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衝動と有能のあいだ #記憶に刻みついた川村文乃

こちらは #川村文乃アドベントカレンダー 11月12日(4日目)の文章です。

僕がアンジュルムに出会ったのは2016年後半~2017年前半くらいでした。ファンとしてちゃんと映像なりなんなりを見始めたのは2017年半ばからだったので、2017年加入である川村文乃さん(と船木結さん)は僕の同期ともいえます(?)。まあそれは冗談ですが、川村さん加入・活動・悩み・サブリーダー・卒業までいっしょに進んできたような感覚はあります。

川村さんについての思い出はいろいろあるんですが、やはり初遠征のことが記憶に新しいですね。川村さんのおかげで遠征の楽しさを知ってしまったので散財が進みました。(11/9の高知公演も入ります)

川村さんの印象として強くあるのは「この人すごく自分を刻み付けてこようとするなあ」ということです。川村さんてことあるごとにファンの記憶に自分を刻みつけてこようとしませんか? いやアイドルとして当然といえば当然なのかも知れませんが、川村さんは常軌を逸したレベルでやってきてる気がします。
最初にそれを感じたのは2020年のバースデーイベントグッズ「キラキラシチュー皿」についてのブログです。

みなさん
#キラキラシチュー皿
使ってキラキラしちゅーお料理たくさん食べてくださいね😉
何年も何十年
大切に使ってくださいね☺️
何十年か後に
ふとこのお皿を見て思い出して欲しいな😂😂

上記ブログより

「重っ」と思った記憶があります。何十年後にも自分を思い出してほしいという強欲。
マグロ解体師の資格もそうですよね。僕はこれからマグロ解体ショーとかそれに類するものを見るたびに川村さんを思い出さずにはいられないと思います。

さらにここ数年のあまりに強烈なハロウィンコスプレ。夢に出てきてもおかしくないくらいの強度。

11月9日の高知公演ではシリアルナンバー付きのTシャツを販売しましたし、ライブのMCでそのTシャツについて「一生大切にしてくださいね」的なことを言っていました。
探せばほかにも「記憶に刻み付けてくる」シリーズがたくさん見つかると思います。自分に刻みついてしまった川村さんが何かあったら#記憶に刻みついた川村文乃で教えてくれてもいいですよ。

なんでこんなに強烈に刻みつけてこようとするんだろうと考えたんですが、ひとつは川村さんのネガティブ思考があると思います。彼女は自他ともに認めるネガティブ思考で、なにかのインタビューで「将来、東京にも高知にもいられなくなってどこか知らない土地で生活することを想像している」みたいなことを話していたと記憶しています。ファンからしたらそんなことあるわけないだろ!と胸を張って言えるんですが、川村さんは自分を卑下してリップサービスでそう言っているけじゃなく本当にその可能性すら考えてしまうネガティブ思考なんだろうと思います。このネガティブがどこから来たものなのかよくわからないんですが、めちゃくちゃネガティブなのに恐ろしいほどの行動力を持っているのが川村さんの面白い(おかしい)ところだと思います。
僕は仕事でコミュニケーションワークショップをやっていてネガティブ思考の方にもたくさんお会いします。そういう方の多くはネガティブゆえに「どうせうまくいかない」「やっても意味がない」というような考えになり行動しづらくなっています。しかし川村さんは「ネガティブだからこそ頑張る」みたいな不思議な思考回路で次々に壁を破壊して突き進んできています。正直その仕組みがよくわからないんですが、川村さんは「どうせみんな私のことなんて忘れる」→「それなら忘れられないくらい刻み付けてやる」というネガティブでぶん殴るみたいなエネルギーの出し方をする人なんじゃないかと想像しています。

たぶん川村さんは人が変われる(変わってしまう)ことを知っているんじゃないかと思います。川村さんは子どものころから地元でアイドルをやっていて、どうすればもっと多くの人に見てもらえるのか考え、自分になにが足りないのか見つめ続け、変わり続けてきた人なんだろうと思います。自分を見つめてきたということは自分の良さや強みを知っている反面、自分に何が足りなくて何ができないのか、自分の弱さや限界も見つめなければいけないということであり、その自己洞察がネガティブにつながっているのかもしれません。何を変えたら周りの反応が変わったのか、そして変わらなかったのか。自分の変化とファンの変化をずっと見つめ続けてきたから、みんな変わってしまうことをよく知っている。
そもそも変化することは何も悪いことではないし、他人に対して「変わらないでいて欲しい」と思うのは最も愚かな願いだと思います。当然川村さんはそのフェアネスを持っている。だから川村さんはファンに対して「変わらないでいて」「私だけを愛していて」と願うのはフェアじゃないと知っているし、そうは言わない。でも、それでも自分のなかに抑えきれないような衝動とエゴがあるから「あなたがこれからどんなに変化しても忘れられないように私を刻み付ける」と表現しているように感じるのです。ラスト写真集のタイトルも「permanent girl」ですし。永遠に刻み付ける気まんまんじゃないですか。

