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「フォークで麺を食べる」から考えたこと
ベルリンに来てから3度目の引っ越しを終えた日の夜、目の前に座ってフォーを食べる彼女が言いました。
「麺をフォークで食べるのははじめて」
あぁ、たしかに。その瞬間、僕はフォークの万能さに感動しはじめました。ここドイツでフォークは、なくてはならない存在だと感じられたからです。
このあと2人でフォーク談義をすることになったので、是非一緒に考えてもらいたいです。
そもそもフォークはどうしてあんなふうな形になったのでしょう?
食べるものを口の中に運ぶために、刺せる・すくえる・切ることができる形状にしたら、自然と今のフォークの型が作られたのだろうと、パッと思い浮かびます。
フォーク全体を眺めていてふわっと思えたのは、柄をふくめると「手の形」に似ていること。手先を開いたらフォークになるし、手先を閉じて丸めるとスプーンになる。
じゃあ、スプーンやフォークではなく箸はどうなんだろう?と、ついつい考えてしまいます。手の形に似ているか否かというと、はじめは違うかなぁと思いました。が、両手で何かものをつかむ時そのものが、箸でものをつかむ時と同じように見えませんか?
これらから(手の)「動作は道具になる」んだなとわかってきます。そして、人の動作は僕らの身の回りでたくさん活かされていることも。
たとえば、毎日ぼくは手を洗います。手を綺麗にするために(目的)両手を擦り合わせ、その摩擦で汚れを落としています。この原理を利用しているのが洗濯機。原理は目的と状態がセットです。ドラム缶がぐるぐる回るのは当たり前のことですが、必ずしも常識でなくてもいいわけです。それでもドラム缶を回すのは、中で布地を擦り合わせて汚れを落とすため。
きっとこんなふうに、僕らが毎日自然とおこなっている動作の先に必要不可欠な道具があるのだろうなというのが、今日の気づきでした。
最後にひとつ告知を。
ベルリンでも毎日欠かさず使っているイケウチオーガニックさんのメディア『イケウチな人たち。』がローンチしました。
一端として携わらせてもらいましたよ〜。そのどれもが、ものすごく心を動かされる取材だったなあ……。どうぞお楽しみに。