「まずやってみる」こと|神の隠す手の原理
自分が悩んでいることは、他の人がとっくの昔に答えを出している。そんなことはよくありますよね。
同様に、直感的に理解していることが実はすでに実証されていたり、体系化されたりしていることもよくあります。勉強不足を痛感するばかりです。
今回の記事の結論を先取りすると"「まずやってみる」という言葉の確からしさは、ある研究で実証されていた"というものです。今回は伊丹先生の新著『中二階の原理』を参考にしています。
新規事業開発を進めている方にとって、背中を押す内容になっているかと思います。ぜひご覧ください。
やらなきゃわからない
新規事業のアイデアをどれだけ考えても、どれだけWebで調査をしても、顧客に受け入れてもらい、使い続けてもらえるかどうかはわかりません。なので、
・まず想定顧客に話を聞いてみよう
・アンケートを取ってみよう
・プロトタイプ(試作品)を作ってみて、顧客の反応を確認しよう
・あるいは(若干乱暴ですが)、どんなに検証をしても基本的にうまく行かないことは存在するので、とにかく事業を立ち上げよう
という話が出ることがあると思います。
結局、新しい取り組みなので、全てを検証することも難しいですし、チマチマ活動することによって時期を逸することもあります。なので「まずやってみよう」という意見にも行動にも一理あります。
なぜやらないか?
ただ、企業内で新規事業開発を進めるには、経営層が受け入れられる程度にリスクを抑制することも大事ですし、当然のことながらお金をドブに捨ててしまわぬよう、まずやってみるにしてもある程度ちゃんと考える必要はあります。
その上で、それでも「まずやってみる」のが難しいのは、「やってみた結果、待ち受けている困難が想像できてしまう」ということが挙げられるでしょう。
「人間、この先どのような困難があるかを予想する能力は高い」ためです。
やったらわかるし、できる
「人間、この先どのような困難があるかを予想する能力は高い」と記載しましたが、続きがあります。
「一方、その困難に対する自分たちの解決能力を予想する能力は低い」
ということもまた言えるようです。困難に対する自分たちの解決能力を予想する能力は低いが、実際はもっとうまく活動できる、と。
先にご紹介した『中二階の原理』によると、経済発展理論の大家 アルバート・ハーシュマンの調査で、世界銀行が支援した経済発展プロジェクトのうち、成功したプロジェクトの多くが「想定外の困難にプロジェクト開始後ぶつかり、しかしそれを克服して事前の想定とは少し違う形で成功する」という共通パターンがあることを見出しているようです。
これをハーシュマンは「神の隠す手の原理」としています。アダム・スミスの「神の見えざる手の原理」とは異なり、神が人間の「困難に対する自分たちの解決能力を予想する能力」を隠していることを指しています。
まとめ
繰り返しの念押しになりますが、企業内で新規事業開発を進めるには、経営層が受け入れられる程度にリスクを抑制することも大事ですし、当然のことながらお金をドブに捨ててしまわぬよう、ちゃんと考えてから行動する必要はあります。
その上で、「困難に対する自分たちの解決能力を予想する能力」が神によって隠され、不安を感じて行動できないのであれば、まずやってみるということもやはり重要ということだと思います。
Relicはこのような意義ある取り組みを様々な角度からご一緒しています。ご興味をお持ちいただける方はお気軽にご連絡くださいませ。