宗教は無意味で矛盾したものだと考える理由【あれ? 天動説は?】
ノリハラです。基本的に宗教活動があまり好きではありません。その理由は「宗教は神様ではなく人を信じるもの」になっているからです。
この辺りの考えを共有、まとめていこうと思います。
私自身の経験として、親族に信心深い方々がいて、やや辛い思いをしました。以下は、そのときに感じた違和感の正体です。その辛い思いをより具体的に言うと「宗教にお金と時間を払うこと」でした。
もちろん「宗教によって救われる人もいる」という考えの人もいると思います。そういう人の存在を否定しているわけではありません。
私は神様を信じている。しかし宗教は嫌いだ。
最初に裏切るようで申し訳ありませんが、私は神様の存在を信じています。
さらに言えば、日本人の大半が薄く信じているのではないかとおもいます。お守りを買いますし、ちゃんとお葬式はする、というのがこの辺に現れています。この程度であれば、多くの方に納得いただけるのではないかと思っています(多分)
私が信じている(想像している)神様は以下のようなイメージです。
何でもできる
何でも知っている
何にでもなれる
子供が考えたヒーローみたいな設定になってしまいましたね笑
でも多分、多くの宗教の中で言われている「神様・仏様」は同じように描かれているのではないかと思います。
このように考えたときに、次に考えるのは「そんなすごい神様が、どうしてお金を取るんだろう?」ということです。
神様はお金を取らない
私にとっての神様は全知全能で何でもできる存在です。そのような神様が果たしてお金をほしいと思うだろうか、ということです。逆に、何にお金を使うのでしょう。
こういったときの反論として以下のような反論が来ると思います。
お金を払った人から優先的に幸福になれる
多くの人に布教するための建物・神官の維持にお金が必要だ
まず1つ目の「お金を払った人から幸福になれる」は正直「幸福になれる壺」と何一つ変わりがないのはおわかりかと思います。
それに「全知全能の神様がお金を欲しがらない」という前提だったら神様がお金をもらって喜ぶわけがありません。逆に言えば「たかが金銭の多寡ぐらいで人を選別すると神様が考えているなんて、なんと神様を冒涜した行為だろう」と考えるほうが私にとっては自然に思えます。
次の疑問としては「多くの人に布教するための建物・神官の維持」のためのお金ですが、これは結局「人」にお金をかけているということになります。つまり、そういう宗教側の人間は「俺達の食い扶持をボランティアで用意してくれ」と言っている乞食に等しいように私には思えます(ただし後述するような歴史的に価値がある建物に関しては話が別です)。
矛盾しているのは人間であり、人間にお金を払っている
そもそも多くの宗教において、「神様は全知全能」をうたっておきながら、その考えが間違えることが往々にしてあります。
有名なのは地動説の例です。某宗教では天動説が正しいと言われ、そんななか地動説を唱えたコペルニクスさんは裁判にかけられました。
「でも結局地動説が正しかった。あれ? あなたの宗教の神様は全知全能ではなかったのですか?」
正直、そう言いたくもなります。これに対して次のような反論が思いつきます。
「あくまで『人間』が神様の言葉を伝えただけだからその解釈によっては間違いも起こりうる」
それっぽく聞こえる言葉ではありますが、それってすべての宗教がそうですよね。この世に神様の言葉を直接受信するような宗教はありません。
すべての言葉は人が言った言葉か書いた言葉です。死後の世界も、運命についても全ては人が書いたものです。実際、そんな観測不可能な事象について確信を持って何かを言える人はこの世にはいません。
死んだことのある人はこの世にはいません。
運命について語るのであれば客観的な統計を要求しましょう。成功者の体験談ではなく「信者の〇〇%が成功しました」と数字を出してください、と言いましょう(実際は言いませんし、おそらく開示してもらうことは不可能だということは分かって書いています)。
人間が考えたおとぎ話に振り回されるのはもう終わりにしませんか?
ただし、学問としての宗教は面白い
ところで、京極夏彦先生の「魍魎の匣」という作品をご存知でしょうか? その中の「京極堂」というキャラクターが好きです。
彼は、非常に多くの各地の伝承や、宗教に関する知識を物語と絡めて紹介する知的なキャラクターです。
このような「知識・教養」としての宗教は非常に面白いものがあります。なぜ面白いのかを説明するのは難しいですが、例えば、どうして私達は神社に初詣に行き、お寺でお葬式をするのか、など私達の生活のルーツを辿ることにもなるからです。海外の歴史にも宗教が大きく絡んできます。
宗教から見えてくる様々なルーツ、景色は見ていて楽しいものです。
それに、「禅」に代表される精神的なトレーニング法は科学的に認められているものもあり、ある意味「幸福論・人生観」としての宗教は非常に面白いです。
ですが間違っても「お金を集め、訳のわからないお守りにお金・適当なアドバイスを払うこと」はただの神様の名前を借りたお金儲けに過ぎません。
知識はいくら高くても6000円程度の本で売られています(一般的には1000円-2000円)。アドバイスに関しては、しっかりと話を聞いてくれる友人、知人を見つけましょう。
以下は、人を育てるための方法であるコーチングに書かれた本です。宗教関係の人も、信者に高い相談料をとって個人的にアドバイスする際には、話術によってよりよい答えを探ろうとしているのではないかと思います。
ただあまり好ましくないなあと思うのは、そのアドバイスが「神様が良くしてくれますよ」と最後に付け加えて、すべてを放り投げてしまうところです。
最後に、宗教を信じている人に、上記のようなことを言っても争いになるだけです。論理的な説得はほぼ不可能だと割り切ったほうが良いと思います。
私と同じ様につらい思いをしている人にとって、少しでもなぐさめになれば幸いです。