自分の自転車じゃないと上達できないという話【失敗を恐れる私】
小さい頃、私は自転車の練習をしていました。
自分の自転車ではありません。同じ幼稚園に通う友人のものです。
母が見守る中、日が暮れるまで自転車で練習をしていましたが、これが全く上達しませんでした。
その理由は、以下の通りでした。
1. 自分の自転車じゃないので「傷つけちゃいけない」と思って派手にコケるようなリスクを取ることができない。
2. リスクと取ることができないので「思いっきり練習」ができない。
3. 「思いっきり練習」ができないので、「どこまでバランスを崩していいか」が分からなない。
最近は、友人から借りたゲームで似たような経験をしました。
いくらやっても上達しないのです。
あなたは、自分の自転車に乗れていますか?
今、私は仕事をやっていて、3年ほどになりますが仕事で「成長した」と感じることがありません。
毎回同じ様にだめな資料を作って、毎回同じ様に失敗して、毎回同じ様に怒られる。
全く成長がありません。
別にこれでお金がもらえているのだから、それでも良い、と思えるのであればそれも一つの解でしょう。
でも、私はどうにか成長したいと心の奥底では思っています。
そのためには「失敗を過度に恐れない心」が必要なのです。
自分の手で自分の自転車に乗らない限り成長はない、と過去を振り返って思いました。
とりとめもない文章になってしまい、申し訳ありません。
失敗を恐れる原因
では、失敗を恐れる原因ってなんだろうと深くさらに掘り下げていこうと思います。
失敗を恐れるのは当たり前ですが、社会人の私の場合、以下の理由で失敗を恐れているのだと考えました。
1. どうせ「却下」されるのが目に見えている。(学習性無気力)
2. 結局失敗しても、自分が損失を被るわけじゃないのにバカバカしい
1. どうせ「却下」されるのが目に見えている。(学習性無気力)
これは、「私が何を言っても無意味だ」というのが分かっている、という意味です。
人間というのは往々にして感情の生物です(最近まで世の中は理屈が通ると思っていましたが、なかなか難しいなあ、と感じる今日このごろです)。
それに人間ごとの信頼値というものがあります。
私のような若手が何を言っても聞く耳を持たない人は持ってくれません。同じことを権力がある人が言うとそれが通ることもあるでしょう。
それならそれで良いのですが、そのことをしっかりと自覚してほしいと思っています。
つまり上司は信頼していない人に対しては「あなたのことは信頼していないので、何を言っても無駄だよ」という体でいたほうが良いのではないか、といことです。
「それは流石に非情じゃないか」という人もいるでしょう。ですが、聞く耳を持たないにも関わらず「とりあえず資料を作ってきて」と言い、さらにその資料を作ることでその後の業務スケジュールが圧縮されるということを考えれば、無駄なことは省いたほうがよいです。
2. 結局失敗しても、自分が損失を被るわけじゃないのにバカバカしい
結局「なんで私ってこんなに真面目に問題に取り組んで、怒られなくちゃいけないんだろう」というところに行き着くのですよね。
この問題で直接的に誰が害を被るかといえば、間違いなく私を失敗させている上司にほかなりません。なにせ部下一人空回りさせているのですから。
もちろん将来的に私のスキルが伸びず、私の行く道がなくなる、という意味で私は損をするかもしれません。ですが、そんなことは些細なことです(前記とは矛盾しますが)。
なんとなくやるせなさと虚しさを感じてしまう、というのが正直なところです。純粋に業務にだけ集中したい、と思うのに、よくわからない資料ばかりを作らされて、こんな人間関係で悩まなければならないのはなぜなんだろう、というわけです。
会社にいる限り「自分の自転車に乗れないのではないか」と思ってしまう。
理屈で全てが通ることはありません、と述べました。
会社とは結局の所株主、あるいは出資者のものであり、彼らが決定権を持っています。
そして彼らは人間であり、人間とは感情で動く生き物なので、理屈だけですべてを見通せるわけではありません。
このように社会を俯瞰してみると、結局私達は「人間の決定」という不確かなもののために労働をしているといえます。
(これの対極にあるのが数学者だと私は思っています。それも理想を追い求めすぎているのかもしれませんが)
それが「誰か」一人のための労働である限り、結局上記のような2つの理由を抱えていたとしたら自分の仕事を主体的にやろうとはどうしても思えないのかもしれません。
かと言って、フリーランスになればよいかといえばそういうわけでもないでしょう。全く同じ問題が発生するだけです。
結論は特にありません。悩み続けています。
7つの習慣で言うところの「影響の輪」「第二領域」にのみ焦点を当て、行動したいなあと思いました。
エッセイ、あるいは小説の地の文のだと思っていただけると嬉しいです。
むしろ、このような私へアドバイスなどありましたらぜひ教えて下さい(Yahoo知恵袋みたいになってしまいました)