#我慢に代わる私の選択肢
ツムラ #OneMoreChoice プロジェクト×noteで、投稿コンテスト「#我慢に代わる私の選択肢」というテーマを募集していたので綴ってみます。
私の我慢に代わる選択肢は、ネガティブ思考に甘んじ無いということ。
私は自分のことをネガティブ思考な人間と捉えている。何をやるしにしても、失敗したらどうなるだろう、自分でできるだろうかと心配性なところがあるのだ。
でも、仕事でずっとこんな思考だったら、仕事で上司や部下から信頼されるような人間になれるだろうか。私がその立場だったら、困ってしまうだろうし嫌気すら感じるだろう。例えば同僚や後輩から相談されて、ネガティブな質問ばかりを投げつけたらどうなるか。次回、そういう機会は巡ってこず、その後のことも想像に難くない。
家族にとっても、ネガティブな夫、父親はどう映るか。自分が逆の立場だったら辟易とするだろう。子どもたちの、進学や就職といった選択を迫る際にもマイナスの要素をもたらしてしまいそうだ。振り返ってみると、娘の進学について一瞬そういう思考を持ってしまったことを思い出した。今思うと、その時の判断は本当に大きかった。
元来ネガティブ思考ではあるが実際にはそういう思考をなるべく出さぬよう、なるべく生活するように心がけている。加えて、私自身がネガティブな思考を手放しに容認しているわけではない。そこで、私はネガティブな思考を持つ人間であることを我慢しないという選択肢を持つようにしている。
というのも意識しないと、知らず知らずのうちにネガティブ思考に陥ることを知っているので、意識して挑戦する気持ち、変化を恐れない気持ちを持つように心がけているのだ。
失敗することや、ミスすることを想像すると恐れがでてくる。適度な恐れは、慎重とも言えるるし、用意周到に準備する気持ちをとも表現できる。ネガティブ思考の全てが悪いとも思っていない。ただ、だからこそ課題解決のために挑戦する必要があるときは、恐れを振り払うように勇気を持って提案したり、判断するようにしている。
家族があらゆるしていく選択に関わることはこれからもあるだろう。その時、その時で最良の選択をさせてあげられるよう、相談を受ける際の心も持ちようはとても大切。自分のことを理解し、家族のことを理解し力になりたい。
また、自分の職業である地方公務員がネガティブな思考ばかりで仕事をしてはいけない。前段でも表現したが、慎重であったり、用意周到ということはとても大切なこと。でも、ネガティブな思考から起因する慎重さは時に決断を遅らせ、チャンスを逸することにもつながる。
だから、私はネガティブな思考を持つ人間でありながら、その状況に甘んじないという選択肢を持ちたい。
自分を理解するというのは、自分であるから最も精度が高いと思いがち。ただ、他者からの評価はまた違うもの。人間は年を取るたびに頑固になるとも聞く。平衡感覚もしっかりと保つためにも、聞く耳もしっかりと持つ人間でありたい。
改めて、私の我慢に代わる選択肢は、ネガティブ思考に甘んじ無いということ。このことを胸に明日も生きていく。