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無名塾「等伯-反骨の画聖-」
無名塾「等伯-反骨の画聖-」by takuroh shirafuji
10月に入りそろそろ能登は演劇のシーズンに突入します。
能登演劇堂で毎年行われる無名塾の公演で
今年は仲代達矢さんが演出をなさって
無名塾+市民合同公演になります。
毎年この頃になると人手足らずなため
友美さんが(たまに自分も)スタッフとして
関わらせて頂きます。
今日は友美さんは珠洲までお手伝いに行ってきました。
能登演劇堂はずっと在って欲しい場所なので
自分たちのできる範囲で微力ですが
お手伝い出来れば良いなと思います。
[概要 ]
第38回国民文化祭 第23回全国障害者芸術・文化祭 いしかわ百万石文化祭2023 七尾市地域文化発信事業
長谷川等伯は、1539年、 七尾に生まれた。 戦国時代の後半、まだ信玄や謙信や信長が全国の覇を争って各地で戦いを繰り返していた頃である。 誰が勝ってもおかしくない、そうした下克上の世の中に、等伯はどんな夢を見たのだろうか。 能登で染物屋を営みつつ、絵仏師としても活躍していた彼は、その頃の 名を「信春」と言った。その彼が、30代に京の都へとのぼり、50歳頃には 「等伯」と号して、都の名刹に 豪華絢爛な天井画や襖絵を手がけて行くのである。等伯は、当時の画壇を牛耳っていた狩野派と争い、 みごと秀吉直々の仕事を請け、「天下の絵師」として名を馳せて行く。 そして、国宝 「松林図」 が生まれる。 等伯は、なぜ「松林図」を描いたのか、その謎に迫る物語でもある。