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熱学思想の史的展開(2)熱とエントロピー
本日は読書会です。
唯一日本からデンマークへ持ち込んだ文庫本
山本義隆「熱学思想の史的展開(2)熱とエントロピー」
をようやく読みました。
日本の活字が読みたい時期になってきています。
ざっくり本の説明
本書の概要
みなさんも一度はつまづいたであろう熱力学(私だけ?)の歴史本で、
熱に魅了された先人たちがどのように学問を確立してきたのか、を丁寧に解説した本です。
2巻目である本書のあらすじはこちら
カルノー28歳、わずか1篇の論文「火の動力」で、熱力学の基礎を確立した。イギリスに誕生した蒸気機関は、フランスで効率改良の理論研究が進められ、彼は熱の生む動力の絶対的な制約を見出す。だがその理論は巨視的自然の究極の真理に触れるラディカルなもので、技術者にも物理学者にも受け入れられることなく長く埋もれる運命となる。第2巻は、熱力学草創期。熱素説の形成と崩壊、そして熱力学第1法則、エネルギー原理の確立と進む。さらに議論は熱力学第2法則とエントロピー概念の形成へとのぼりつめていく。欧米にも類書のない広がりと深さに裏付けられた、迫力ある科学史。全3巻。
より あらすじ
本書の時代感
第2巻は、18世紀後半(1780年ごろ)から19世紀の中ごろ(1850年ごろ)までの熱力学の歴史が語られます。
まさに産業革命(18世紀後半〜19世紀前半)が起こった時期と重なります。
熱力学の進展は、熱から動力を生み出す熱機関の発明と、その社会実装と繋がっていたのでした。
ちなみに本書で活躍が紹介される科学者、錚々たる面々です。
ラプラス、ポアソン、カルノー、ワット、ヤング、ジュール、ファラデー、トムソン(ケルビン)…
特にラプラスさん、あなたいくつの分野を研究してきたんですか?
Pierre-Simon, marquis de Laplace (born March 23, 1749, Beaumount-en-Auge, Normandy, France—died March 5, 1827, Paris) was a French mathematician (数学者), astronomer (天文学者), and physicist (物理学者) who was best known for his investigations into the stability of the solar system (太陽系の安定性に関する調査で最も知られる).
https://www.britannica.com/biography/Pierre-Simon-marquis-de-Laplace
本書でも少し紹介がありますが、ラプラス最大の功績は
ニュートンの力学を解析的に書きあらため、土星と木星の長周期摂動を解決し、太陽系の安定性の力学証明に貢献した点、とのこと。
熱力学におけるラプラスは、化学者ラヴォアジェとともに1783年に『熱についての論考』という論文を出版。
その中で
①熱量学を代数的に表現し、
②当時熱の本質として議論されていた熱物質論と熱運動論を併記し、のちのち19世紀中期に分子運動論として生かされることになる論(熱は分子の運動の結果の活力で、それは $${分子質量 \times 速度^2}$$ の和である)を展開
しました。
数学でもラプラス変換でお世話になっているし、このかた偉大すぎるなぁ。
読んだきっかけ
2022年ごろにふと、エネルギー業界に携っているのに熱力学について何もわからんのはマズいなと思い至り。おすすめの勉強本を調べる中で出会ったのがこの本です。
たしか、ヨビノリさんかQuiz KnockのYouTubeでおすすめされてたのを見て買ったような気がします。
1巻を読んだあと2年ぐらい積読をしてしまっていましたが、
読む好機がいつか来るのではと期待して、2巻と3巻だけデンマークに持ち込んだのでした。
気になった点と感想
私の視点で気になった点と、その理由・感想などを少しご紹介します。
フランスのエコール・ポリテクニクの成功と、科学者という職の誕生
(p.52-55)
15世紀ごろまでのフランスでは、科学は基本的に貴族のものであり、研究への専念は暇と金に恵まれた一部の貴族か、才能ある例外的な個人のみにだけ許されていた。
フランス革命を経て樹立した革命政府は、1794年に科学者・技術者養成のための中央公共事業学校(後のエコール・ポリテクニク)を開校。軍事目的の側面はありつつも、基礎科学の振興は国家政策となった。
このエコール・ポリテクニクで教育をうけた卒業生(ポアソンやカルノーなど)がフランスの科学をヨーロッパの最先端に押し上げたそう。
同時に「一貫した科学教育を受け、科学者として生計をたてた最初の世代」が誕生。
一例として、熱膨張などの研究に従事したゲイ=リュサックはフランスの片田舎の法律家の家庭に生まれ、エコール・ポリテクニクで学び、科学者としての地位を築いた。
私が工学の大学院教育まで受けることができるようになったのも、こういった制度の確立(元を辿れば市民運動)の結果と思うとありがたいなと思いました。また、科学技術力は国力の1要素であることも示唆しているように思います。
