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「こうありたい」に一歩ずつ。
お仕事のパートナーである女性に、ぼくはいろんなことを教えてもらっています。
たとえば、表面的に見えてくる得意なことや好きなことにとらわれず、その人がいちばんイキイキと過ごせる状態を、同じ目線にたって、ゼロベースで、一緒に探していくことが大事だって。
これまで彼女のことを「編集者であり、フォトグラファーである」と思い込んでいました。それは一つの側面に過ぎなかったんですね。
理想の暮らしはどのようなものか。そのうえで、理想の働くとは、どのようなものか。
そんなことを話し込んでみると、彼女の「こうありたい」という姿が浮かび上がってきました。
ありたい姿とは、文化祭の実行委員をつとめていたときのように、長い目で、チームをつくり、人の得意なところを生かしながら、ものをつくっていくこと、だとか。
学生時代に文化祭の実行委員長だったことは聞いていたんだけど、そんなにも大事なことだとは、思っていなかったんだよね。
なぜか?と聞かれたら、ぼくの都合による思い込み。
これまでは、自分の知っている編集者やフォトグラファーという「枠組み」の当てはまるところに、いてもらったような感じかもしれない。
あるいは、ぼく自身が、いろんな事情や欲をふまえて「こうあってほしい」と、そこにいる役割を、おねがいしてしまっていたのだと思う。
うん、それは良くなかったなと反省しています。
これからは、編集者やフォトグラファーでありつつも、事業全体をプロデュースしていくような、もっと広いフィールドで、一緒に仕事をさせてもらうほうが、楽しくなるかもしれない。
仕事は、ありたい姿に一歩ずつ近づいていくための手段でもあります。
無意識のうちにいろめがねで人を見ていることを、忘れずにいたい。理想の暮らしや働き方を自ら聞いて、受け入れたうえで、どうやったら近づけるのか、向き合っていきたい。
その人に楽しく日々を過ごしてもらいたいと考えるのは、君のお母さんのしあわせを心から願うことと、似ている。
君のいまもより良くなるように。