思ったとおりに文章を書く方法について
私は趣味で小説を書いたり、このnoteのようにエッセイを書いたりします。その際に感じるのは「当初思い描いたとおりに文章を書くことは難しい」ということです。
文章を書き始め、前段を書き終えたあたりで「あれ? この前段を前提に話をすすめるためには、もう少し理屈の展開が必要かもしれない」などと考え始めます。エッセイにおける「思い通りに描けない」はこのように、当初説明する必要がないと感じていた部分に対して突如説明の必要が生じたり、例えば、「より良く生きるには」という記事を書き始めると「なぜより良く生きることができないのか」ということが気になって「HowよりもWhyの記事を書きたい」となることが原因だと考えてます。
これはプロの作家でも生じることのようで例えば「キャラが勝手に動いた」なんていう作家さんもいます。私はこの境地に到達したことはありませんが、こうなると、作家さんが当初思い描いたとおりには全く進まないでしょう。キャラが勝手に動くのを待つだけです。
出来上がったものが当初思い描いたものと異なっていた場合、自分が「この文章のコンセプトは伝える価値がある」と思っていたものとずれることになります。そうなると、本来は出来上がった文章を肯定するはずの自分でさえ、「誰かにとっては価値のある文章だろう」と希望的観測を持つしかありません。
私は人に見せるようなエッセイはあまり書いてこなかったので、自分を抑制するのが難しい、と感じることが多いです。おそらく重要なのは上記の「HowよりもWhyの記事を書きたい」と考え始めたポイントを自覚することだと考えています。「なんか違うな」という違和感を見逃さず、適宜修正を加えていくこと。そうすれば、その時々で「違和感のない文章」の連続となり、筋の通った文章になるはずだからです。これは、帰納的な文章というより演繹的な文章と言えるかもしれません。
話は逸れますが、このように演繹法としての文章術をどこかでまとめたい、あるいは、まとまっているものを読みたいです。私は論理的な文章をかけるようになりたい、と考えて、書籍に当たることがありますが、論理的な文章術の本は、はじめに論理があって、それに対して必要な文章を当てはめていく、という作り方しかされないからです。
文章としてはこれでもよいかもしれませんが、例えば会話であれば、修正はききませんから、一連の流れの中で相手に伝わる言葉を組立てていかなければなりません。しかし頭の中でロジックをぱっと組立てて話すことは(私には)難易度が高すぎます。ですので、話しながらでも、あるいは、連続して文章を書くだけで、言葉が相手の頭に論理的に通じるような文章術があれば良いのにな、と思っています。
それに近いのがとりあえず、文頭に「まず」「次に」「これは~だから」「もちろん」などの、接続詞を置くことを習慣化することだと考えていますが、このような手法が体系的に開発されることを望んでいます。そんな方法があれば、「何を言っているかわからない」と言われ、苦労する人々の悲劇をこの世からなくすことができるのですが。