在しません。

論文は書面による情報伝達方法の理想にかなり近い形式だと思います。おそらく難しいとは思いますが、多くの情報が論文に近い形式でよりわかりやすくまとめられ、伝達されていく世の中になれば良いのですが、なかなかそうはなりません。すでに私を含めた多くの人々が広告の価値分を差し引いて商品や情報を見るようになってしまっているからです(海外に行ったときの謙遜と同様の現象が発生するでしょう)

今回の記事は以上といたします。ノリハラのnoteでは「エッセイ」「ライフハック」等を主におすすめできるコンテンツなどのレビューも書いていきます。よろしくおねがいします。

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