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歯車になろう──君のいまがより良くなるように。
機械式の時計のなかにある、たくさんの歯車がくるくると動いて姿を想像してみてほしい。
小さな歯車や大きな歯車もある。それぞれがしっかりとかみ合わさって動力をもち、滑らかに回り、時計の針を揺らしていく。
時を刻んでいくには一つひとつ大きさの違う歯車の、歯と歯が合わさっていることが不可欠だ。
ぼくもそう。家族や仕事の仲間との歯が噛み合わさったときに、心地よく、楽しくいられる。そんな気がする。
では、歯車を噛み合わせていくには、どうすればいいのだろう。
あの人や、自分の、好きなこと、上手なこと、苦なくできることはなんだろう。
周りにいる人の顔を思い浮かべながら、相手の歯車の歯のカタチを観察し、また自分の歯車のカタチも見るよう努めてみる。
すると、僕という歯車は、こういうところではあの人と、逆にこんなところではあの人の歯と噛み合うことがわかってくる。
***
これからは少しづつ、彼女と仕事もしていくことになりそう。
勤め先の仕事や家族との暮らしにおいては、歯車のカタチをメンテナンスしながら変えてきた。
(以前は「変化を受け入れる力=応答性」と書いたね)
だが、彼女と何かしらのプロジェクトを走らせる時には、相手に合わせて自分の歯車を調整しようとはしてこなかった。これまでの僕は、自分がこうありたいという気持ちを優先してきたのだ。
これからは「こういうふうにありたい」「こういうことがしたい」という、エゴは捨てる。それは、いい意味での諦め。
自分よりも上手な人に託し、ぼくはできることで手を取り合う。その過程もまた、自分の本当の姿を知る道。
どんなに小さくても、自分がなにかしらの歯車になれていることは、とても幸せなこと。
歯車になっていきたい。
いづれは歯のカタチを「変える」から「還る」となっていくのだろう。父さんはそんなことを考えながら、GWを過ごしています。
君のいまがより良くなるように。