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世界で活躍するための鍵は「自分だけの武器」

「どうやったら海外で働けますか?」

という質問をよくもらう。たしかに海外で働く人の姿はかっこよく見えるかもしれないし、日本の外に目を向けることは選択肢を広げてくれるから大切だ。しかし、海外で働くということはあくまで手段でしかなく、それをはき違えて目的にしてしまわないように注意したい。

むしろ深く考えるべきなのは、その目的のほうだ。一度きりしかない人生で自分がやりたいこと、成し遂げたいことは何なのかをじっくり考えたい。

その一方で、日本だけに縛られているのはさらにもったいない。自分の目的が明確で、ベストな環境が日本の外にあるならば迷わずに一歩を踏み出すべきだ。つまり、海外で働くことが重要なのではなく、自分の世界を日本に限定せず、可能性を狭めないことが大切なのだと思う。

ニューヨークで感じた刺激と焦り

大学生のときニューヨークに一人旅をした。20歳だった。"夢を持った人が世界中から集まりエネルギーであふれている" と言われる場所を見てみたかったからだ。バイト代を貯めて航空券を買い、3週間ほど滞在した。

見てみたかったと言っても、何をすればいいのか特に当てはなかったのだが、そんな心配はいらなかった。

様々な人種の人々でごった返す街中、圧倒してくるネオンや、至る所に溢れるアート、新しいものと古いものが共存する街並みは、あまり海外経験がない僕にとって十分すぎるほど刺激的で、ただ街を歩いているだけでも周囲からエネルギーを受けているような感覚を覚えた。

それに、ウォール街のビジネスマンから、カフェのバリスタ、道端のパフォーマーだって、この街で暮らす人々にはそれぞれに明確な目的があり、それを叶えるために生きているように見えた。この街が "エネルギーであふれている"と言われるのは彼らのように日常を懸命に生きている人間が高密度で詰め込まれているからなのかなと思った。

そんな刺激を受けるには最高の環境なのに、少しすると日本に帰りたくなってしまった。当時、自分に自信がなかったことも手伝ったのかもしれない。彼らの姿を見ていて焦りを感じるようになってしまったのだ。「こんなに頑張ってる人たちがいるのに自分はこんなことしてていいのか?早く日常に戻って自分がやるべきことをしたい。」と思うようになった。

自分には何ができるか

しかし帰りのフライトまではまだ日がある。とりあえずコーヒーを買ってベンチに座り、なんとなく街を行き交う人々を眺める。それにしても、この街にはありとあらゆる人種の人たちがいる。

白人、黒人、アジア系、ラテン系、ユダヤ系など様々な人種の人々が同じ空間に詰め込まれていて、この国は本当に移民の国なんだなと実感させられる。彼ら自身か、彼らの家族がアメリカに渡ってきたのだろう。外の国からやって来て、言葉も文化も違う土地に根を張って生きているなんてとてもたくましいなと思った。それと同時に、一つの疑問が浮かんだ。

「もし自分がいま、この街に突然放り出されたら、彼らのように生きていけるだろうか?自分には一体何ができるだろうか?」

しばらく考えてみたが何も思いつかなかった。英語もろくに喋れない。何か人より優れた特技があるわけでもない。自分がこの街で生きていくためにできることが何一つ思いつかない。自分には何もない。

環境に守られていただけだった

とはいえ、これまで全く何もしてこなかったわけでもない。受験勉強を頑張って、大学に入って、単位は落とさないように授業に出て、一応それなりにやってきたつもりだ。それでもここでは自分は何者でもない。そこではっとさせられた。これまで自分は日本という環境に守られていただけだったんだと。

日本に生まれて当たり前に日本語が話せて、なんとなく存在するように見えるレールにのって大学まで進み、不自由がない環境で自分が何者かであるように錯覚していただけだったのだ。ここでは日本の大学の名前なんて誰も知らないから学歴などないものに等しい。日本から一歩外に出て、自分からそれらを取り去ってしまったら何も残らなかった。

目の前を通り過ぎていくゴミ収集車を見て「ゴミ収集なら雇ってもらえるだろうか?」という甘い考えが一瞬よぎったが、言葉が通じない人間をわざわざ雇う理由などないことにすぐに気づいた。

