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標準語は薄い

広範囲に喧嘩を売ってしまうが、本心だから言いたいことがある。それは標準語について。標準語ってなんか安いというか、薄く聞こえる。それお前がほんまに思ってることか?と、関西弁ネイティブの僕はつい思ってしまう。ドラマに出ているどこかの俳優のモノマネでもしているのかと身構えてしまい、一拍遅れて「ナチュラルにこういう話し方の人なんだ!」と気づく。

ちゃんと社会に出るまでは、標準語といえばテレビの中の人たちが話す言語という位置付けだった。あくまでテレビの話であり、こんな日本語を使う人は本当はいないけど、全国民が聞き取りやすいスタンダードとして「標準語」がドラマや映画で採用されているのだと思っていた。

だからこそ、中学で社会の先生をしていた津田先生と出会った時は衝撃であった。流暢で丁寧な標準語を話すベテラン女性教師津田先生に僕は魅了されていた。新人類だからである。関西弁じゃなくても関西で普通に生活できることを知った。

津田先生は話が面白いこともあったが、何より標準語なので聞き入ってしまった。もちろん入学早々、津田先生のモノマネはクラスで横行した。休み時間はみんなが標準語を話し、津田先生が言いそうなこと選手権が流行った。
なぜ魅了されたのかは、先ほど述べた理由と同じで、標準語を話しているというだけで一つのショーを見ているかのような気分になったからだ。教室に関西弁が響かなくなるだけで、現実から乖離し、何か特別なものを見ている気分になった。
確かに、学校の先生が展開する授業って根本的にはショーと同じだと思う。教壇というステージがあって、50分飽きさせないようにあの手この手で生徒に興味を惹かせる。

だから「ステージ」に立つ津田先生の言葉は素直に入ってきた。
しかし「ストリート」で標準語を使っている人に魅せる意図はないし、ナチュラルなものなので、関西弁が標準である僕はつい驚いてしまうのだ。

逆に標準語を話す人たちは関西弁を話す僕たちのことをどう思ってるのだろうか。もしかすると、我々が関西弁に誇りを持っていて、少しドヤりも混じえながら話していると思われているかもしれない。正解だ。関西弁ネイティブは、語感の強さで東京人をどうにか下に見ようと目論んでいる。

東京の人ってなんか冷たいなあ。俺らのこと見下してるんちゃうの?いやー、絶対見下してるわ。ほんまのこと言うてみ?エスカレーター左やろ?ICOCAって東京でも使えんの?

標準語の人たちは涼しい顔でこう返すだろう。知らんがな。

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松本拓郎
サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。