熱の正体をめぐる論争:熱素説と熱運動説
(p.130など)
第2巻で語られる歴史は、熱素説と熱運動説の対決が多くを占めています。
当時主流だった熱素(Calorique)説は、
目に見えず重さのない熱素という物質が,物体間を移動することで温度が変わる、とする論です。
今となっては、分子の運動(振動)が熱を生じている、という熱運動説が正しいと分かり、教科書に載っています。
しかし当時は原子・分子を観測することもできない時代です。
あらゆる科学者が、支持する説を異なれど、少しずつ実験や思索から新たな事実を明らかにして、熱力学の確立に近づいていく過程は、読み物としても面白かったです。
天才と称される先人たちも未知に挑むときには沢山間違え、それを乗り越えるという過程を踏んだのだと改めて認識できたことは、今後の研究の励みになりそうです。
自然観(社会観)の転換:自然に対する人間の優位の自覚
(p.184-189)
産業革命を通じて火力機関の動力を獲得した欧州の、自然観の変化についての言及があり、非常に興味深いです。
熱素説創始者の一人であるクレグホンの論文「火について」では、自然界における熱の活動の不変性をただ賛美するという静観的態度に終始していた。
その半世紀後に発行されたカルノーの論文「火の動力」では、熱の働きとしては人工的な火力機関の動力がより重視され、人間がその力をいかに制御しその能力をいかに使役するのかという能動的態度が貫かれている。
熱に対する「自然哲学」的把握から「政治経済学」的把握への転換と言っても良い。このコントラストに、フランス革命と産業革命の勃発をはさむ半世紀の間の自然観=社会観の転換ーーー自然に対する人間の優位の自覚ーーーを見ることができよう。
気候変動対策の1つとして考えられ始めている「気候工学:ジオ・エンジニアリング(Geo Engineering)」も、人類が自然をコントロールすることができる、という観念を前提とした議論と思います。
ところで、日本と比較すると欧州は「自然に対する人間の優位」を感じやすい土地柄なのではないかなと思っています。
少なくとも私の留学先のデンマークは地震は起きず、火山はありません。一度の降雨量も少なく、台風が来ることも稀。懸念されている自然災害は海面上昇ぐらいかなと。
(だからこそ気候変動対策への意識が高いという認識です)
この土地柄による自然観の違いを把握しておくことは重要なことと思いました。
言語の壁(p.342-343)
わかる、わかるよその気持ち。となった一文。
デンマーク人ルードヴィヒ・コールディングは、1843年にデンマーク語で『力についての論考』を著したが、それについて1864年に『フィロソフィカル・マガジン』に掲載した英語の論文で「デンマーク語がスカンディナヴィア諸国以外ではほとんど理解されないことを大変に悔やんでいる」と述懐し、次のように回顧している。
時代が移り現在は、デンマーク人のほとんどが英語を喋れるようになっているので、彼のように悔やむ人も少なくなってそう。
デンマーク語と英語は遠縁なので、習得も容易そうで羨ましいです。。
凄いことを発見する人と、その凄さに気づく人
(p.372-p.377)
凄いことを発見しても、その凄さに気づく人がいなければなかなか普及しない、というエピソード。
ジュールは羽根車の実験などを通じて「物体の摩擦によって生ずる熱は、固体・液体にかかわらず、消費された力の量に常に比例する」ことを明らかにしていきます。これは熱素論に終止符を打つことになる重大な成果でした。
1847年の研究は、その年6月のオクスフォードにおける英国協会の数学・物理学部会で発表された。それまでジュールはほとんど認められておらず、そのときも司会の「手短に」という要請によってジュールは実験の概要の簡単な報告を余儀なくされている。しかもそれについての討論も促されることはなかった。
しかし何が幸いするかわからない。数学・物理学部会の会場にはジュールの実験の重要性に気づいたーーー気づくだけのセンスと柔軟性と問題意識とをもったーーー人物が一人その場に居合わせた。ウィリアム・トムソン(後のケルヴィン)である。
トムソンはジュールの報告に衝撃を受け、それについてより詳しく知りたいと思い、その日二人はすぐさま話し合っている。
トムソンも当時、熱素説の信奉者であったので、
ジュールの結論を100%受け入れられないとしたものの、それでも実験結果の中になにがしかの真理が含まれると見抜いたようです。
トムソンの働きかけもありイギリスの王立協会の論文発行に至るのですが、ジュール最初の論文発表から10年ほどが経過していました。
定説をあらためることがどれほど難しいのか、を示しているように思いました。ときには確証バイアスを乗り越えて認識をあらためることも大切ですね。
とても良い本で、大学学部生のときにこの書物を読めていたらよかったな、という気持ちです😅
ともあれ、
今学期中に第3巻目を読み終えることを目指してゆるく読んでいこうと思います。
次はエントロピーへ。
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