「運が良ければ日本食レストランの皿洗いなんかで働かせてもらえるだろうか?」とも考えたが、ここでもまだ日本というくくりにすがろうとしている自分が情けなくなった。

世界を日本に限定したくない

今のままでは、この広い世界で自分の居場所を日本に限定せざるをえないという実感と、それは極端に選択肢を狭めているという事実に気がつき、強い絶望を感じた。

一方で、幸いにも自分にはまだ少しだけ時間があることに安堵した。将来、日本の中で生きるのか日本の外で生きていくのかは知らないけど、選択肢を日本だけに限定せずに自分が本当にやりたいことができるベストな環境を選べるようになりたい。

そのためには何をしたらいいだろうか。英語は今から勉強するとして、それだけで日本の外の優等生たちと対等に渡り合うことができるだろうか?そうとは思えない。

例えばそれが会社の採用試験だとしたら、たとえ英語を流暢に話せるようになったとしても、その国の人間を差し置いて外国人を雇うにはそれ相応の理由が必要だろう。それ相応の理由とは一体なんだろうか。

自分にしかできない何かを持つこと

しばらく考えた後、僕は「その理由となり得るのは、専門性ではないか。」と仮説を立てた。専門性とはつまり、自分にしかできない何か、自分だけの武器となる何か、を持つことだ。

幕末から明治にかけての日本では、技術や文化の発展を加速させるために、専門分野に卓越したお雇い外国人が日本に招き入れられた。それと同じように、現代で日本の外であっても、専門性があれば、それを欲する人々から必要とされる図式が成立するのではないだろうかと考えたのだ。

ではその専門性はどうやったら獲得できるのか。それは自分がやりたいこと、自分が勝負すると決めたフィールドを突き詰めることでしか身につけることはできない。突き詰めていく過程で、身を置くべきベストな環境がどこなのかが見えてくるし、実際にその環境には、それまで磨き上げてきた自分の武器が連れて行ってくれる。

専門家でいることは世界を広げるための鍵になる

この一人旅がきっかけとなって意識が変わったように思う。自分が勝負しようと決めた宇宙工学で世界でも通用する力をつけようと思った。大学に入ってから単位をとるためのうわべの勉強しかしてこなかった数学や物理も基礎からみっちり勉強しなおした。

宇宙工学の専門家を目指す中で、キュリオシティーの火星着陸のニュースがきっかけとなりNASAジェット推進研究所を知り、自分にとってのベストな環境に出会えた。NASAへの就職を目指す過程でも、特定の技術の専門家であったことが強みとなり採用してもらえた。NASAがその技術を欲しがったからだ。

大学院で研究しているときにも何かの専門家でいることは世界を広げるための鍵になると実感することがたびたびあった。一介の大学院生にも関わらず、国際学会でいいプレゼンをすれば海外の研究者があちらから話しかけに来てくれるし、ヨーロッパの研究機関でもアメリカの大学でも、滞在したいとお願いすれば受け入れてもらえた。

自分の武器となるものを持つことが大事だという意識は、NASAで2年間働いた現在の実感とも合致している。僕は日本の大学を卒業して、言葉や文化への理解が完璧でないままアメリカで就職したが、今までなんとか生き延びてこれたのは自分の専門分野だけには自信を持つことができて、困ったことがあったときにもそれが拠り所になってきたからだ。

自分のフィールドを突き詰めてベストな環境を選ぶ

「どうやったら世界で活躍できるか?」

という質問には「勝負すると決めたフィールドを突き詰めて、自分だけの武器を身につけることが大切」だと答えたい。

しかし、海外で働くことはあくまで手段で、その根底にある自分がやりたいことへの思いを強く持っていなければいけない。

そのフィールドを突き詰める上で、自分にとってのベストな環境が海外にあるならば迷わずに海外に出ればいいし、日本の環境のほうが良いならば日本で頑張ればいい。

今でもあのとき一人旅をしてよかったと思う。全く通用しない場所があることを肌で感じ、危機感を持つきっかけになったからだ。

あのときに感じた「自分が勝負すると決めた分野で全力を尽くして、将来はどんな環境であってもやっていけるようになろう」という思いは、これからNASAで働いていく上でも忘れずにいたい。


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