川村さんは加入当初に自分がアンジュルムに貢献できていなかったことを当時のリーダー和田彩花さんに相談した、というエピソードがあります。和田さんは「そうじゃないことをわかってもらうのが大変でした笑」と語っていたように記憶しています。このエピソードも単純なネガティブだけじゃなくて「私をグループに刻み付けたい」という強い欲があるように思います。だって新人のときなんてついていくのがやっとだし、ついていければ御の字じゃないですか。それなのに入った直後から「私にできることはなんだ。私が入った影響を与えなくては」と真剣に考えていたわけで、すばらしい強欲だと思います。アンジュルムは集団としてのパフォーマンスをしながらも個人の意思を尊重する文化が育っています。それぞれのやりたい表現を否定せずに肯定し合いながら失敗は笑い飛ばし、個でありながら集団になるグループです。そんな集団のなかで川村さんは誰よりも強く個人的な衝動とエゴをもっているメンバーなのかもしれない。それにも関わらず川村さんは献身的にグループのために縁の下の力持ちになり、「有能」という言葉をほしいままにする利他的な人でもあります。グループ(相手)のために行動しながらも強いエゴと衝動を表現するというこのバランスは現代社会に足りないものだと思います。最近はなんでも極論になりがちで、社会のために良い人にならなきゃいけないという抑圧もあれば、自我こそ大切で自分の利益のために行動することこそ資本主義でしょ、みたいな言説も見られます。二分化される概念には本質なんてNothingという話で、利他と利己は共存しながらバランスを保つものです。もちろん、そのためには上記のように自分の欲を観察し、考え続ける自己洞察が必要不可欠です。でも自己洞察ってすごくつらいこともあるんです。上記のように自分の弱さも見つめなければならないので。川村さんは自分の衝動を見つめながら周りのために行動できる「有能」さと強さを持った人なのでしょう。
……ここまで書いて心から感じたんですが、川村さんはアンジュルムに入って本当に良かった。いくら川村さんが「有能」であっても一人でできることには限りがあるし、頑張り続けることは難しい。アンジュルムメンバーが川村さんの「有能さ」を受け入れ川村さんにお返しをすることで、海のなかで酸素を共有するように、エネルギーを循環させ合う関係ができたんでしょう。もしかしたらアンジュルムは川村さんにとって仲間を超えて「私」の範囲に入ったのかもしれません。私のなかに他人まで含めてしまえばもう利他も利己も関係なくなる。「私」の衝動を表現することがグループのためになり、そしてメンバーが言う「ファンも含めてアンジュルムです」という言葉を信じるなら、我々のためにもなるのです。集団にいながらも個人の衝動を表現してもいいんだよ、というメッセージはグループの後輩たちに、そして今を生きるすべての人への勇気あるメッセージになるはずです。

自分のため生きる それで
誰かにも勇気
届けられるなら 死ぬ気で生きたい

「限りあるMorment」より

ご卒業後、川村さんは顔出しの仕事はしないとのことでどんな人生を歩んでいくのかまったくわかりませんが、川村さんのように利他と利己のバランスを保ちながら変わり続ける人はどんな業界にも必要とされているし、これからも世界のあらゆる場所に川村文乃を刻み付けながら進んでいくんだろうと思います。だから、川村さん推しのみなさんはいま悲しみに暮れているかもしれませんが、芸能界にいないからといって川村文乃さんほどの人がなんの痕跡も残さずに生きていくはずがないと思います。我々はこれからも川村さんの衝動をどこかで享受できるんじゃないでしょうか。ちなみに僕は将来、高知県の坂本龍馬像のとなりに川村文乃像が建立されると割と本気で思っていますからね。
そして変わり続けることができる川村さん。もし変化していく過程のどこかでまたファンの前に立ちたいという衝動が止められなくなったら、その衝動のままに戻ってきてください。川村さんの利己的な衝動によって救われる人たちがたくさんいるのです。人に二言はあっていいし、一貫性なんて幻想だと思います。

……と、ここまでは11月9日の高知公演前に書いていたのですが、高知公演を経て写真集「permanent girl」を読んだいま、全然見当違いなことを書いているのかもしれないなあと思っています。解像度がひっくひくだったかもしれない……。まあそれはそれとして、この文章はそのままいちファンの妄言として遺しておこうと思います。
高知公演のMCで強く感じたのは、川村さんは一度人生を閉じるくらいの覚悟なんだなということです。「良い人生だった」というようなことを言っていたので。そんな覚悟をしている方に「戻ってきていいんだよ」なんてあまりにも浅い言葉ですよね。でもそれでも、やっぱり戻ってきてもいいんだと僕は言いたいです。アンジュルムとアンジュルムファンはいつでも暖かく迎える準備ができています。


最後に、自分に刻まれた川村さんの痕跡、ちいさな秘密を告白して終わろうと思います。
2019年7月7日。僕は仕事で都内を移動していたんですが、乗り換えで秋葉原を通る時に思い出しました。「今日は川村さんの写真集の発売日だったな」。秋葉原にある書泉ブックタワーで発売イベントがあることを知っていたので途中下車し購入しました。それまで写真集を欲しいと思ったことがなかったんですが(今でも欲しいと思わない)その時は「川村さんの写真集が1冊でも多く売れたらいいな」と思った記憶があります。購入するときはすごく気恥ずかしかったです。
そしてその気恥ずかしさからか、川村さんの写真集を買ったことを誰にも言えませんでした。そのときはアンジュルムファンの友人がいなかったので当然ですが、数年後にアンジュルム友達ができて写真集の話題になったときも「写真集買ったことないんですよー」と嘘をついていました。すいません。懺悔して告白します。
僕が人生で初めて買った写真集は川村さんの写真集「Ayano」です。生涯忘れることはないでしょう。

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