ぐるぐる思考で悩んでいる方へ【進路】

「ぐるぐる思考」と私が呼んでいるものは「考えても考えても答えが出ない問題に対して考えること」です。私は、この状態に2度ほど陥りました。一度は(見る人によってはささいな)病気を患ったとき、もう一つは将来の進路に対して悩んだときです。進路に関しては一方は挑戦的で、でも、不安定な道、もう一方は、堅実で、でも、(もう一方に比べて)つまらなそうな道というものでした。どちらの道も努力しなければ掴めないものでしたが、私はそのどちらとも進むことが許されていました。進路は私の意思に委ねられたのです。


さて、その後、私がどちらの道を選んだのか、という問題はここでは重要ではありません。まだ、選んだ道が正しかったのかどうか、判断できない道半ばの状態だからです。この記事では、ぐるぐる思考に陥った人がどのようにすればよいか、考察します。

ぐるぐる思考に陥ったときにやるべきことは以下の3つです。
・時間をとる
・思ったことを紙に吐き出す
・人の意見を聞きまくる。

「やるべきこと」と偉そうに書きましたが、これは私が実際にやったことです。私は大学に行っていましたが、「ぐるぐる思考」に陥っている間はまともに大学に行くことはできませんでした。何をしても落ち着かず「こんなことをするよりも考えるべき問題があるんじゃないか」と思ったためです。

また、そうやって休んでいる間は思ったこと、考えたことを紙に吐き出すことが役に立ちました。思考が整理され、様々な視点から問題を切り分けることができたからです。ここで重要なことは「問題を見つめる」ことであって「決定する」ことではない、ということです。仮にいくつかの候補と変数に重みを付けて、それだけで決定することができる問題であれば悩むことすらないからです。(例えば、よくあるのは、私はお金を優先するからやりたいことを捨ててAという選択肢を選ぶ、等)

様々な人の意見を聞くのも良いでしょう。ですが、これは正直あまり参考にはなりません。他の人は所詮他の人だからです。あなたは悩みに悩み、考えに考えているはずですからそこで新しい知見が得られれば良いですが、あまりその可能性は高くなく、期待はできないでしょう。ここで期待できる唯一の効果は「時間をなんとなく有意義に使った気分になれる」ということだけです。たったこれだけかと思うかもしれませんが、考えすぎていると疲れますし、しかし全く関係のないことをしていても焦りが募るだけです。

いずれにしても重要なことは「問題と向き合う」ことです。吐くほど、あるいは熱を出すほど、その問題に向かい合ってください。というか、そうする他に道はないように思います。私がこの記事を書いた最大の目的は「悩むことを肯定すること」にあります。多くの記事では安易に答えを求めすぎているように思います。ですが、他者の言葉は重要ではありません。重要なのは考えた人が考えた認識なのです。少なくとも、私は一つの問題について悩んでいる間、とても苦しく、吐き気や熱で苦しみました。

そうやって悩んでいると時間をかければ「ああ、もう悩んでも無駄だな」と思うときが来ます。ある程度時間をかけると(私の場合は半年ほどの時間が必要でした)悩むことにも疲れてきて、悩みが悩みではなくなります。実際、私にとって進路の悩みは「不安定」こそが最大の不安だったのですが、その不安も「この半年悩んだことに比べれば小さいな」と思えるようになりました。深い谷を抜けることで、あるいは、深い谷を知ることで、恐怖が取り払われたような心地になりました。


それから、悩んだ時間は決して無駄にはなりませんでした。「私はあのとき考えに考えた。だから今選んだ選択肢がベストな選択肢だ。あのときの私にはあれ以上どうしようもなかった」と私は胸を張って言えるからです。自分の選択に後悔はない、というのは自信に繋がります。それに、ぐるぐる思考のときに考えに考えたおかげで、その後の大抵のトラブルは「予想の範囲内」となりました。これは副次的な効果かもしれませんが、「あのときの時間は無駄ではなかった」と思うには十分な成果です。


とはいえ、可能な限り「ぐるぐる思考」には陥らないで済むように過ごしたいこともまた事実です。もしも一度「ぐるぐる思考」から脱出できたら今度はぐるぐる思考に陥らないようにする方法を考えてみるのも良いかもしれません。もちろん、ぐるぐる思考に陥ったら、もう「考え抜く」以外に道はなく、同時に時の流れが問題となっている不安を押し流してくれることをすでに理解しているので精神的には強くなっているに違いありませんが。

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